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天皇制をやめるんですか──伊藤智永・毎日新聞編集委員の皇室記事を読んで(令和2年1月5日)


明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

さて、年明け早々、毎日新聞(電子版)にたいへん刺激的な記事が載りました。伊藤智永編集委員兼論説委員による「象徴天皇制を続けますか」という、きわめて挑発的なタイトルの記事で、安倍総理に女系継承容認を迫っています。
〈https://mainichi.jp/articles/20200104/ddm/005/070/012000c?yclid=YJAD.1578199679.Vy2ZXbedcq1M8vrxPPrYksSnCWxVveI2L1yG26FDJPXdS5RehCgvbmhpy9kfZIreWAqjvzjUC6wuk88-〉

簡単に要約すると、平成元年は祝賀ムードで過ぎたが、先帝が投げかけた「宿題」は手付かずのままだ。皇室が絶える日は近づいている。先帝は1つの象徴像を模索され、示された。実現した御代替わりは象徴天皇制の成熟と評価される。しかし天皇がいなくなれば、憲法体系は抜本的改変を迫られる。世論も自民党内も女性・女系容認論が大勢を占める。安倍政権が大胆に決断すれば歴史に名を刻む、というわけです。

問題の核心は、象徴天皇制とは何か、です。そして、先帝と伊藤さんとでは意味が違うように私は思います。とすれば、結論は同じにはなりません。もう1つは、皇統の危機は間違いないとして、女性天皇・女系継承容認以外に方法はないのか、ということです。以下、検討します。


▽1 先帝の「象徴」と伊藤さんの「象徴」

伊藤さんによれば、先帝は皇太子時代から、憲法に記された象徴天皇像を模索してこられました。弱者や被災者らに寄り添う「旅」は「象徴がなすことを創造し、国民の敬愛を重ねて一つの『型』を打ち立て」られたものでした。しかし違うのです。

伊藤さんの「象徴」はあくまで現行憲法を出発点としていますが、先帝は違います。先帝は皇位継承後、機会あるごとに、「伝統」と「憲法」との両方を追求すると述べられています。

伊藤さんの記事には皇室の「伝統」が抜けています。古来、スメラミコトとして国の中心にあり、国と民を統合してきた天皇の役割への眼差しが欠けています。天皇は現行憲法公布のはるか以前から「国民統合の象徴」だったことが見落とされています。

先帝が問いかけられたのは、主権者たる「国民が皇室を存続させるつもりなら、今の皇位継承のしくみでは難しいですよ」というのではなくて、むしろ象徴天皇制の暗黙の前提とされているご公務主義、行動主義の評価ではないでしょうか。

現行憲法は、天皇は国事行為のみを行うと定めています。具体的にいえば、伊藤さんが例示する「首相と最高裁長官の任命、憲法改正や法律・政令・条約の公布、国会召集と衆議院解散、大臣や上級官吏の任免」がそれです。

伊藤さんが指摘するように、「天皇がいなくなったら、憲法体系の抜本改変は避けられない」ことになります。だから、と伊藤さんは論を進めるのですが、先帝が模索された象徴天皇像は、むろん国事行為のみを行う天皇ではありません。むしろ憲法には具体的定めのない、象徴的行為=御公務をなさる天皇です。そして、その御公務の背後にあるのは、ひたすら国と民のために捧げられた歴代天皇の祈りの蓄積です。

伊藤さんは、先帝が皇后とともに重ねられた「旅」によって象徴天皇像を「創造」し、国民はこれを敬愛して、1つの「型」が打ち立てられたと解説していますが、国民が敬愛するのは、憲法上の象徴ではなく、憲法の条文にはない、いわば非憲法的な天皇像なのです。

したがって、伊藤さんが指摘したように、天皇がいなくなれば憲法体系が破綻するというのではなく、すでに現行憲法が空文化しているのであって、法の不足分を補完してきたのが先帝の「旅」だったのではないでしょうか。憲法の象徴天皇像は日本の歴史と乖離しています。

126代続いてきた天皇は国民の知らないところで、国と民のために祈る祭り主でした。先帝が被災地で被災者に親しく声をかけられるのは、この祈りを行動に示された結果です。国民は先帝の行為の背後に見える、歴代の祈りの蓄積にこそ心を揺り動かされるのではありませんか。


▽2 皇室のルールを臣下が変えることの是非

皇室には皇室固有の皇位継承についてのルールがあります。男系継承はまさにそれでしょう。それは憲法上、主権者とされる国民が勝手に変えていいものでしょうか。これは憲法問題ではなく、文明上の問題です。

伊藤さんが仰せのように、天皇がいなくなったら憲法体系は崩壊するから、そうはならないように、国民主権の名のもとに、国民が、そしてその代表たる首相は決断すべきだと考えることは、その時点で、もはや天皇とはいえない、名ばかりの天皇を新たに作り上げることにならないでしょうか。

伊藤さんは、「象徴天皇が政治のモラルを担う安心感は、思いのほか大きい」「象徴天皇制は民主主義の欲望と傲慢さと愚かさを補う」と評価しますが、プラス面ばかりとは限りません。天皇が被災者たちを激励しなければならないのは、行政の無能、怠慢の裏返しではないのですか。

伊藤さんは、女系継承容認への決断を安倍政権に迫っています。改元の実現とあわせて、歴史に名を刻むだろうと誘っていますが、まったく逆ではありませんか。

今回の改元は、古来の代始め改元とはまったく異質の、いわば退位記念改元でした。女性天皇は過去に確かに存在しますが、夫があり、あるいは子育て中の女性天皇は歴史に存在しません。まして歴史にない女系継承を国民主権を名目に容認したとして、皇配選びや御公務のあり方についてどう考えるのでしょうか。

天皇の配偶者となれば、いろいろな条件が求められるでしょう。家柄も問われます。その子孫にも継承権が認められるには、皇配にも皇族性が求められるでしょう。しかしここで矛盾が生まれます。皇配は女性天皇より皇位継承順位の低い遠系の男子でなければなりませんが、それなら近系の女子を優先するより、遠系の男子が皇位を継承すべきだからです。

伊藤さんもよくご存知のように、史書によれば、25代武烈天皇が皇嗣なきまま崩御されたのち、皇位を継承された継体天皇は15代応神天皇の五世孫で、即位後、武烈天皇の姉手白香皇女を皇后とされました。200年前の119代光格天皇の皇后は先帝後桃園天皇の第一皇女です。これが皇室のルールです。勝手に変えるべきではありません。

伊藤さんが指摘するように、先帝は1つの象徴天皇像を示されました。近代主義的行動主義、御公務主義というべきものですが、それには2つの限界がありました。

1つは御公務の件数が無限に増えていく可能性です。毎日新聞の写真展にお出ましになって、他社の美術展にはお出ましにならないというわけにはいかないからです。2つ目は、健康と体力が絶対的要件だということです。老境に達せられた先帝が譲位を決断された理由こそまさにこれでした。

先帝が「宿題」とされたのは、伊藤さんが仰せの、皇位継承の仕組みではなく、126代続いてきた古来の天皇制とは異なる、現行憲法が定める象徴天皇制での多忙を極める御公務のあり方です。つまり、天皇とは何だったのか、天皇のお務めとは何か、です。

先帝の御在位20年を過ぎたころから、宮内庁は御公務御負担軽減策に取り組みました。しかし、見事に失敗しました。文字通り激減したのは宮中祭祀であり、御公務は逆に増えました。失敗の責任を問うこともせずに、女性天皇はまだしも、歴史にない女系継承容認に挑戦することは論理の飛躍であり、角を矯めて牛を殺すことになりませんか。いやむしろご主張の目的はそこにあるとみるのは穿ち過ぎでしょうか。

憲法は皇位の世襲を定めています。dynasticの和訳でした。王朝の支配がもともとの意味です。必然的に王朝の変更をもたらす女系継承容認は、憲法に違反します。伊藤さんは皇室の伝統にも憲法にも反しない、男系の絶えない仕組みを、なぜ模索しないのですか。

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