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宮中新嘗祭「粟の御飯」の調理法への疑問。うるち粟だけでは竹折箸でつまめない(令和4年11月6日、日曜日)


前回、書いたように、宮中新嘗祭の粟の御飯(おんいい)を再現する実験を繰り返し試みている。

もち粟ともち米を5対1の割合で混ぜ合わせ、数時間、吸水させたのち、炊飯器のおこわモードで炊いてみた。おにぎりにすると、もうこれ以上、もち粟の比率を上げるとポロポロに崩れて、おにぎりにならない限界であることが実感された。

神嘉殿での供饌の儀で、天皇は竹折箸を用い、御飯を供饌され、直会されるのだから、この調理法では無理がある。とすれば、方法的に何かが違うのだろう。

吸水時間が異なるのか、それとも炊飯器を使うことが間違いなのか?

平成の大嘗祭にも携わった宮内庁掌典職OBに聞いてみたところ、「12時間以上、水につける」とのことだった。要するに、吸水時間が「数時間」では足りないということらしい。

さっそく、ほかの条件はそのままに、もち粟ともち米を合わせ、15時間、吸水させて炊いてみた。するとなるほど今度はいい具合に炊き上がった。

しかし、なのである。OBによると、宮中では「もち粟とうるち粟を混ぜて蒸す」というのである。たしかにそうだろう。地方から献上される粟はもち粟とは限らないからだ。

平成の大嘗祭のとき精粟を担当した秋田の篤農家を以前、取材したことがあるが、それはそれは見事な粟を地域で栽培されていて感動したのだけれども、「虎の尾」という品種のうるち粟であった。

うるち粟だけでは、吸水時間を伸ばしても、竹折箸でつまめるような御飯にはならないだろう。毎年、納められる粟もうるち粟が多いかもしれない。となると、もち粟を加えて、ネバネバ感が出るようにして、竹折箸でつまめるようにするのだろうとまずは解釈してみたものの、どうもおかしい。

もち粟だけではネバネバ感が確保できないからこそ、もち米を加えて実験を繰り返してきたのであって、もち粟にうるち粟を加えたのでは逆にポロポロになってしまい、竹折箸でつまめなくなるのではないか。

さっそく実験で確認しようかと思ったが、思いとどまった。粟を食べ、粟の祭祀を行う台湾の先住民は同じような調理法をするのだろうかと、ふと思いついたからである。

で、古い文献を読んでみて、目から鱗の事実を知ったのである。(つづく)


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