批判されるべきは「陛下をお父さんと呼ぶ」と書いた佐野眞一氏なのか? 皇室の権威失墜の主因はむしろ宮内官僚ではないか?──尊厳を守るべき藩屏の不在(2009年03月03日)
(画像はお誕生日会見に臨まれる殿下。宮内庁HPから拝借しました。ありがとうございます)
▽1 皇太子殿下までが…
予定を変更して、先週の続きを書きます。
先週は皇太子殿下のお誕生日会見を取り上げました。急性の病変であるはずの今上陛下の御不例の原因が、宮内庁長官の所見、さらにマスコミ報道によってねじ曲げられていることなどを指摘しました。
うっかりして気づかなかったのですが、この会見では非常に注目すべき発言が殿下の口から飛び出しました。
第3問の妃殿下の療養に関する質問に対して、殿下は「これまでできなかった公務もできるようになってきた」と語られたのですが、そのなかで「公務、祭祀のいずれについても」と表現され、祭祀が公務ではないかのように表現されています。
このメルマガの読者ならすでにご承知の通り、順徳天皇の「禁秘抄」に「およそ禁中の作法は神事を先にす」とあるように、祭祀こそ皇室第一のお務めですが、宮内庁は祭祀をご公務とは認めていません。宮内庁の考え方に殿下ご自身が大きく影響されてしまっているのでしょう。
天皇・皇室に関する正統な情報・知識が現在の日本社会にいかに不足しているか、をあらためて痛感させられます。
▽2 皇室の権威を誰が失墜させているのか?
この皇太子会見の前日、宮内庁のホームページに久しぶりにマスメディア批判が載りました。
「文藝春秋」(2009年)3月号に掲載された佐野眞一「元号『平成』決定の瞬間」の記述に誤りがある、というのです。
記事は新憲法下での改元がどのように行われたのかを検証しているのですが、その末尾に、佐野さんは「平成に皇后となった美智子妃は、天皇のことを公的な席では『陛下』と呼び、プライベートな場所では『おとうさん』と呼んでいる」と記述されているのでした。
これに対して宮内庁は、「この一点をもって『何事も輪郭線のはっきりした昭和と、不透明で閉塞感に覆われた平成の違いを物語る皇室がらみのエピソード』とし、さらに、香淳皇后が昭和天皇を『お上』と呼ばれたことと対比しつつ『わずか20年の間のこの呼称の変化には、昭和の重圧を脱却した平成の開放感が象徴されている。それだけではない。そこには、皇室の権威失墜の兆候が、それ以上の強いインパクトで刻まれている』と結論付けているのは、全く事実に反することを記述した上で、それに基づいて論を進めていることであり遺憾である」というのです。
佐野さんの記事には、皇太子妃殿下が、皇太子殿下を公的な場では「殿下」と呼び、家庭では愛子内親王に「パパ」「ママ」と呼ばせているとも書いているのですが、これについては宮内庁は何の反応も示していません。
オクのことについてあれこれと語ることは詮無いことでしょう。佐野さんのいいたいのは「皇室の権威失墜」です。その「兆候」をどこに見るかは人それぞれですが、その主たる原因があたかも皇族の内部にあるかのような発想・論理には大いに疑問を感じざるを得ません。
皇族の内部ではなく、外部に、いいかえれば宮内庁組織の内部、つまり佐野さんの記事の誤りを批判している宮内官僚に、原因は求められるべきだと私は考えます。皇室の尊厳を守るべき藩屏(はんぺい)が見当たらないのです。
批判されるべきは佐野さんではないと私は考えます。