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福井県立博物館はなぜ恐竜雛人形に立纓冠を被らせたのか(令和3年2月14日、日曜日)

(画像は恐竜博物館HPから拝借しました。画像では垂纓のようにも見えますが、朝日新聞に掲載された画像は紛れもなく立纓です)


間もなく雛祭りだが、朝日新聞の報道によると、福井県立恐竜博物館が「リアル過ぎる」恐竜模型のお雛様を飾っているという。〈https://www.asahi.com/articles/ASP2J7CY0P2HPISC00X.html〉

福井県立恐竜博物館@福井県HP


何とも微笑ましい話題かと思ったが、とんでもない。同館のサイトを開き、画像を確認して、ゾッとした。男雛の恐竜フクイラプトルが天皇だけに許される立纓冠(りゅうえいのかん)を被っているからだ。〈http://www2.pref.fukui.lg.jp/press/view.php?cod=Ocd7c116106001488b〉

同館のHPには「恒例の恐竜雛人形」と説明されている。著名な恐竜模型造形家の製作によるもので、展示は2012年(平成24年)から、じつに10年の実績があるらしい。第一回の初日には地元の保育園児たちが除幕式を行い、好評のため4月まで展示期間が延長されたとある。今年も園児10人によるお披露目式が行われたという。

もともとが人形であり、とくに変わり雛は遊びの世界ではあるにしても、天皇のみが召される立纓冠を、よりによって絶滅した肉食恐竜の模型に被らせるのは、いくら何でも度が過ぎているのではないか。烏帽子ではダメなのか。戦前なら「不敬」と騒ぎ立てられたかも知れない。


▽1 内裏雛は天皇を象っている


けれども現代では問題視する声は聞こえてこない。だから10年も続いているのだろう。それにはいくつかの理由がありそうだ。

第一に、もしかして製作者も博物館関係者も、そして朝日新聞の記者も読者も、内裏雛が天皇を模していることを忘れているのではないか。女の子の健やかな成長を願って飾られる内裏雛が天皇・皇后を象っていることを、ひょっとして知らないのではないか。

お雛様といえば、賊軍の末裔である私は、会津の出身ながら、世界的に知られる軍人に上り詰めた柴五郎を思い出す。名著『ある明治人の記録』(石光真人編)には、柴家にまつわる幕末の悲しい風景が描かれていて、落涙を禁じ得ない。


会津落城の前夜、柴家には例年通り、雛人形が飾られていた。幼い五郎は母に、「お雛様は天子様ですよね。こうして天子様を飾り、雛祭りをお祝いする私たちが、なぜ賊軍呼ばわりされなければならないのですか」と問い詰めたらしい。母は畳を見つめ、押し黙ったまま頷いた。その後、籠城を前に、一家の女性たちは自刃する。雛祭りは家族の最後の思い出だった。

一方、福井の恐竜雛人形は柴家の内裏雛と対極を成すほど無機質的だ。天皇意識が文字通り化石化し、樟脳の匂いが漂ってくる。天皇意識が一変したというより、消えているのである。


▽2 日本人の根強い天皇意識


戦後唯一の神道思想家といわれる葦津珍彦は、日本人の根強い国体意識、天皇意識が多彩で複雑な要素から成り立っていると説明している。「思想の科学」昭和37年4月号(天皇特集)に掲載された論稿「国民統合の象徴」では、日本の天皇制が未曾有の敗戦によっても衰えることがなかったのは、この根強い天皇意識に支えられているからだと説明されている。


「私の考えによれば、日本の国体というものは、すこぶる多面的であり、これを抽象的な理論で表現することは、至難だと思われる」

「(国民の国体)意識を道徳的とか宗教的とか政治的とかいって割り切れるものではない。そこには、多分さまざまの多彩なものが潜在する。とにかく絶大なる国民大衆の関心を引き付ける心理的な力である。これが国および国民統合の象徴としての天皇制を支えている」

「この根強い国体意識は、いかにして形成されたか。それは、ただ単に、日本の政治力が生んだものでもなく、宗教道徳が生んだものでもなく、文学芸術が生んだものでもない。それらすべての中に複雑な根を持っている」

日本各地には古事記・日本書紀にはないようなさまざまな天皇の物語が伝えられている。前回、書いたように、私の郷里では、暮らしを支える養蚕と機織りは皇室から伝えられたと信じられてきた。そうした伝承以外にも、王朝文学をはじめ、芸術芸能、そして雛祭りのような習俗など、日本人の根強い天皇意識を支えてきたものは枚挙にいとまがない。


▽3 日本人は変わってしまった?


反天皇を自認する進歩派であっても、愛娘のために雛人形を飾らない親はいない、と思いたいところだが、もはやそういう時代ではないのかも知れない。終戦直後ならいざ知らず、昭和も遠くなり、日本人の天皇意識は変わってしまったのかも知れない。

人形を「お雛様」と敬称するのは、世界広しといえども、日本だけだという。江戸中期以後、王朝文学が社会的に普及し、雅な御所文化への憧れが内裏雛を完成させた。けれども、今や昔なのだろう。内裏雛が黄櫨染御袍、立纓冠を著する意味は失われ、単なる飾りとなり、だからこそ恐竜模型に平気で立纓冠をかぶせ、意に介さないことになるのではないか。

悠久なる天皇の歴史も、日本人が皇室に寄せてきた深い思いも忘れられ、理解されない。そんなことだから、過去の歴史にない女系継承容認=「女性宮家」創設論が側近中の側近から飛び出すのであろう。その異様さを保守派人士も忘れているのだろう。もはや天皇は国と民を統合するスメラミコトではなくなってしまったのだろうか。すなわち開闢以来の危機ということか。


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