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毎日新聞さま、「平成流」なんてあるんですか? 先帝ははっきり否定されています(令和2年10月4日)


毎日新聞が(平成2年)9月末から「今、皇室に思うこと」というインタビュ・シリーズを始めました。意欲的な取り組みですが、根本的疑問を感じます。

企画の提案理由は、新型コロナの感染拡大によって、皇室と国民との触れ合いの機会が失われている。先帝は地方ご訪問で積極的に国民と交わる「平成流」を築き上げたが、両者の関係は変わるのか、というものです。

しかしこの問題意識こそ、天皇・皇室と民との歴史的な関係を歪めるものではないでしょうか。


▽1 問われているのは近代天皇制である



歴史的に見れば、天皇が民との直接的交わりを持たれるようになったのは、平成の時代ではなくて、明治です。近代化によって、天皇は行動する君主となられたのです。少し考えれば、誰にでも分かることです。

したがって、新型コロナは「平成流」なるものを揺るがしているのではなく、近代の行動主義的天皇像を根本的に問いかけているということになります。基本的な視点を誤ってはなりません。

第2に、説明では、先帝が「平成流」を築き上げたことになっていますが、先帝ご自身が否定しておられるはずです。

具体的にいえば、平成21年11月6日、「ご即位20年」の記者会見で、陛下は「平成の象徴像というものを特に考えたことはありません」とはっきりと否定されています。


それなのになぜ、「平成流」があったかのような企画が作られるのでしょうか。むしろそこが問われるべきでしょう。

そして第3に、この「平成流」の出所とその経緯こそ、じつにいかがわしさを含んでいるのでした。そう言えるのは、私の体験談があるからです。

「女性天皇」「女系天皇」が話題にもならなかったころのことです。私が関わっていた総合情報誌の編集部に宮内庁が盛んにアプローチを試みてきました。毎号スクープで埋める雑誌のセールスポイントのひとつが皇室記事でした。ず抜けた敏腕記者が書いていたのは無論のことです。

そして、であればこそ、その記者に、「侍従長が会いたがっている」のでした。その目的はふたつです。女帝容認の世論を喚起することと「平成流」を流行語にすることでした。この2つはセットだったのです。それはどういうことなのか。


▽2 「2.5代」御公務主義天皇論を背景に



先帝は平成元年1月9日、即位後朝見の儀で、「大行天皇の御遺徳に深く思いをいたし」「日本国憲法を守り」と仰せになり、その後もことあるごとに、長い天皇の歴史と憲法の規定とを追求されると表明してこられました。ところが、メディアは後者のみを報道してきたという経緯があります。


先帝にとっては、昭和天皇もまた憲法を守られた天皇であり、「長い天皇の歴史に思いを致」(ご即位20年会見)す以上、「平成流」はあり得ません。

しかし、まるで先帝が左翼がかった「護憲派」であるかのような一面的な見方が、側近たちに女帝容認と「平成流」を社会に広めさせたのではありませんか。歴史的な126代の祭り主ではなく、戦後憲法的な「2・5代」の特別公務員と見る御公務主義天皇観がその背景にあるのでしょう。

天皇のご意思とは無関係に、官僚とメディアの合作によって、「平成流」は女帝容認論とともに歩き出しました。そしてさらに助演男優として一枚加わったのがアカデミズムです。

毎日新聞のインタビューで、最初に担ぎ出されたのは、河西秀哉・名古屋大大学院准教授でした。天皇の祭祀には無関心で、「愛子さま天皇」を夢想しているらしい河西先生は聞き手の和田武士記者の掌の上で、「平成流」の危機を得々と語っています。


第3回は、以前、宮中祭祀を廃止し、代わりに皇太子(今上)とネカフェ難民との食事会を大胆に問題提起した原武史・放送大学教授で、今度はコロナ禍で象徴天皇制が不安定になる可能性を指摘し、テレビで直接、国民にメッセージを発信することを提案しています。


126代続いてきた天皇の歴史からすれば、天皇のご意思もお言葉も、肉体を持った生身の個人の意思や言葉ではありませんが、官僚も研究者も報道関係者もそのような歴史とは無縁のところにいるのでしょう。だからこその女帝容認論であり、「平成流」なのです。

いま私たちに問われているのは、天皇本来のお務めとは何か、現行憲法論的な国事行為・御公務中心主義でいいのか、ということではないのでしょうか。







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