思想・良心の自由の問題なのか──日本史の基本的素養に欠ける人たち(2006年9月24日)
「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する義務のないことを確認する」
東京地裁は先日、注目すべき判決を下しました。都立学校の入学式や卒業式の国旗掲揚、国歌斉唱で、起立したくない教職員や歌いたくない教職員、伴奏したくない教職員に対して、懲戒処分までして従わせることは違法である、というのです。
判決の衝撃はマスコミの報道に現れています。翌日の社説の評価は完全に2つに分かれました。たとえば朝日新聞は「『強制は違憲』の重み」と高く評価していますが、逆に読売新聞は「認識も論理もおかしな判決」とするどく批判しています。
◇「国家神道」の強制
争点の中心は、いうまでもなく、教職員が式典で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する義務などを負うのかどうか、ですが、判決文を読んでみると、問われているのは歴史の問題であり、天皇制、国家神道に関する歴史解釈が大きな問題とされたことが分かります。
たとえば、被告の東京都の主張には、「原告らの考え方は、君が代は天皇を讃美する歌である、という君が代についての1つの解釈を前提とするものであり」「明治憲法下ではともかく、日本国憲法下においては、国家神道ほか、何らの宗教的価値観と結びつくものではない」というくだりがあります。
「天皇」はともかくとして、「国家神道」という言葉が急に現れて、ずいぶんと突拍子もないような東京都の主張に見えますが、じつはそうではなく、原告はまさにそのような国旗・国家の解釈をし、主張しているのです。
判決文を読み進むと、こんどは原告の教職員の主張がつづきます。「とくに君が代には、天皇の支配する時代が永続することを願う意味がこめられているのであって、このような行為を行うか否かは、人の世界観、人生観、主義、主張など、個人の人格的な内面作用に密接に関わる」
さらに「日の丸・君が代は、歴史上、国家神道と密接な結びつきを有しており、宗教的価値観と不可分の関係にある。君が代を尊重するということは、天皇を尊敬するということであり、天皇を尊敬するということは神道を信仰するということにほかならない」という論理が展開されています。
これによると、君が代斉唱は戦前の歴史を引きずった神道信仰の強制だ、というのが原告の主張で、だからこそ「信仰を持たない自由、神道以外の宗教を信仰する自由を侵害する」と主張されているのです。
◇「皇国思想・軍国主義の精神的支柱」
これらに対して、裁判所は次のように判断しています。
「わが国において、日の丸、君が代は、明治時代以降、第二次大戦終了までの間、皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられてきたことがあることは否定しがたい歴史的事実であり、国旗・国歌法により、日の丸、君が代が国旗、国家と規定された現在においても、なお国民の間で宗教的、政治的に見て、日の丸、君が代が勝ち中立的なものと認められるまでにはいたっていない状況にある」
「宗教上の信仰に準ずる世界観、主義、主張に基づいて、式典において国旗に向かって起立し、国歌を斉唱することを拒否する者が少なからずいるのであって、このような教職員に処分をもって行為を強制することは不利益を課すに等しい。思想・良心の自由に対する制約になるものと解するのが相当である」
結論として判決は、「懲戒処分までして起立させ、斉唱させることは少数者の思想良心の自由を侵害し、行き過ぎた措置である。国旗、国歌は強制するのではなく、自然のうちに国民の間に定着させるのが国旗・国歌法の制度の趣旨であり、教職員に対する職務命令は違法である」と述べています。
ほぼ原告の主張を認めたわけですから、教職員たちが大喜びするのは当然です。卒業式で起立せず、停職処分を受けた中学校の教諭は「完全勝利」と表現しています。
君が代について考えるなら、対立の中心は天皇と歴史の問題にほかなりません。この教職員たちのように、反対派は戦前の天皇制に対する怨念に固まり、「天皇の歌」を忌避しています。
けれども、文学的、歴史的観点で見ると、君が代を単純な「天皇の歌」と理解するのは正しくありません。君が代の歌が最初に文献に現れるのは、古今和歌集ですが、長寿者に対するお祝いに歌です。「詠み人知らず」として掲げられていますから、当時すでに広く知られた古歌であったことが分かります。祝賀の対象は天皇とは限りません。朝廷に用いられれば聖寿万歳をことほぐ意味となり、民衆に用いれば長寿を祝う歌として神事や仏事、宴席でさかんに歌われました。
江戸時代になると、君が代は物語や御伽草子、謡曲、小唄、浄瑠璃などにとり入れられました。広く祝いの歌として欠かせない存在だったのです。だからこそ、フェントンが「欧米諸国にはみな国歌というものがある」と建言したとき、大山巌はこの君が代を選んだのでしょう。古来、広く歌われていた君が代以外に、国民的な祝い歌の歌詞に相応しいものはなかったのです。
ところが国民がいっしょに歌えるメロディーがありませんでした。それもそのはず、当時の君が代は曲がまちまちで、しかも方言と同様、地方によって音階が異なっていたのでした。そこで宮中の伝統的音階によって新たなメロディーが作られたのです。
◇「国歌」としての地位を自然に確立
君が代反対派の人たちは、君が代が国歌として法的に定められた歴史はない、と主張します。なるほど、いま知られている君が代は、明治初期に知られていた複数の国歌の1つに過ぎなかったようです。しかし君が代は国歌としての正式な布告もないまま、自然のうちに国歌としての地位を確立していったのです。
反対派の人たちは「強制」を強調しますが、国家の権力によって国歌としての地位が築かれたのではなく、千年以上の長い歴史に基づいて、逆に自然にその地位を獲得していったのです。評論家の鶴見俊輔氏は、国旗国歌反対派の1人ですが、そのような歴史を積極的に評価し、「国家の儀式に演奏される歌を選ぶのに、千年以上前に詠み人知らずだった歌を採用したのは、新興国の官吏として独立精神を示した」と称えています。
今回の裁判で、原告の教職員は、「教職員は、真理・真実を確認して創造的な授業や教育活動を行い、……天皇や国家の奉仕者であったり、一部の階級、政党などの要求に応えるということは許されない、という意味での全体の奉仕者とされているのであるから」と述べています。つまり、真理と真実の追究が教育の重要な機能であると原告は考えています。
だとすれば、日の丸、君が代は「神道信仰の強制」だとし、思想・良心の自由を侵す、などと硬直的に考え、裁判で主張するまえに、君が代の真実を虚心坦懐に学び直す必要があるのではないでしょうか。もちろん裁判官も同様です。本件は思想・良心の自由の問題ではなく、むしろ歴史の基本的素養の問題なのではありませんか。