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対日外交の主導権を握る強硬派──唐家璇の露出度が高まる(2006年05月05日)


 私は必ずしも中国問題の専門家というわけではないので、もしかしたら間違った見方かもしれませんが、日中問題で唐家璇(トウカセン。センは王ヘンに旋)国務委員(副首相級)の露出度が高まっているような気がします。

 唐家璇といえば、「反日の権化」江沢民主席時代の外相(外交部長)で、4年前(2002年)の靖国参拝問題で当時の田中真紀子外相に日本語で「おやめなさいとゲンメイ」した人物であり、現在の胡錦涛時代になってから国務委員に昇格しています。

◇1 武部・自民党幹事長会談の怪


 その唐家璇が先日、訪中した自民党の武部幹事長と会談しましたが、これをめぐる報道が一様ではなく、かえって興味をそそられます。

 共同通信によると、唐家璇は、「日中関係は困難な局面にある」と指摘し、「迅速な展開」を呼びかけたことになっています。拉致問題の解決について「努力する」と語ったとも伝えられます。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/20060501/20060501_010.shtml
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/world/20060502/20060502_005.shtml

 他方、東京新聞の報道では、「会見した武部氏によると」として、主要テーマは歴史問題や靖国問題だったと伝えられています。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kok/20060502/mng_____kok_____002.shtml

 武部氏との会談で、唐家璇は、3月末に胡錦涛主席が訪中した橋本元首相ら日中友好7団体の代表らに対して行った談話について説明し、そのあと「2つの区別と1つの責任」について表明したというのです。

 前者は、「侵略」戦争を画策した少数者と一般国民との区別、後者は、靖国神社に「身内」が祀られている遺族の参拝と国家指導者の参拝とを区別すべきだ、ということで、そのうえで、「最高指導者による靖国参拝は責任を負わなければならない」と主張した、というのです。

 ところが、面白いことに、中国の国家メディアは、拉致問題についてはまったくふれず、しかも靖国批判もなく、「日中改善を強調」したことになっています。
http://jp.chinabroadcast.cn/151/2006/05/02/1@62385.htm

 この報道ぶりは、まるで「日中関係が冷え込んでいる」という現実、言い換えれば胡錦涛政権の外交の失敗をあからさまに中国人民に見せたくない、という政治的配慮とも私には見えます。もっといえば、日中関係改善の主導権を握っているのは唐家璇であることを示すパフォーマンスでしょうか。

 韓国の朝鮮日報などは、「中国、急転、日本と関係改善」とまで伝えています。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/05/03/20060503000027.html


◇2 胡錦濤外交のシンボルが消えた



 中国政府が行き詰まっている対日関係の改善を望んでいるのはたしかでしょうが、国営メディアが「靖国」の「ヤ」の字もなしに「関係改善」を伝えている真意はどこにあるのでしょうか。そこで人民日報を読み返してみます。
http://www.china.com.cn/japanese/235838.htm

 人民日報が伝えるところでは、唐家璇は日中友好の基本原則を述べています。しかし欠けているものがあります。それは胡錦涛政権が当初、打ち出していた対日新外交のキーワードである「長期的視野」「大局」という言葉です。

 唐家璇の発言には、江沢民以来の「歴史を鑑とし未来に向かう」という常套句は用いられていますが、胡錦涛外交のシンボルが見当たりません。ここに今後の日中関係を見定めるポイントがあるのかもしれません。 

 少し振り返ってみると、胡錦涛は政権成立後、対日関係を重視する新思考外交を標榜したものの、一年も経たずに挫折しました。対日強硬派との権力闘争は熾烈です。政争の具に使われているのが靖国参拝で、日本に対して「弱腰」の姿勢を見せることは命取りになります(清水美和『中国はなぜ「反日」になったか』『中国が「反日」を捨てる日』)。一昨年末にはとうとう胡錦涛自身が靖国参拝批判をせざるを得なくなったのは、そのような事情があるのでしょう。


 昨年10月の「私的参拝」を強調した小泉首相の靖国参拝は、首相にとってはこれ以上ない対中譲歩でしょうが、中国は抗議と批判を繰り返しました。胡錦涛は小泉首相の譲歩を素直に受け入れられないほどの窮地に置かれているということなのでしょう。

 とはいっても、胡錦涛政権は反日活動家を拘束し、反日デモを封じるなど、日本のマスコミ報道とは違って、抑制的な対応をとっています。それどころか、翌11月には「親日派」胡耀邦「復権」の動きが伝えられています。しかし逆に、今年1月に計画された趙紫陽元総書記の追悼集会は、強硬派が反対し、妨害を受けました。

 そして3月末の胡錦涛の「重要講話」です。朝日新聞はその「草案」をスクープし、「靖国、戦犯、言及避ける」と伝えました。訪中する日中友好7団体との会談で新しいメッセージが伝えられるのではないかと注目されましたが、結局は先祖返りでした。胡錦涛主席が橋本元首相ら日中友好7団体の代表らに対して語った発言は、「日本の指導者が靖国参拝をやめれば首脳会談をいつでも開く用意がある」というものでした。

 この発言のあと「中国側が関係改善のために示した」と解説を加えていたのが、江沢民時代の外相である唐家璇です。唐家璇は、前月の2月には自民党の野田毅議員(日中協会会長)に、「小泉首相にはもう期待していない。在任中に日中関係が好転する可能性は非常に小さい」と語ったと伝えられています。

 以上の流れから見ると、対日外交の主導権が対日強硬派に傾いていること、靖国参拝を繰り返した小泉首相をスケープゴートにして日中関係の改善を図ろうとしていること、もちろんポスト小泉の靖国参拝は中国としては認められないこと、が見えてきます。

◇3 靖国神社が恐い?


 それにしても、ポスト小泉の総裁選に手を突っ込み、「遺族の参拝は認めるが、首相参拝は認めない」と語って、靖国参拝のあり方にまでくちばしを入れるというのは、宗教を国家管理するお国柄がよく出ています。そのうち靖国神社の祭祀や人事にまで介入してくるかもしれません。それだけ靖国神社が怖いということでしょうか。

 中国政府が他国の宗教までも国家統制したがるのは、なにも日本の靖国神社に限ったことではありません。

 たとえばカトリックも同様です。バチカンは台湾と国交を結び、したがって中国はバチカンと断交状態にありますが、2月にバチカンは新枢機卿の1人に香港の陳日君氏を任命し、バチカンと中国の関係改善の兆しと伝えられました。しかし、中国側は「バチカンが台湾との断交などを受け入れれば早期復交が可能」と表明しただけでなく、つい先日は、政府公認の宗教団体「中国カトリック愛国会」が新司教を任命し、バチカンとの復交交渉は元の木阿弥となりました。

 中国政府は、宗教の自由を認めず、バチカン主導のカトリック教会を認めません。同様に、日本の「国家神道」を認められないのでしょう。「国家神道」なる実体など、どこにもないとしても、です。日本の首相の靖国参拝に期待されているのは、「侵略戦争」の指導者を神とあがめ、崇拝することではなく、公人としての「表敬」に過ぎません。逆に、国家機関としての首相が宗教的目的をもって参拝し、国民を指導するなどということはあってはならないでしょう。中国革命に身を捧げた「英雄」をたたえる北京の人民英雄記念碑とは違うのですから。

人民英雄記念碑@北京市人民政府天安門地区管理委員会


 ローマ法王は、バチカンの意向を踏まえずに中国が新司教2人を任命したことに「深い遺憾」の意を表し、「宗教の自由の重大な侵害」と非難しています。2人の司教は法皇によって破門されたようです。
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20060504AT2M0401J04052006.html
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/world/20060505/20060505_011.shtml

 こうした法皇の姿勢からすると、「ご用聞き」外交を繰り返している日本の政治家たちがいかにスケールが小さいかが分かります。「国家が宗教に干渉すべきではない」「宗教の自由を認めるべきである」と、なぜいえないのでしょうか。親日派との協調を模索する戦略的外交がなぜ展開できないのでしょうか。

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