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都倉武之先生、天皇は完全に「政治社外のもの」ですか?──5月31日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 4(令和3年7月25日、日曜日)


前回の続きです。今日は都倉武之・慶應義塾大学准教授です。

新進気鋭の研究者のようですが、どんな方なのか、自己紹介では「政治史を専攻」とのことですが、慶応のサイトをのぞいてみると、所属は福澤研究センターで、慶應義塾論や福沢諭吉論の授業を担当する生粋の慶應ボーイのようです。正確には近代日本政治史の研究者ということでしょうか。著書は16冊。いずれも共著、もしくは「都倉武之研究会編」で、単著はありません。

それで、やっぱりなあ、と思いました。日本の天皇は古代から126代続いているのに、その皇位継承について議論するのにあたって、明治以来の5代の歴史しか検証しない。これは研究手法として妥当なのかどうか。


▽4 都倉武之氏──5代天皇論を克服してほしい

都倉氏は、まず基本的な視点を提示します。ひとつは、天皇・皇室の存在意義です。日本国憲法から論じ始める、ほかの論者との違いが際立っています。

都倉氏によれば、天皇・皇室は政治に関わらないという立場にあり、したがって日本社会にもたらす「緩和力」こそが存在意義だと訴えています。だから、政争に巻き込まないよう十分な注意が求められるということになります。

都倉氏によると、天皇は、大日本帝国憲法における主権者から日本国憲法における象徴へ転換した。戦後はきわめて限定的・儀礼的で、実質的な権能を有しない消極的存在であることに意味があったが、平成期は法的位置付けが曖昧な公的行為の充実により、象徴としての在り方に積極性が生まれ、それを多くの国民が受け入れた。戦後の昭和天皇及び現上皇の75年にわたる蓄積により、民主主義と皇室の共存の伝統と価値が培われたと考えられています。

そのうえで都倉氏は、それなら、天皇が日本国憲法に規定され存在することにはどのような意義があるか、より明確に言えば、国民にどのようなメリットがあるのかと問いかけ、そして、慶應ボーイらしく、福沢諭吉の2つの著作、「帝室論」「尊王論」から解き起こそうとします。

むろんそれは、都倉氏自身が説明するように、これらの著作が、戦後間もなく象徴天皇の在り方を模索する過程で、昭和天皇はじめ皇族方が参考にしたことが知られていると強く認識するからです。ご承知のように、そして都倉氏が解説するように、「帝室論」「尊王論」は、「帝室は政治社外のものなり」として、皇室を現実政治から最大限遠ざけることの重要性を繰り返し強調しています。


◇皇室はなぜ尊敬されるのか

さらに、これらに関連して、都倉氏は、皇室はなぜ尊敬されるのか、と問い、福沢諭吉が天皇の権威が絶対性を帯びることの危険性を指摘し、天皇の権威の由来を超自然的、超人間的に説明する神権主義的にではなく、世俗的・常識的に解釈しようとしたなどと解説しています。

また、古代より父方だけの血統をつなぐというルールで継承されたことが、天皇の家族が別格扱いされる希有な珍しさであり、歴史上も各時代の日本の同時代の一般的な家の継承の在り方と必ずしも軌を一にしてきたとは言えず、その特殊性こそが別格扱いの根拠となっているのではないか、と都倉氏は考えています。

この希有な珍しさが、他の拮抗する権威の出現を抑え、中立性や唯一性を担保したと見るならば、そのような歴史の蓄積が、近代における主権者としての天皇という例外的な一時期を除いて、再び回帰すべき象徴天皇という在り方を用意したということができるのではないかというのです。

こうした前提のうえで、政府の設問に答え、都倉氏は、まず第一に、男系での継承を継続する模索がなされてよいが、一方で、世襲のみを要件とする日本国憲法は、女性天皇及び女系天皇を容認し得ると考えられるからとして、女性天皇については容認します。

しかし、安定性及び現在の皇族本人の予見可能性の観点からも、現状では男系男子優先が妥当である。男系継承模索の方途が尽き、他に選択肢がないときの最後の選択肢としてならば、女系天皇は容認されてよいと考えるが、いずれにしても、正統性に疑義を生じさせないよう、泥縄式の制度変更は避けることが望ましいと訴えることを忘れていません。

そして、政府の設問に対しては、とくに旧宮家の皇籍復帰については、皇室は、家の形式的な存続ではなく父方の血統の連続を重視してきたことや、女性は婚姻により皇族となるが男性は供給され得ない現行制度の在り方に着目するならば、抑制的な運用の下で、血統の連続を維持するための民間からの養子(血縁の近い皇統に属する男系男子)を可能にすることも非現実的ではないと述べています。

ただし、その場合、必要最小限度にとどめられるべきで、宮家の増設などは望ましくない。皇位継承資格は次代以降に認めることが自然だと釘を刺しています。

最後に、その他の方策として、間接的な方法として、宮内庁職員のほかに、参与、アドバイザーなどの形で、日頃より相談役となる民間人を置くべきだと提言しています。


◇天皇は古来、「国民統合の象徴」だった

さて、批判です。おおむね都倉氏の意見は福沢諭吉の天皇論が基礎になっています。福沢の天皇論は一般には評価が定まっているところかもしれませんが、近代の啓蒙主義の枠組みを超えていないように私には思われます。

明治になり、近代化が急がれたとき、学校教育もまた欧化主義に席巻され、「修身」の教科書までが翻訳本となりました。国会図書館にはほかならぬ福沢が翻訳した修身の教科書が収蔵されています。行き過ぎた欧化主義に、明治天皇が疑問を投げかけられ、制定作業が始まったのが教育勅語でした。

都倉氏はヒアリングの冒頭で、福沢の天皇観を基礎に置き、天皇統治の非政治性を強調しています。明治憲法下の主権者から、戦後は象徴へ転換したとも述べています。しかし、違うのではありませんか。

そもそも天皇は、皇室の天皇観によれば、皇祖神のコトヨサシに基づき、この国をシラスこととされたのであり、古代律令の時代すでに現実の政治は二官八省に委ねられ、間接統治が行われました。明治憲法が定める「統治」は同様にシラスの意味であり、統治大権は天皇に由来するものとしつつ、実際の統治権は三権に委ねられたのではないでしょうか。

つまり、そもそも天皇は、古来、スメラミコトと仰がれた時代から、「国民統合の象徴」だったのです。そのことは「戦後唯一の神道思想家」葦津珍彦が指摘しているところです。都倉氏が説明しているように、明治の時代は権力者だった天皇が、敗戦を経て、日本国憲法下において「帝室は政治社外のもの」となったのではありません。

また、都倉氏のいう天皇の権威の絶対性云々が何を意味するのか、よく分かりませんが、天皇統治の正統性が宗教的背景を有するのは明らかであり、否定することは不可能です。ただ、皇祖神が絶対神とほど遠いことは葦津珍彦が指摘しているとおりです。キリスト教世界とは違うのです。

もうひとつ、スメラミコトが古来、完全な「政治社外」の存在なのかは吟味されるべきです。まさにいま日本は、皇位継承問題で国論が割れています。そのようなときに、天皇は完全な「政治社外」たるべきなのかどうか、福沢はどのように考えていたのでしょうか。

葦津珍彦は完全「政治社外」論を退けています。葦津の表現でいえば、「議長」の立場であって、賛否同数なら、決定権は天皇にあります。「政治社外」であるべきではないのです。まして皇位継承は皇室の家法に委ねられるべきで、民草が介入すべきではありません。

都倉氏は、天皇の存在は人類普遍のものではないと断言していますが、当たり前です。天皇は日本にしか存在しません。そこには日本の文明と関わる独自の論理があり、皇位継承の男系主義もまたそこに理由があります。福沢諭吉の欧化主義では解明できないのでしょう。男系主義の歴史的意味も価値も理解できないなら、安易に女系容認に流れることは目に見えています。5代天皇論を克服すべきです。


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