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ひめゆり部隊はなぜ合祀されたのか──悲劇を理解するからこそ(平成19年9月23日日曜日)
◇1 首相参拝訴訟に代わる標的
いままさに首相の座に駆け上ろうとしている福田元官房長官は、自民党総裁選に先立って、
「相手(中国など)の嫌がることをあえてする必要はない。配慮しなければならない」
と首相としての靖国参拝見送りを明言したと伝えられますが、司法の世界ではここ数年、反ヤスクニ派が全国展開した小泉参拝訴訟の最高裁判決が今春までに出揃い、すべて違憲性が否定されています。法的には首相参拝は何ら問題はないということになります。
そこで代わって反ヤスクニ派が標的にしているのが、靖国神社を直接訴える合祀取り消し訴訟で、大阪では昨年8月に台湾人遺族らが、東京では今年2月に韓国人遺族らがそれぞれ訴えを起こしています。
琉球新報によれば、これらに続いて、沖縄のひめゆり学徒隊や防衛隊の遺族らが来月10日、合祀の取り下げを求める訴えを起こすようです。記事によると、
「靖国神社は日本の侵略戦争の象徴だった場所だが、家族の了解もなしに勝手にまつられた。姉を早く家族に返してほしい」
というのが原告の言い分です。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-27377-storytopic-1.html
◇2 調査を重ね、日程をやり繰りした結果
2つの問題について考えてみます。1つはひめゆり部隊が合祀された経緯、もう1つは合祀取り下げとは何か、です。
何度か、雑誌論攷などに書きましたが、本来、戦死者を追悼する軍の施設である靖国神社にひめゆり部隊がまつられるようになったのは、昭和30年からで、その背景には国民の強い要望があり、それを受けて、厚生省が軍属と認定し、靖国神社に合祀されたのでした。そしてその合祀はやがて戦犯刑死者や終戦時自決者の合祀に先鞭をつけることになりました。
この年の朝日新聞をめくってみると、3月19日の夕刊3面には、
「ひめゆり部隊」も合祭。靖国神社に遺族休憩所完成」
と題する、休憩所の写真入りの記事が載っています。例大祭に合わせて10万体が合祀され、ひめゆり部隊の3人も初めて軍人軍属並みに祀られることになった、というのですが、なぜそうなったかといえば、記事によると、悲惨をきわめた学徒兵の最期を思い、
「靖国の社頭に」
という声がかねて強く上がっていたのでした。
すんなりと合祀されたわけではありません。軍人・軍属を祀るのが靖国神社ですが、ひめゆり部隊が軍人・軍属に属するかどうか、認定がつかなかったからです。厚生省引揚援護局沖縄班では調査を重ね、その結果、部隊2000人のうち88人を「軍属(雇員)として戦死」したと認定し、前年末に戦死公報を出し、こうして神社に祀られることになったのです。
折悪しく、すでに神社では合祭名簿の作成を終わっていたため、とりあえず3人だけこの年の春に合祀することになった。沖縄班では
「やがて軍人、民間人を問わず祀られることになろう」
といっている、と朝日の記事は伝えています。
調査に調査を重ね、日程をやりくりして、とりあえず3人が合祀されたのは、それだけ強い要望があり、国もせいいっぱいに応えたということなのでしょうが、今回の合祀取り下げ訴訟の原告が、援護法の適用によって靖国神社に合祀されていることを
「数年前に知った」
「家族の了解もなしに勝手にまつられた」
と主張していることとのギャップをどのように理解したらいいのでしょうか。
琉球新報が言及しているように、韓国人遺族らが合祀取り下げなどを求めて国を訴えた裁判では、東京地裁は昨年5月、
「合祀は神社の判断」
として請求を却けていますが、合祀それ自体は神社の行為だとしても、少なくとも朝日の記事によれば、「勝手に祀った」わけではないでしょう。
◇3 「合祀取り下げ」要求の不思議
2番目の問題として、原告の遺族は
「合祀の取り下げ」
「姉を家族に帰して」
と訴えていますが、具体的には何を意味しているのか、意味があるのか、冷静に考える必要があります。
まず「合祀の取り下げ」とは具体的にどうすることなのか。靖国神社の「合祀」は英霊を一柱の神として合わせ祀ることですが、これを「取り下げる」ことはあり得ないでしょう。神社としては儀礼的な手続がありますが、いったん神に祀られた祭神を引きずり下ろすことが人間に許されることではないでしょう。
もっといえば、そもそも人間が合祀の手続によって神をつくりだしているわけではありません。神ははじめから神であり、神でないものは最初から神ではありません。たとえば、かりに霊璽簿から祭神名を抹消したとして、そのようなことは国に一命を捧げた戦死者をもてあそんでいるだけであって、それ以外に、何の意味も持たないでしょう。
「姉を家族のもとに返して」
という訴えも不思議な考えといわざるを得ません。死者の魂はどこにしかない、というものではないと考えられているからです。国に命をささげたのだとすれば、国が慰霊するのは当然でしょうが、死者の魂を独占していることではないし、そんなことができるはずもありません。
戦争はつねに悲惨ですが、沖縄戦の悲劇を理解するからこそ、戦後、国民の多くがひめゆり部隊の合祀を望み、国もそれに応え、遺族への援護もし、神社は日々、慰霊の祭祀を行ってきました。そのことを、なぜ原告は不満に思わなければならないのでしょうか。