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井上清・京大名誉教授の「元号廃止論」を読む──時代のニーズに追いついていない学問研究(2018年9月16日)
▽1 元号への拒否感
来春の御代替わりに伴う改元について、政府は1か月前に新元号を事前公表し、践祚(即位)当日の5月1日に改元することを決めています。
これに対して、保守派のなかから「事前公表」への反対論が出ています。これは改元の権限が本来、誰に帰属するのかというきわめて本質的な議論を含んでいますが、盛り上がりに欠けています。
理由は反応があまりにも遅すぎるからだけではありません。いまや日本だけの文化ともいわれる元号を忌避する現象さえ起きています。
たとえば全国紙のサイトをのぞくと、朝日や毎日、日経はもちろん、保守派と見られている産経でさえ西暦を使用し、トップページに年号を使用しているのは読売だけです。こんな状況では、国民的な議論が深まるはずはありません。
政府自体、腰が引けています。すでに元号法の審議過程から「元号の使用を国民に義務づけるものではない」と繰り返していたくらいですから、何をか言わんやなのです。
それだけ元号に対する根強い拒否感があるということですが、何がそうさせるのか、あらためて考えみます。
ここでは、井上清京大名誉教授(日本史。故人)の『元号制批判──やめよう元号を!』(明石書店。1989年。蛇足ながら、この本の奥付も西暦表記です)をめくってみることにします。
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▽2 古代中国のモノマネか
井上先生の著書の「はしがき」に、昭和から平成への御代替わりが迫っていた昭和63年11月、井上先生たち反対派が出した「年号制をなくそう!」なる声明文の全文が掲載されています。先生の説明では、発起人は数十名、起草者はほかならぬ先生でした。
先生たちが、年号(元号)使用の強制に反対するだけでなく、公文書での不使用を提唱し、さらに年号制そのものをなくせと主張するのには、4つの理由がありました。
1つは、「紀年の方法としては不合理きわまる」ことです。年号だけでは歴史的事象の先後関係を知ることができないし、一世一元の制が採用された明治以後も数代にわたる年代を表示できず、これでは紀年法に値しないというのです。
それなら、なぜそのような紀年法が採用されたのかといえば、古代中国の制度をそっくり移入したモノマネだというのが先生のお考えです。万物を支配する「天」の子が皇帝であり、皇帝が空間と時間を支配するという考え方が採用され、元号を制定する天皇が国民を縛り付ける制度となったというわけです。
しかし、漢字の導入や仏教の伝来がそうであったように、年号の採用は単なるモノマネではないように私は思います。年号は朝鮮やベトナムでも採り入れられましたが、それは古代中国のモノマネというより、漢字や仏教と同様、世界基準と考えられたからではないでしょうか。
一方で、上山春平・元京大教授(哲学。故人)が指摘したように、古代中国の易姓革命の思想は日本では受け入れられませんでした。日本の古代律令制では、ご本家の三省六部とは異なり、太政官と神祇官が並立する二官八省が採用され、政治権力は天皇から太政官に委任されました。けっしてモノマネではありません。
井上先生がご指摘のように、9世紀末から10世紀初めになると、日本の改元は「瑞祥改元」から「災異改元」へと変化していきました。なぜなのでしょうか。
先生は天皇の権力・権威を強調する、古代中国の後追いだと説明していますが、そうでしょうか。日本の天皇制がその程度のものなら、それから千年以上、いまに到るまで存続し得たでしょうか。
中国のモノマネの年号は廃止し、西洋のモノマネの西暦は採用し続けるというのは、論理的ではありません。大和言葉と漢語、在来信仰と仏教というように多様性の共存こそが日本という文明かと思われます。
▽3 天皇嫌いの感情論
2つ目は、年号制が日本国内でしか通用しないという限界性、閉鎖性です。諸外国と交際できないし、平等で対等な交通の障害となり、国際感覚を妨げ、逆に排外意識を育てるというのです。
たしかに日本の年号は日本でしか通用しません。いまでは日本だけが年号制の唯一の採用国です。仰せの通りです。
けれども、先生が主張される年号論、いや、むしろ天皇論といった方がより正確かも知れませんが、お考えからすると、各国の独自の歴史と文化はすべて価値が否定されることになりませんか。イスラムにはイスラムの、仏教国には仏教国の紀年法があるのは、認められないことでしょうか。
世界の国々が同一の文化を持つから対等に交流できるのでしょうか。そうではなくて、それぞれの国や民族が持っている独自の文化に大きな価値があることを互いに認め合うからこそ、平等な国際関係を保つことができるのではありませんか。
たとえば最近では、驚いたことに、日本の「昭和歌謡」を愛好する外国人も増えているようです。日本人に排外意識が芽生えるどころではありません。
3つ目は、以上の2つの理由は明白なことであって、実際、元号廃止論は天皇尊崇主義者にも、合理性・国際性を持つ学者や国際的な資本家にも少なくないということです。
しかし、上山春平元教授が「大嘗祭は第一級の文化財」と仰せになったように、年号もまた日本の伝統的文化財です。元号は不便で、世界に通用しないから廃止するというのではなくて、西暦と併用すれば済むことです。
井上先生の元号廃止論は、単に天皇が嫌いだという感情論に聞こえます。
▽4 天皇の絶対的権威?
4つ目は、まさにその天皇論で、井上先生は、年号制は政治的思想的に天皇の絶対的権威を高め、その下に国民を統合する強力な作用があることが期待されているからこそ、政府・自民党は年号制を強行するのだと断言しています。
しかし、もし政府・自民党が絶対的な天皇の権威を高めようと企てているのなら、新元号の事前公表などしないのではありませんか。天皇の権威を重んじるなら、新元号の決定は践祚後、新帝のもとで行われなければなりません。いまの政府の姿勢は天皇の権威を高めるものとはいえません。
さらに井上先生の批判は、国家神道、教育勅語、皇国史観、現人神天皇、現代軍国主義へと広がっていき、元号論を超えています。
大正2年生まれで、羽仁五郎の指導を受け、マルクス主義の洗礼を受けた先生が天皇制批判に走るのはごく自然かも知れませんが、日本の天皇は古来、絶対的存在などとはほど遠かったはずです。
にもかかわらず、先生が多感だった昭和前期に、「天皇は現御神である」(「国体の本義」文部省。昭和12年)とされるようになったのはなぜか、むしろその経緯と理由をこそ歴史学者として探求すべきではなかったでしょうか。
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さて、いっこうに議論が深まらないまま、御代替わりは来春に迫りました。御代替わりのあり方についての議論だけではありません。国家神道論、天皇論そのものに関する学問研究が時代のニーズにまったく追いついていないのです。