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女性天皇が認められない理由──男系が維持してきた無私なる祈りの連鎖(2007年10年30日)

(画像は令和の大嘗宮)

▼1 福田首相は皇室典範改正に積極的だが…


 平成19年9月の自民党総裁選のさなか、福田康夫首相(当時は総裁候補)は新聞インタビューに応え、天皇の皇位継承について定める「皇室典範(こうしつてんぱん)」が継承資格を男系男子に限定されていることについて、「今のままではすまない」と、改正に積極的な、従来からの姿勢をあらためて示しました。

 福田氏が官房長官を務めた小泉内閣時代、首相の諮問(しもん)機関として設けられた皇室典範有識者会議は「女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」とする報告書を平成17年11月に提出しています。

 歴史的に見ると、有史以来、皇室の不文の法に依拠していた皇位継承を成文化したのは明治22年の皇室典範で、「皇位は祖宗の皇統にして男系の男子これを継承す」と定めており、戦後の新しい皇室典範もこの男系主義を踏襲しています。

明治の皇室典範@国立公文書館


現行皇室典範@官報


 明治の典範が制定される過程では、ヨーロッパ王室の継承制度が参考にされ、女性天皇および女系継承を容認する動きがありましたが、結局、採用されませんでした。

▼2 女帝が継承すれば王朝が変わる


 たとえば明治憲法制定の中枢にいた井上毅(いのうえ・こわし)は、政敵であるはずの民間の言論団体・嚶鳴社(おうめいしゃ)の島田三郎が何年も前に書いた「女統女帝を否とするの説」を引用し、全面的に同意する意見書を書いています。

 島田は男系主義に反対する女帝容認論を想定したうえで、これをおおむね次のように批判していました。

「歴史上の女性天皇は推古(すいこ)天皇から後桜町(ごさくらまち)天皇まで8人10代おられるが、このうち独身のまま皇位を継承されたのは4人だけで、ほかはいったん結婚している。しかも皇位に就いたあと、時期を見て譲位(じょうい)するピンチヒッターに近い。
 また、日本と外国では事情が異なる。ヨーロッパの女王なら外国からお婿さんを迎えることができるが、日本ではできないし、国内にお婿さんを求めれば、天皇の臣下であって、なおかつ天皇の夫となることになり、天皇の尊厳を害する」

 また、井上毅の意見書は、さらに同じ嚶鳴社の沼間守一(ぬま・もりかず)の論を引用し、「イギリスでは女帝が継承すれば王朝が変わる。ヨーロッパの女系継承説を採用すれば『姓』が変わることを承認しなければならない。もっとも恐るべきことであり、まねるべきではない」などと女系継承否認論を展開しています。


▼3 天皇の祭祀の重みと厳しさ


 なぜ女性天皇、女系継承は認められないのか。それは皇位の本質と関わります。

 日本の天皇は万世一系の祭り主といわれます。神代にまで連なる歴代天皇は、国家と国民のために絶対無私の祈りを捧げてこられました。天皇の私なき祈りの連鎖こそ皇位の本質といえます。

 しかし愛する夫や子供があり、あるいは身重の女性が宮中祭祀(さいし)を務めるのは困難です。もっとも重要な新嘗(にいなめ)の祭りは、11月下旬の津々と冷える深夜に行なわれます。

平成25年の新嘗祭神嘉殿の儀(夕の儀)@宮内庁HP


 厳重なる潔斎(けっさい)の上、暖房などあるはずもない皇居の奥深い聖域・神嘉殿の薄明かりのなかで、神々と対峙され、絶対無私の祭りを務めることを、たとえば次の天皇をお腹に宿した妊娠中の女性天皇に要求できるでしょうか。

 有識者会議では「宮中祭祀の代行」について質疑があり、「今は昔より妊娠・出産の負担は軽い」という発言もあったと伝えられますが、天皇の祭祀の重みと厳しさを深く理解せずに、形骸化を促す愚論といえます。

 しかも祭祀を重視して、女性天皇が独身を貫かれるなら、女系継承はあり得ません。

 あえて女系継承を認めれば、神代にまで連なる、男系によって維持されてきた私なき祈りの連鎖がとぎれ、皇位の本質が失われるのです。


参考文献=「皇室典範に関する有識者会議報告書」平成17年11月24日、『大日本帝国憲法制定史』(大日本帝国憲法制定史研究会、明治神宮編、サンケイ新聞社、1980年)、小嶋和司「『女帝』論議」(『小嶋和司憲法論集2 憲法と政治機構』木鐸社、1988年)など


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