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「退位の儀式など歴史にない」と明言した有識者は皆無──第2回式典準備委員会資料を読む 11(2018年6月25日)


 有識者ヒアリングの2番目の設問は、「天皇陛下の御退位に伴う式典のあり方」でした。

 これに対して、政府がまとめた資料によれば、4方とも共通して「国事行為として、国の儀式とする」「剣璽を安置する」と述べ、園部、所、本郷の三氏は「退位の事実を広く明らかにする儀式とする」「陛下のお言葉がある」いう意見で一致し、さらに石原、園部、所の三氏は「平成31年4月30日昼に実施」で一致したのでした。

 誰一人として、所、本郷両氏の2人の歴史家も含めて、皇室の長い歴史において「退位の礼」などないと明言した有識者はいませんでした。歴史上、あったかのように政府と口裏を合わせ、権力におもねった歴史家風の知識人がいるだけです。

 そんな有識者ヒアリングに何の意味があるのでしょうか。そんなことで、文明の本質に関わる御代替わりのあり方を決めていいのか、私は暗澹たる思いに駆られます。


▽1 「退位の儀式」は既定の事実?

 まず石原信雄氏の場合は、「退位の儀式」はもはや既定の事実となっているかのようで、「退位の儀式は国事行為として『国の儀式』として行うべきだ」「即位の儀式と同日というのは無理だ」「国事行為は明るい時間に行うものだ。国事行為のスタイルで行うべきだ」と確信的です。

 さらに、注目すべきは、「剣璽は神器ではない。政教分離とも関係ない」と言い放っています。皇室の歴史と伝統への敬意が、少なくとも私にはほとんど感じられません。御代替わりを論じる以前の問題です。

 もともと歴史家でもない石原氏に期待しても無理なのかも知れませんが、石原氏とって、「国の行事」とは何でしょう。国費を支出してやるから、つべこべ文句は言うなという調子のことなのでしょうか。それが125代続いてきた御代替わりなのでしょうか。

「内閣の助言と承認」のもとに、皇室の歴史にない「退位の礼」なるものを、陛下はなぜ在位の最後に無理強いされなければならないのか。皇室の儀式がなぜそこまで政治的干渉を受けなければならないのですか。そもそも国事と国事行為とは別物ではないのですか。

 次に園部逸夫氏は、「国民主権原則に沿うこと、政教分離原則に反しないことなどが求められる」「光格天皇の例などを参考にすることが大切である」「中心儀式として『退位を公に宣明されるとともに、国民の代表が感謝の挨拶をする儀式』として実施してはどうか」などと述べました。

 しかし、憲法の原則を持ち出すなら、摂政を置けばいいのであって、「退位」は否定されるべきです。「光格天皇の例を参考に」というのなら、「退位の礼」などあり得ません。結局、歴史に学ぶのはポーズに過ぎず、新例の創作に暴走せざるを得ないのでしょう。

 もともと譲位とは皇太子に皇位を継承することであり、譲位の「宣明」は国民に対してではなく、皇太子に対して行われるべきであって、践祚の式として連続して執り行われるべきではないのでしょうか。

 しかし歴史家でもないお二人には、糠に釘なのでしょう。問題は皇室の歴史に詳しいはずの残るお二人の意見です。


▽2 ヒアリングで豹変する態度

 つづいて所氏ですが、やはり「退位の儀式」が当然あるものとして意見が述べられています。

「退位を認識できる儀式は国事行為としなければならない」「そのためには4月30日の昼が相応しい」「退位の儀式と朝見の儀が考えられる」「前者は宮内庁長官が退位の趣旨を申し上げるだけでよい」「剣璽を帯同されるべきだ」などという具合です。

 すでに何度も申し上げてきたように、皇室の歴史において譲位即践祚であって、独立した「退位の儀式」などあり得ません。皇室研究家ならそんなことは常識でしょうが、所氏はなぜかそういう重大な指摘はなさらないのでした。

 以前、ご紹介した所氏の論考「光格天皇の譲位式と『桜町殿行幸図』」(「藝林」昨年4月号)は、貞観儀式の「譲国儀」や「光格天皇実録」を取り上げ、歴史上の「譲位・受禅」の儀式には、内裏を離れられる遷御、清涼殿での宣命、新主への祝賀の3段階があったと解説していました。

 光格天皇の譲位は仁孝天皇の践祚と一体的に、同じ日に、同じ場所で行われたことを所氏の論考は正しく指摘しています。ところが、政府のヒアリングではそのような客観的な史実が語られることはありませんでした。

 論文とヒアリングで歴史への態度が豹変するのは、なぜなのでしょう。「退位に伴う朝見の儀」を執行するというアイデアはどこから出てくるのでしょう。新儀の創出は歴史家として政府の要求に応えたことになるのでしょうか。歴史家として相応しい態度なのですか。


▽3 有識者とは「燃えないガソリン」か?

 最後は本郷氏ですが、やはり期待外れというべきものでした。

「退位の儀式は、即位の礼と同様、法律で定まった退位の事実を、儀式を通じて国内外に明らかにするという意義を持つと考えられる」と最初から「退位の礼」あるべしで固まっています。

 それにしても、皇室典範に「即位の礼」が規定されているから、「退位の礼」もあってしかるべきだというような論理はまったく非歴史的であって、歴史家の採るべき態度ではないでしょう。

 譲国儀は皇嗣に皇位が間断なく、安定的に引き継がれることが趣旨であって、譲位を「内外に明らかにする」ことではないはずですが、本郷氏は歴史の事実を語るより、今回の御代替わりに対する意見がもっぱら披瀝されています。

 いわく、「即位の礼が国事行為なら、退位の儀式も国事行為とするのが整合的だ」「今回は初めての事例であり、退位のお言葉を陛下が述べられるという形式がよろしい」「ご高齢の両陛下に、ご負担がかからないような配慮が欠かせない」などなど。

 半面、本郷氏が皇室の歴史に言及し、歴史家たる面目を保ったのは、政府の資料によれば、わずかに2点のみでした。

 1点は「過去の譲位は、天皇の崩御や政治的な事情等から準備期間をもうける余裕がなく行われることも多く、その手続きは、本来複雑なものではない」こと、2点目は「歴史的には、天皇をめぐる儀礼について、女性の参画を禁忌とする原則はなかったと考えられる」ことです。

 前者についていえば、光格天皇の場合は譲位の表明は10か月前でした。譲位の日時は約40日前に通達され、1か月前に内侍所で臨時御神楽の儀が行われ、光格天皇が出御されました。譲位前日には三関が封鎖され、当日は朝から総勢700人以上に及ぶ遷御の行列が仙洞御所まで続いたのでした。

 本郷氏が言うように「複雑なものではない」にしても、けっして「単純なものではない」でしょう。仙洞御所までの遷御の模様を描いた、上下巻合わせて40メートルを超える華麗な絵巻物が伝えられていることを、本郷氏が知らないはずはないでしょうに。

 後者についていえば、即位礼に男女の庶民が多数拝観していたことが近年、分かってきました(森田登代子『遊楽としての近世天皇即位式』)。明正天皇の「御即位行幸図屏風」(宮内庁所蔵)には、紫宸殿で挙行される即位礼を間近に拝観しながら、乳飲み子に授乳する女性2人が描き込まれているほどです。

 歴史を語らない歴史家とは、前号で論考を寄せてくださった佐藤雉鳴氏の表現を借りればまさに「燃えないガソリン」でしょうか。政府の人選が誤りなのか、逆に政府の意図を「忖度」できる、適材過ぎる適材なのか。それとも有識者と呼べる人材がそもそもこの国にはいないのか。それがゆえの今日の混乱なのか。

 歴史家たるものが、後世、歴史的な批判を受けることがないよう、祈るばかりです。

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