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「皇室典範改正」を勧告した国連の女子差別撤廃委員会に外務省が「拠出金停止」の対抗措置──皇室を国際政治の荒波に巻き込ませてはならない。むしろ天皇研究の深化を!!(令和7年2月2日)

(画像は1月31日、記者会見する岩屋毅外務大臣)

何やら大ごとになってきました。

国連の女子差別撤廃委員会が昨年10月、「男系男子継承」を定める皇室典範の改正を勧告したに対して、日本政府が昨年末、「削除」を要求する「日本の意見」を表明したことはすでに書いたところですが、今年1月27日に今度は外務省が強い対抗措置を委員会に伝えたというのです。委員会の事務方である国連人権高等弁務官事務所ヘの拠出金の使途から委員会を除外するというのですから穏やかではありません。

(1月29日配信の共同通信記事)

岩屋毅外相は1月31日夕刻の記者会見で、①我が国の考え方を繰り返し丁寧かつ真摯に説明をしてきたにもかかわらず、皇室典範に関する記述削除の要求が受け入れられなかったのは大変遺憾である、②そのことを重く受け止めて、政府として検討した結果、このような判断となった、③今回の措置はあくまで皇室典範改正の勧告に対して取ったもので、男女共同参画社会を実現する考え方に変わりはない、と述べています。

1月31日の岩屋外相会見@外務省HP〈https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/kaikenw_000001_00123.html〉

ちなみに岩屋氏はLGBT議員連盟の会長の職にあり、差別主義者ではないようです。

結論からいえば、外相の言い分はもっともだとは思いますが、対抗措置としては唐突さが否めず、もっと慎重な方法が採られてしかるべきだったのではないかと思われます。ことは皇室に関わる問題であり、エスカレートした挙げ句、国際政治の荒波に皇室が巻き込まれるようなことは避けられなければなりません。とりわけ慎重さが必要です。

いくつかのポイントを簡単に書きます。

まず、皇位継承のあり方に関する政府の考え方です。

岩屋外相は女子差別撤廃委員会の勧告の直後、昨年11月1日の会見で、①皇位継承の在り方は、国家の基本に関わる事項であること、②女子差別撤廃条約の趣旨に照らして、委員会が、我が国の皇室典範について取り上げることは適当ではないこと、③皇位継承資格は基本的人権には含まれず、皇室典範の規定は女子差別に該当しないこと、の基本姿勢を示しています。

11月1日の岩屋外相会見〈https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/kaikenw_000001_00103.html〉

いずれも第9回政府報告や勧告後の「意見」に示されたものと中身は同じですが、委員会はこれに納得していないらしいところに問題の核心があります。実際、最終見解は「委員会の権限の範囲外であるとする締約国の立場に留意する」としたうえで、典範改正を勧告しています。

それは、条約の正式名に明らかなように、「女子に対するあらゆる形態(all Forms)の差別の撤廃に関する条約」で、締約国は「女子差別を非難し,撤廃する政策を追求することに合意し,約束」(第2条)しているからでしょう。

23人の委員たちはいわば確信犯なのであって、その彼らを納得させ、翻意を促し、勧告を撤回させるためには、とおりいっぺんの原則論では不十分かと思われます。

ふたつ目は、日本政府の皇位継承問題に関する基本姿勢が変わったのかということです。

以前から何度も繰り返し書いてきたように、今日の女性天皇・女系継承容認=「女性宮家」創設の議論が具体的に始まったのは平成8年のことでした。鎌倉節宮内庁長官の指示で、庁内で基礎資料の整理・作成が開始されたのが最初で、やがて内閣官房が加わり、非公式検討が進み、そして皇室典範有識者会議が発足し、女性天皇・女系継承容認の報告書がまとめられ、今日に至っています。

とすれば、国連の委員会が皇室典範改正を勧告したことは政府にとっては改革への追い風であり、歓迎すべきことのはずです。ところが今回の勧告に対して、政府はこれ以上ない対抗姿勢を示しています。矛盾です。

いや、政府が女系継承容認=「女性宮家」創設を断念し、政策転換したというなら話は別です。改革の中心人物と目される渡邉允元侍従長も、園部逸夫元最高裁判事も、もうこの世にはいません。もしや女系容認論は棚上げされたということなのでしょうか? だとすれば、それはそれで、きちんとした公的説明が別個、必要になります。

3つ目は、天皇研究の深まりが早急に求められるいうことです。何度も書いてきたことですが、これこそ最大の難問です。

今回、委員会の会合で、保守団体の代表者が男系継承固守の伝統的立場から、「天皇は祭祀王である」と訴えました。まったくその通りなのですが、「祭祀王」天皇観と男系継承主義とはどのように関連するのでしょうか? そこを説明してくれる識者がいっこうに現れてくれません。だから議論が前に進まないのです。

天皇の祭祀に「宗教性がある」と断定し、宮中祭祀を「皇室の私事」に押し込める憲法解釈がいまや疑いもないものとなっています。その結果、平成、令和の御代替わりの諸儀礼は見るも無惨なほど、皇室の伝統から乖離したものとなりました。占領軍でさえ占領後期には卒業したはずの厳格な政教分離主義に縛られているからです。

カビの生えたような憲法解釈を克服する宮中祭祀論、「祭祀王」論がいまこそ必要なときはないでしょう。日本の皇室について十分な知識があるとも思えない国連の委員会のメンバーたちと無用な論争を闘わせるよりも、皇室研究者たちの奮起をあらためて促したいものです。


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