台湾先住民の「粟の祭祀」調査。男系派こそ学びたい戦前の日本人の探究心(令和3年3月23日、火曜日)
▽1 オウンゴールをもたらす知的探究の不足
前回、皇位が男系で継承される理由は、天皇が祭り主であること、天皇の祭りが天神地祇を祀る多神教儀礼であることにあるなどと指摘したが、天皇が多神を祀り、祈ることは当然、米のみならず、米と粟を捧げて祈るという、皇室第一の重儀たる新嘗祭の中心儀礼の祭式と密接不可分の関係にある。「米と粟」を考えることなくして、皇統の男系主義の理由を探ることはできない。
新嘗祭、大嘗祭がもし皇祖天照大神のみを祀り、皇室の弥栄を祈る一神教的な神事であるなら、天孫降臨神話に基づいて、大神を祀る賢所に稲の初穂を捧げて祈れば、それで十分のはずである。しかし実際は、祭神も祭場も祭式も多神教的に厳修され、それこそが天皇のお務めとされてきた。古代律令に「およそ天皇、即位したまはむときはすべて天神地祇祭れ」(神祇令)と明記されたとおりだ。
つまり、祭りの根拠を神勅にあるとする一神教的かつ演繹的な考えでは天皇の祭祀の実態を説明することはできない。したがって、一神教的見方を変えなければ、祭り主天皇の本質は理解できず、男系主義の意味も捉えられない。
ところが、まことに残念なことに、「米と粟」の客観的事実すらいっこうに理解が進まず、女系派はいうに及ばず、男系派も「稲の祭り」に固執している。大嘗祭が「米と粟の祭り」であることをいち早く指摘してきた研究者でさえ、「飢饉対策」と説明するばかりで、本義を深く理解しようとしない。これでは天皇の祭祀の実態から皇位継承の原理を探究する学問的アプローチなど夢のまた夢である。
とりわけ男系派を自認する知識人は自らの不明を自覚し、恥じることなくして、目の前の皇位継承問題を解決することは不可能だということを肝に命ずるべきだ。天皇の祭祀について謙虚に学び直すことなくして皇位の男系継承を守ることは不可能である。
その点、意外すぎるほど、戦前の日本人の方がはるかに学究的だった。以下にご紹介する、台湾先住民の「粟の祭祀」に関する調査報告書がそのことを端的に物語っている。
男系派の知識人には、戦前の日本人にもまさる知的意欲がいまこそ求められているのではないか。旺盛な学問的探究心を失えば、オウンゴールをもたらすだけである。もうこれ以上、敵失の山を築くのはやめるべきだ。
▽2 天皇はなぜ粟を供されるのかを探れ
天皇の祭りは秘儀とされてきた。卜部兼豊「宮主秘事口伝」には「大嘗祭者、第一之大事也、秘事也」(元治元年=1415年)と書かれている。このため平安前期の「貞観儀式」も大嘗宮でもっとも重要な神饌御親供について、「亥の一の刻、御饌を供す。四の刻、これを撤す」と記述するばかりで、詳細は略されている。
けれども一方、祭祀に直接関わる人たちが書き残した資料には、「米と粟」が明記されている。たとえば、京都・鈴鹿家に伝わる「大嘗祭神饌仮名記」(宮地治邦「大嘗祭に於ける神饌に就いて」)は、「御はん、稲、粟を三はしづつ、枚手に盛らせたまひて」と生々しく記録している。祭祀関係者は天皇の祭祀が「稲の祭り」ではなくて、「米と粟の祭り」であることを知っている。
ところが、近現代の文献には「粟」が見出せない。もともとが秘事であり、一般人の知らぬ間に、「米と粟の祭り」は「稲の祭り」に書き換えられている。平成の御代替わりに内閣官房、宮内庁がそれぞれまとめ上げた公式記録は、大嘗祭を「稲作社会の収穫儀礼」と説明しているのみである。
むろん祭祀から「粟」が消えたわけではない。昭和天皇の祭祀に携わった宮内省掌典の八束清貫は、「(新嘗祭の神饌で)なかんずく主要なのは、当年の新米・新粟をもって炊いだ、米の御飯(おんいい)および御粥(おんかゆ)、粟の御飯および御粥…」(八束「皇室祭祀百年史」=『明治維新神道百年史第1巻』1984年所収)と解説している。
また、昭和、平成期に天皇の祭祀に関わった掌典職の職員らによると、ほとんど知られていないことだが、宮中三殿での祭祀は米が神饌に供される一方、神嘉殿の新嘗祭および大嘗祭の大嘗宮の儀では米と粟が捧げられるという。
実態として昔も今も皇室第一の重儀は「米と粟の祭り」であるのに、なぜ「粟」の存在は無視されるのか。そもそも粟とは何か、なぜ天皇は粟を捧げて祈られるのか、皇位継承の核心に関わることであるならば、男系派は是が非でも科学的に探究すべきである。
▽3 台湾総督府の学術報告書に載るパイワン族の「粟祭」
国会図書館のデジタルコレクションに、台湾総督府蕃族調査会が調査し、まとめた『番族慣習調査報告書』『蕃族調査報告書』と題するレポートが何冊か収められている。そのなかの『番族慣習調査報告書 第五巻第三冊』(大正11年)には、台湾原住民のひとつ、「ぱいわぬ族」(パイワン族)の宗教・祭祀について記述されている。
同書によると、パイワン族は宗教面において、ほかの種族と比較して、きわめて進歩しているのだという。霊の存在を信じ、霊に対して飲食を供して祀り、祈願する慣習を持っている。
祭祀の種類はとくに多く、祖先祭祀のほか、雨乞いなど天候に関するもの、土地の異変や集落の凶事を鎮める祭祀などがある。
農業に関する祭祀として、まずあげられるのは粟に関する祭祀で、播種前祭、播種後祭、収穫前祭、収穫後祭の4種があり、収穫後祭は、もっとも重視される祖先祭祀の「五年祭」に次ぐ大祭として位置づけられている。日本人には「粟祭」として知られ、五年祭と同様、共同で行われる。
祭祀において霊に捧げられるのは、祖先が常日頃、食していたもので、常儀では豚の脂肪や骨が用いられる。盛儀では、このほか粟の穂、粟酒、粟餅、さらに豚の生贄が捧げられる。
粟や稗、芋に関する祭祀が行われるのは、これらがパイワンの主食物だからである。彼らが信ずるところでは、粟などをつかさどる神霊がいて、上天にあって下界を照らし見て、作物の稔りを保護している。そのため豊穣を願い、災厄のないよう祈りが捧げられる。
粟に関する祭祀は、農作物に関する祭祀のなかでとくに重視され、どこでもかならず行われる。収穫後祭は収穫ののち数日にわたって行われ、粟の団子が作られ、これを石焼きにし、また粟の雑炊が作られ、新粟が粟神と祖先に捧げられる。
日本の「常陸国風土記」には民間に「粟の新嘗」があったことが記述されているが、パイワンの粟祭とのつながりはあるのか。滋賀県大津市・日吉大社の山王祭には「粟津御供」が登場し、古人が土地の神に粟飯を供したことを今に伝えているが、パイワン族との共通性はあるのだろうか。
▽4 女性天皇・女系継承容認を阻む祭祀研究の深まり
私が宮中祭祀の「米と粟」に興味を持ったのは、平成の御代替わり時に、大嘗祭について解説するため、神社本庁が編集発行したパンフレットを手にしたことだった。
大嘗祭は「稲の祭り」ではなく、「米と粟の祭り」であることが正確に説明されていたのは、さすがであった。致命的な誤植があったのは残念だが、そのおかげで「米と粟」は、私の脳裏に強烈な印象を残してくれた。
しかしなぜ米だけではなく、米と粟なのか、粟とは何か、神道人も神道学者も教えてはくれなかった。考えるヒントを与えてくれたのは、民俗学者であり、文化人類学者だった。いち早く「米と粟」に注目した神道学者は多くを語らず、近年の解説は科学的センスが感じられるものではない。
粟の新嘗に関する神道学上の文献は、私が知るかぎり1本しかない。それだけではない。平成の御代替わりの諸儀礼に掌典として参加した著名な神道学者が残した解説書は、資料編では「米と粟」を正しく記録しながら、本文では「稲作儀礼」と説明していた。なぜそうなるのか、まったく理解に苦しむ。
そのことからすると、台湾総督府が台湾先住民の粟の祭祀について調査報告していたのは、いやでも高く評価される。男系派は先人たちの知的探究心を謙虚に学ぶべきではないか。繰り返しになるが、学問的な未熟が敵失をもたらし、過去にない女系継承容認論の跳梁跋扈を招いてきた。その失敗をこれ以上、繰り返してはならない。天皇の祭祀についての知的探究こそ、女性天皇・女系継承容認の防波堤となる。