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靖国神社「遊就館」見学を止める宝塚市──「侵略戦争を美化」と共産党市議に批判されて(2013年7月14日)

(画像は竣工当時の遊就館。靖国神社HPから拝借しました。ありがとうございます)


政教関係を正す会」から「はがき通信」が届きました。

 テーマは、(平成25年)5月末に宝塚市議会で共産党議員が、市内中学校が修学旅行で「過去の侵略戦争を美化している」靖国神社の遊就館を見学していることについて問いただし、結局、「今後は利用しない」と同市学校教育部長が答弁、「屈服」したというものです。

宝塚市議会議事録(平成25年5月29日)

「はがき通信」は、児童生徒による宗教施設の訪問に関して、戦後の歴史を振り返り、以下のような3つのポイントから、批判を加えています。

(1)占領時代、昭和24年の文部事務次官通達で、「文化上の目的」「強制、命令しない」という条件なら許されるとされていた。

(2)もっとも、「靖国神社、護国神社および主として戦没者をまつった神社を訪問してはならない」という留保がつけられていたが、平成19年になり、この禁止条項が失効している旨、文部科学省が回答している。

(3)平成20年に、平沼赳夫議員の質問主意書に対して、福田康夫首相が「靖国神社についても参拝してよい」と答弁している。

平成20年5月14日の平沼赳夫質問書
〈https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_s.nsf/html/shitsumon/pdfS/a169380.pdf/$File/a169380.pdf〉


平成20年5月23日の政府答弁書部分
〈https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_t.nsf/html/shitsumon/pdfT/b169380.pdf/$File/b169380.pdf〉


 国政レベルで明確な見解が示されているのだから、「参拝を続けるべきではないか」というわけです。「政教関係を正す会」の「はがき通信」としては、じつにそつのない主張です。

 けれども、政府見解を解説することが根本的な解決につながるのかどうか、私は疑問を感じています。

 もっとも核心的な問題は戦後の日本政府の見解ではなく、過去の戦争そのもののはずですが、共産党議員が指摘した「過去の侵略戦争を美化している」云々について、「はがき通信」には反論が見当たりません。

「はがき通信」は、近代の戦争が「侵略戦争」であるとも、靖国神社が「侵略戦争を美化している」とも、認めていないはずです。靖国神社は「侵略戦争を美化している」けれども、「参拝してかまわない」ということではありません。

 それなら、「美化していない」から「参拝」は許される、ということなのでしょうか? それもヘンです。


▽1 なぜ「軍国主義」の中心施設とされたのか



 靖国神社の歴史は明治2(1869)年に東京招魂社が創建されたことに始まります。同7年に行幸になった明治天皇は「我国乃為をつくせる人々の名もむさし野に止むる玉かき」と詠まれ、同12年、「靖国神社」と改称されました。

 イタリアの古城を模した遊就館が落成したのは同14年、お雇い外国人カペレッティの設計でした。

 国に一命を捧げたという一点において殉国者を祀るのが靖国神社であり、遊就館は古来の武器陳列場でした。靖国神社に特定の歴史観はありません。

 靖国神社に最大の転機が訪れたのは、敗戦直後です。

 アメリカは戦時中から「国家神道」こそが「軍国主義・超国家主義」の主要な源泉であり、靖国神社がその中心施設であり、教育勅語が聖典だと理解していたようです。

 ボツダム宣言には、「軍国主義」が世界から駆逐されるべきことが明記され、日本政府はこれを受諾し、戦争は終わりました。


 アメリカ国務省は「国教としての神道、国家神道の廃止」を占領政策に掲げ、占領軍は「神道、神社は撲滅せよ」と叫び、靖国神社の「焼却」がもっぱら噂されました。

 20年暮れにいわゆる神道指令が発令され、靖国神社は国家との関係が絶たれ、翌年の宗教法人令の改正で一宗教法人となりました。

 しかし、靖国神社の歴史は続いています。

 靖国神社が侵略戦争を推進し、世界の平和を脅かす中心的施設だというのなら、ポツダム宣言を受諾した以上、爆破焼却されても文句は言えません。

 ところが、靖国神社は「廃止」「焼却」を免れたのです。

 それだけではありません。

 小林健三、照沼好文『招魂社成立史の研究』(錦正社、昭和44年)によると、20年11月の臨時招魂祭・合祀祭に参列したCIE(民間情報教育局)部長のダイク准将は「たいへん荘厳でよかった」と感激したことが伝えられています。


『招魂社成立史の研究』から


 この落差は何でしょうか?

 靖国神社は何をもって、「軍国主義・超国家主義」の中心施設とされたのか、が事実に基づいて、解明されるべきです。同時に、占領軍はなぜ、靖国神社を「焼却」しなかったのか、を実証的に究明すべきです。


▽2 靖国神社に優る施設があるのか



 くだんの宝塚市議の活動報告には、「市内の中学校が修学旅行の平和学習として靖国神社の軍事博物館『遊就館』を見学した。過去の侵略戦争を『アジア解放の戦争』と美化する特殊な施設をこれからも平和学習として利用するのか」と質問し、「遊就館は適切ではなかった。今後は利用しない」との答弁を得たことが記されています。


 今後、宝塚市は「平和学習」のため、中学生たちにどこの施設を見学させるつもりなのでしょうか?

 戦前、30年の長きにわたって靖国神社宮司の地位にあった賀茂百樹は、「侵略戦争の美化」どころか、平和を訴え続けました。

 晩年、病床で口述した「私の安心立命」(昭和9年)には「神ながらの武備は戦争のための武備ではない。戦争を未然に防止し、平和を保障するのが最上である」とあります。

 靖国神社の宮司が命を振り絞って「平和」を訴えながら、それでも戦争の惨禍は止められませんでした。それが歴史です。

「平和」を願い、死者たちに静かな祈りを捧げようとしても、「軍国主義」「侵略戦争」と指弾されるのが、世界の現実です。

 この厳しい歴史と現実を教えてくれるのが靖国神社です。共産党市議も宝塚市も、これにまさる「平和教育」があるとお考えでしょうか?


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