「行幸啓すべて見送り」で問われる天皇統治の本質。ご公務主義でいいのか(令和2年7月5日)
新型コロナの影響で、全国植樹祭など「四大行幸啓」がすべて今年は見送られることとなりました。戦後初の事態です。〈https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200704/k10012496881000.html〉
天皇・皇后による恒例の地方ご訪問ほか皇室のご活動は、国民との深い信頼関係を築いてきた象徴天皇制の第一の基礎である、と考えるなら、戦後天皇制のあり方を左右するきわめて大きな問題といえます。
とくに、ここ数年の皇室制度改革のテーマは、陛下(先帝)はご多忙だから御負担軽減が求められるという認識が大前提でした。来年以降、どんな対策が採られるのかわかりませんが、たとえばオンラインでのご臨席に代わるなど、ご活動のお出ましが減るのなら、近年の議論は振り出しに戻らざるを得ないはずです。「女性宮家」創設も不要となります。
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そうなると、これはチャンスです。20数年続いている女系継承容認=「女性宮家」創設論の混乱から、一歩ひいて、頭を冷やして、126代続く天皇とはもともと何だったのか、天皇統治の本質を再確認する好機となり得ます。
▽1 皇室の近代化とは何だったのか
天皇の行動主義は明治に始まりました。けっして戦後の象徴天皇制の専売特許ではありません。行幸啓がすべて見送られるという今回の現実が問いかけているのは、戦後の象徴天皇のあり方ではなく、近代の行動主義的天皇のあり方なのでしょう。皇室の近代化とは何だったのかです。
それまで薄化粧をされ、御簾に隠れて端坐されていた天皇は近代君主、立憲君主となり、ときに軍服を召されるまでになりました。明治天皇は何度も地方を巡幸され、「聖蹟」は史跡と位置づけられました。戦後復興の出発点となった昭和天皇の地方巡幸をはじめとして、平成、令和と続く戦後の行幸、行幸啓は近代の産物です。
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たとえば、北海道に巡幸された明治天皇は、石狩地方で苦労の末、はじめて稲作を成功させた中山久蔵の自宅(駅逓)をご休憩所とされました。それまで稲作が禁止されていた北の大地はそれ以降、農業政策の大転換が図られ、いまや北海道は新潟と並ぶ米どころです。行幸は政策転換の狼煙でした。
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戦後、昭和天皇はしばしば火山噴火や水害などの被災地を訪問されました。お見舞いと励ましは今上にも引き継がれていますが、それらは行政にとってはいわば安全宣言の機能を果たすものでした。天皇の行動主義は行政の機能を補完、補強し、ときには後始末の役割を担っています。
天皇は行政にとってきわめて便利な存在で、だから鳩山内閣の「ゴリ押し会見」も強行されました。いまや天皇は事実上、内閣の下位に位置する名目上の国家機関に成り下がっています。そういうご公務主義天皇でいいのか、ということです。
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▽2 米と粟を捧げる祭祀
葦津珍彦は、日本人の国体意識は多面的、多元的で、それらが天皇制を支えていると分析しています。桃の節句に内裏雛を飾る文化、私の田舎のようにお妃さまが養蚕と機織を教えてくれたと信じてきた地域の信仰は、国事行為やご公務をなさる特別公務員としての天皇とは異質です。しかしそれらが歴史的な天皇制を総合的に支えてきたのです。
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天皇は神勅に基づき国家を統治する、あるいは憲法に則って国事行為をなさるという演繹的な天皇ではなくて、多様なる民の多様なる天皇意識に根づいた天皇のあり方というものがあるのでしょう。たぶんそれが、戦後、等閑視されている、126代続いてきた祭り主天皇というものではないのでしょうか。
天神地祇をまつり、米と粟を捧げて祈る天皇と多様なる民の多様なる天皇意識とはたぶん同時並行の関係にあるはずです。平成、令和と、非宗教的な政教分離政策のもと、御代替わりの宗教的儀礼を「国の行事」として行うことを避けただけでなく、皇室の伝統に不当に介入した、後世に恥じる政策は改められるべきではありませんか。
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