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御在位30年。毎日、読売、産経社説への違和感──象徴天皇、国民主権、平和主義、そして宮中祭祀(2019年3月4日)

(画像は御在位30年記念式典。官邸HPから拝借しました)


 先月24日、陛下の御臨席のもと、政府主催の御在位30年記念式典が開かれた。翌日、読売や毎日などの全国紙がお言葉などについて、社説で取り上げているので、読んでみたい。陛下が仰せの「象徴天皇」などについて、各紙の捉え方にどうしても違和感を禁じ得ないからだ。

 最初にお断りするが、ここで扱うのは毎日読売産経の三紙である。30年式典は御代替わりを直前にした大きな節目だが、なぜか朝日や日経は社説に取り上げなかった。

 陛下のお言葉は、8分以上におよんだ。

 祝意への感謝に始まり、「戦争を経験せぬ時代」ながら「困難に満ちた」30年を振り返られ、「グローバル化する世界の中」での日本の未来を展望された。また、「憲法で定められた象徴」天皇像への模索について言及され、支持してくれた国民への謝意を表明された。そのあと、被災地の人々や内外の支援者への思いを語られ、最後に国内外の人々への祈りの言葉で結ばれた。


▽1 陛下にとっての「象徴」



毎日の社説はずばり、「象徴天皇としての責務を自らに課してきた信念と、国民への感謝の気持ちが強く伝わるおことばだった」とつづった。

 社説によれば、「陛下は、象徴天皇制の現憲法下で初めて誕生した天皇である」。陛下は、御即位のときに「『皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たす』と表明」されたのであり、「国民主権の時代に『象徴』とはどうあるべきか」「象徴像を懸命に問い続けてきた」のである。

 また、社説によれば、陛下は「平和を求める気持ちを改めて示した」のだった。この30年間は、お言葉にあるように、「近現代において初めて戦争を経験せぬ時代」なのである。

 毎日の社説は、平成の御代を、明治憲法下の戦前期、あるいは昭和の時代とは本質的に異なる新時代だった、という暗黙の前提のもとで書かれていることが明らかである。

 であればこそ、「自分の後継者について『次の時代、更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています』と語った」ことにされている。

 毎日の社説にとっては、今上陛下は、日本国憲法、国民主権主義、象徴天皇制、平和主義の使徒なのである。

 なるほど一見するとお言葉はそのように読めそうだが、陛下がおっしゃりたいのは違う、と私は思う。重要な部分が抜け落ちているからである。


▽2 歴代天皇の祈りが抜けている



 陛下はただ単に「象徴天皇像を模索」されてきたのではない。

 陛下はお言葉で「即位して以来今日まで,日々国の安寧と人々の幸せを祈り,象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました」と語られたし、お言葉の最後はやはり「我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」という「祈り」であった。

 しかし、社説にはこの「祈り」が完全に抜けている。

 陛下が即位後朝見の儀で語られたのは、「大行天皇の御遺徳に深く思いをいたし,いかなるときも国民とともにあることを念願された御心を心としつつ,皆さんとともに日本国憲法を守り」であって、単に「憲法を守り」ではない。

 つまり、陛下はご即位以来、歴代天皇と同様に、つねに国民の幸福を祈りつつ、同時に、憲法の遵守を誓ってこられたのである。毎日の社説には、お言葉への国語的読解力とともに、千年を優に超える歴代天皇の祈りの蓄積への認識がまったく欠けている。

 その結果、社説の中身は一面的なものとなっているのではないか。

 社説が指摘するように、陛下はお言葉で「これから先,私を継いでいく人たちが,次の時代,更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め,先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています」と語られ、その前日、御年59歳となられた皇太子殿下は記者会見で「その時代時代で新しい風が吹くように、皇室のあり方も時代によって変わってくると思います」と述べられた。

 毎日の社説はこれをもって、「象徴像は時代状況によって変わる。次の時代にふさわしい象徴像を、新天皇とともに築くのは、主権者の国民である」と結論づけるのだが、「主権者の国民」は125代続いてきた天皇の祈りの重みを理解できないほど愚かなのだろうか。

 陛下が仰せの「象徴像」、そして殿下が仰せの「新しい風」には、何代もの御代替わりを経てきた歴史の重みがあるのに、日本でもっとも古い歴史をもつ新聞でさえ、それが理解できないか、理解しようとしない。それこそがまさに、陛下が仰せの「困難」に通じていると思う。

 平成の御代替わりののち、宮内庁は「平成流」を流行らせようとした。そのため、当時、私が関わっていた総合情報誌の編集部に、宮内庁幹部が盛んにアプローチを試みていた。けれども、そのあと陛下ご自身が「平成流」を否定された。今度は「新しい風」なのか。


▽3 「新たな息吹」と憲法との整合性



読売の社説は、冒頭で「平和の尊さ」を指摘し、式典で陛下の琉歌が披露されたことに言及した。お歌はハンセン療養所でのご体験に基づいている。読売は、毎日が歌が生まれた経緯の解説にとどまったのとは異なり、ハンセン病患者に寄り添う皇室の古来の歴史に触れている。

 歴代天皇と同様に、国民に寄り添い、安寧を祈ることが、「象徴天皇としての姿を体現されてきた」と読売の社説は理解している。毎日とはここが違う。

 読売は他方、皇太子殿下が前日のお誕生日に際して、「国際親善とそれに伴う交流活動も皇室の重要な公務の一つ」と会見で述べられたことに触れ、「平成の象徴像を継承し、新たな息吹ももたらされるだろう」と指摘しているが、憲法との関係について掘り下げることはしなかった。

 日本国憲法は皇室外交を予定していない。憲法に規定される、天皇の国事に関する行為は、「外国の大使及び公使を接受すること」のみであり、積極的な外交上の行為は期待されていない。実際、戦後、天皇の御外遊は答礼として始まった。憲法論議を回避するためだった。

 読売は皇室外交と憲法の規定との整合性をどう考えているのだろう。憲法の規定にはない皇室外交の積極的展開を、手放しで支持するのだろうか。

 そうだとすると、社説が他方で、御代替わり儀式の伝統と憲法の規定との整合性について、厳しく指摘していることと矛盾しないだろうか。

 社説はこう書いている。

「重要なのは、皇室の伝統儀式と憲法の整合性だ。皇位を証す剣や曲玉などを、天皇陛下が皇太子さまに直接、渡したと映らないよう、政府は『退位礼正殿の儀』と『剣璽渡御の儀』を分離した。
 天皇自らが皇位を譲る形式を排したのは、天皇の政治的権能を否定している憲法を踏まえた結果だ。合理的な判断である」


▽4 譲位と即位の分離を憲法は要求しているのか



 読売の社説によれば、国民主権主義と整合させるために、政府は皇室の歴史にない「退位の礼」なるものを創作したことになる。宮内庁はそのために、貞観儀式などの古典解釈をねじ曲げ、ありもしない退位の儀式を歴代天皇が行ったかのようにリポートしたことになる。

 表現の自由、信教の自由の保障を謳っている日本国憲法は、皇室の歴史の改竄や儀礼の新作をはたして要求しているのだろうか。

 皇室の歴史において、譲位(退位)と践祚(即位)は一体である。剣璽は古代から皇室に伝わる神聖な御物であって、国民を代表する政府に帰属するものではないはずだ。読売の社説によれば、退位の礼ののち、剣璽は総理官邸にでも遷されるのだろうか。

 今回の御代替わりについて、政府は憲法の規定に沿うとともに、皇室の伝統を守ることを基本方針としている。日本国憲法は天皇の政治的権能を認めていない。というより、そもそも天皇の権能とは権力政治を超越したところに存在するのであって、政治を超えた天皇の御位が皇太子に譲られる行為は政治的なのだろうか。

 皇室の伝統に従って皇位継承が行われないことを日本国憲法が求めているのだとしたら、改められるべきはむしろ憲法の規定ではないだろうか。従来、憲法改正の必要性を主張してきた読売は、むしろ問題提起すべきではなかろうか。

 読売は最後に、「新元号」に触れている。「平成改元時の選定手続きを踏襲し、即日公布される。政府は、国民生活の混乱を最小限に抑えるよう、万全の手立てを講じてもらいたい」というのだが、事実認識に誤りはないか。

 手続きだけならまだしも、「平成」の場合は「即日」ではなく、「翌日」の改元だった。近代以後、いや平安以後、歴史上、「即日」改元は「昭和」しかない。登極令に基づく初例となった「大正」の改元は、じつのところ明治天皇崩御の翌日であった。

 今回の場合、「即日」改元なら前例踏襲にはならない。なぜ「即日」でなければならないのか、社説には何の説明もない。


▽5 せっかく祭祀に言及したのに



産経の社説は、毎日や読売と違い、「国と国民の安寧と幸せを祈る天皇の務め」を強調し、「全身全霊で果たされてきた陛下に感謝を申し上げたい」と述べている。さすがの見識だと思う。

 サイパンやペリリュー、沖縄での祈りに言及し、「沖縄への思いは、昭和天皇から引き継がれている」と指摘したのは、二紙とは一線を画している。

 さらに、「宮中祭祀についても、もっと知っておきたい」と筆を進めたのは立派だが、「陛下は、収穫を祝う新嘗祭などを、厳格に心を込めて執り行ってこられた」は、正確さに欠けるのではないか。

 歴代天皇と同様に、今上陛下が祭祀を厳修されたのは事実だろう。だが、新嘗祭はけっして「収穫祭」ではないと思う。皇祖天照大神への収穫の祈りなら米の神饌で足りるし、実際、賢所での祭祀は稲の祭りである。だが、新嘗祭や大嘗祭は米と粟が同時に捧げられる。

 米だけではないのは、粟の民、粟の神、粟の信仰が前提になっているからであり、米と粟を大前に捧げ、直会なさるのは、収穫を祝う宗教儀礼というより、米の民と粟の民のために祈る国民統合の儀礼だからではなかろうか。なぜ御代替わりに「収穫の祝い」を執り行わなければならないのか、教えてほしい。

 陛下はお言葉で、「グローバル化する世界」についてお話になり、国の将来を見据えられたが、日本はすでに移民社会に仲間入りしている。民族的多様性が急速に現実化するなかで、皇室が果たすべき国民統合の役割はますます増していくということだろうか。

 とすれば、その観点からこそ、天皇の祭祀は再認識されるべきではないか。「収穫の祝い」では話にならない。

 もうひとつ、今上陛下が御即位後、皇后陛下とともに祭祀について学び直され、祭祀の正常化に努められたのは事実だろうけど、御在位20年ののち、側近らの建言をきっかけに祭祀簡略化が起きた。昭和の祭祀簡略化の再来だった。

 ご健康問題、ご公務ご負担軽減が理由とされたが、結果として祭祀のお出ましばかりが削減され、いわゆるご公務の件数は逆に増えていった。ご負担軽減は大失敗だったが、宮内官僚の責任は問われなかった。それどころか、ご負担軽減問題は、皇室の歴史にない「女性宮家」創設のための理由にすり替えられた。

 陛下が「譲位すべきだと思う」とのお考えに至った背景には、ご自身しか携われない四方拝や新嘗祭の簡略化問題があったのではなかろうか。

 毎日や読売と違って、古来、天皇第一の務めであるとされてきた祭祀のついて、真正面から言及した産経としては、ぜひその点を指摘し、掘り下げ、問題提起してほしかった。そこが御代替わり最大のテーマのはずだから。

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