福田元官房長官の『大局』とは何か──靖国神社に参拝すべきでないとする根拠(2006年5月1日)
福田元官房長官は、きのうのNHK「日曜討論」で、小泉首相の靖国神社参拝をめぐり、中国・韓国との関係が冷え込んでいることに関して、「日本みずからが将来に向けて、大局的な判断をすべきだ」と語りました。次期首相は靖国神社に参拝すべきではない、という考えを示したものと伝えられています。
「参拝すべきでない」理由として福田氏は、「靖国参拝で足をすくわれることになれば、政権運営に影響がある」ことを挙げています。実際、官房長官時代にはそのように進言して、「小泉首相に慎重な対応を求めた」ようです。
ただ、「外国からいわれて日本がどうするというのでは最悪のケースになる」ので、「日本みずから将来に向けて過去とどうつきあうかを考え、大局的な判断をすべきだ」と述べました。
ここで福田氏のいう「大局」とは何でしょうか。
◇「新思考外交」のサインを受け止めていない
福田氏は官房長官時代の3年前、日中平和友好条約締結25周年を記念する祝賀会に出席するため、訪中しました。前年の正常化30周年に続く大規模な催しで、村山、橋本、両元首相らも出席する大佳節のはずでしたが、小泉首相は招かれず、胡錦涛主席、温家宝首相も祝賀会を欠席しました。マスコミはその理由を「小泉参拝が影を落とし」と伝えました。
日本の報道では、翌日、温家宝首相が福田長官と会見し、小泉首相の早期訪中実現に期待を表明しつつ、名指しは避けながらも小泉参拝が日中首脳の相互訪問の障害になっている、と述べました。胡錦涛政権が小泉首相の靖国参拝に言及したのはこれがはじめてといわれます。他方、胡錦涛主席は福田長官との会見で、小泉参拝にふれることはありませんでした。
しかし中国の公式報道では違っていました。胡錦涛主席は参拝問題に「ふれなかった」のではなく、日中共同声明など「三つの重要文書の原則と精神の遵守」を主張したことになっています。といっても、江沢民ばりの強硬姿勢というのでもなく、対日関係を重視する新思考外交の方針を表明したのでした。
そうした胡錦涛政権の姿勢は、温家宝首相の発言にも現れています。中国政府の発表では、温家宝首相が福田長官に靖国参拝問題を直接語った、という記事は見られません。逆に、平和友好条約締結当時の亡父・赳夫氏の貢献を激賞し、「平和友好条約の原則と精神」を確認したうえで、「歴史を鑑として未来に向かう」という江沢民以来の常套句のほかに、新政権独自の「戦略的視点から両国関係を捉え把握し、とくに歴史と台湾問題に善処し」という文言を付け加えたのです。
このとき中国政府は党序列上位の3人が福田長官と会談し、異例の厚遇をしました。首相の女房役であり、事実上の外相である福田長官に、江沢民時代とは違う新外交のサインを送ったのだと考えられます。
しかし、そのサインを福田氏は正確に受け止めることができたのでしょうか。どうもそうではないらしいことがきのうの「大局」発言に現れている、と私は考えます。
◇中国国内の動きが見えていない
第一に、福田氏は、中国が靖国参拝を批判する理由と背景が見えていないように思います。3年前は胡錦涛政権は靖国参拝批判を慎重に避けていました。それがおととしの11月以降は、胡錦涛自身が直接、言及するようになりました。その背景には何があるのでしょうか。
福田氏のきのうの発言は、批判の原因をつくっているのは小泉首相である、という発想が前提にあります。中国側の理由が抜け落ちているのです。もしかすると、何の得にもならない「反日」発言をせざるを得なくなっている中国の事情をご存じないのかもしれません。
あちこちで書いてきたことですが、いま中国の政権中枢ではすさまじい権力闘争が展開されているようです。対日強硬派は小泉参拝を政争の具に利用し、胡錦涛政権を揺さぶり続けています。いまや経済関係が深まり、日本の存在なくして国が成り立たない中国にとって「反日」が国益にかなうはずはありませんが、対日譲歩は「弱腰」の批判を招き、地位を危うくします。「対日重視」のはずの胡錦涛自身が小泉参拝批判をせざるを得なくなったのはそのためでしょう。
第二に、そのような胡錦涛政権の窮地を見据えたとき、福田氏のいうような「大局的判断」をもって、靖国参拝をしないということは、胡錦涛政権の延命には多少効果があるのかもしれませんが、逆に「大局」的に見て、日中双方の利益にかなうのかどうか、疑問があります。
中国といえば急激な発展ばかりが強調されがちですが、社会は「断裂」し、貧富の差は「世界最大」ともいわれます。危険水域を越えた社会矛盾は政権の土台を大きく揺るがしています。毛沢東以来の「大同(絶対平等主義)」の夢はとうの昔に破れ、共産党は国家指導者としての役割を果たせなくなっているといわれます。
これから中国に求められるのは、大胆かつ慎重な「民主化」の推進ではないでしょうか。胡錦涛がゴルバチョフになるかどうかです。そのために日本がどんな役割を果たせるかが問われているのではないかと思いますが、福田氏のいう「大局」とはそのようなものなのでしょうか。