誰が「生前退位」なる新語を創作したのか ──ビデオメッセージの前に指摘したいこと(2016年8月8)
NHKなどの報道によれば、天皇陛下は今日の午後、ビデオメッセージの形で、「象徴天皇」としてのお務めについての「お気持ち」「お考え」を表明されると宮内庁が発表したと伝えられています。
いわゆる「生前退位」という表現など、直接的にご意向を表明されることは避けられるとされ、陛下の「お気持ち」を受けて、安倍総理は政府としての受け止め方を示し、衆参両院議長もコメントを発表するようです。今上陛下に限って退位を可能にする特別立法案が政府内で浮上してきたともいわれます。
午後になれば、陛下のご意向は明らかになり、政府の対応も具体的に動き出すのでしょうが、その前にどうしても指摘しておきたいことがあります。
それはいつ、誰が、何の目的で、「生前退位」なる新語を造語したのかという謎です。
少なくとも国語辞典をひもといても「生前退位」はありません。小学館の『日本国語大辞典』第2版(2001年)にも岩波の『広辞苑』第6版(2008年)にもありません。『広辞苑』には「生前行為」「生前処分」「生前葬」があるだけです。
「退位」「譲位」なら古来の皇室用語として知られています。それをあえて「生前退位」と表現するからには、それらとは別の意味を込めたい誰かが、新語として造語したものと推測されます。それは誰なのか。「退位」とは何がどう異なるのか。そこに問題の真相が隠されているのでしょう。
▽1 4つの問題
一連の「生前退位」報道には、4つの問題があると思われます。
1つは、ほかでもない、この「生前退位」なる新語の創作者は誰か、です。
報道では、陛下が「憲法に定められた象徴としての務めを十分に果たせる者が天皇の位にあるべきだ」とお考えで、そのため「生前退位」のご意向を「宮内庁関係者」に示されたと伝えられていますが、私は大いに疑問を感じています。
御即位20年の記者会見で、憲法が定める「象徴」という地位についての質問を受けた陛下は、「長い天皇の歴史に思いを致し,国民の上を思い,象徴として望ましい天皇の在り方を求めつつ,今日まで過ごしてきました」とお答えになりました。
だとすれば、「長い天皇の歴史」にない「生前退位」なる新語を創作されるはずはありません。陛下が「生前退位」のお気持ちを示されたのではなくて、陛下のお気持ちを「生前退位」と表現した誰かがいるのです。
2つ目は、従って、陛下の「ご意向」の中身は何か、陛下はほんとうは何をお考えなのか、です。
報道は、「宮内庁関係者」という匿名者による二次情報に過ぎません。「ご意向」は「関係者」の都合に合わせてデフォルメされているのではないかと私は疑っています。
陛下に直接確認できないのが皇室報道の宿命ですが、明日になれば、「お気持ち」は明らかになります。すでに「生前退位」には言及なさらないと伝えられていますが、さもありなんではないでしょうか。
3つ目は、メディアにリークした「宮内庁関係者」は誰か、です。
皇位継承という国家の最重要案件について、しかも政治的にきわめて微妙な問題を、公式ルートを外れて、何の目的で、外部に漏らしたのか、です。お気持ちを素直に伝達するのではなくて、ほかの目的で錦の御旗を必要とする関係者が間違いなく庁内にいるということでしょう。
4つ目は「生前退位」の実現には何が必要で、どんな困難があり、実現ののちに何が起きるのか、です。
しかし、これについては、もはや説明が不要なくらい情報があふれています。マスメディアはもっぱらこのテーマを追究するばかりで、他の3つにはまるで関心がないかのようにさえ私には見えます。これも不思議です。
▽2 宮内庁の造語か
すでに書いたように、国会図書館の蔵書検索で「生前退位」を調べると、3件がヒットします。いずれもごく最近の雑誌記事で、うち2件は2013年に「生前退位」したローマ教皇ベネディクト16世に関するものです。
しかし、たとえば「Newsweek」は原文の「retire」を「生前退位」と翻訳しています。BBCなどは「resign」と表現していますが、なぜこれを「生前退位」と和訳しなければならないのか、不明です。バチカン放送局(日本語)は「引退」と伝えています。
聞き慣れない「生前退位」を用いるのには、何かお手本があるのでしょうか。
国会図書館の検索エンジンによると、もっとも古いのは、「週刊現代」2005年5月21日号に載った「宮内庁『天皇生前退位』“計画”の背景」で、記事によれば、陛下がご高齢であることから、「生前退位」検討の動きが宮内庁内に浮上していると職員が証言していると伝えられています。
この記事によると、「生前退位」は、いま話題とされているような陛下のご意向ではなくて、むしろ宮内庁の意向であり、「生前退位」は宮内庁の造語であるとも読めます。
もしそうだとすると、NHKほかメディアの報道は、恐ろしいことに、完全に国民をミスリードしていることになります。「ご意向」と聞けば、素直な国民は従うでしょう。NHKにスクープをもたらした「宮内庁関係者」は、いったい何をしたくて、錦の御旗を掲げ、情報をリークし、世論を誘導しようとするのでしょうか。
▽3 昭和天皇晩年の実例
国会図書館の検索エンジンには大きな欠点があり、書籍名や雑誌記事のタイトルにキーワードが含まれていないとヒットしません。そこで新聞社のデータベースで、本文に「生前退位」を含む記事を調べることにします。すると新たな事実が判明します。
まず朝日新聞の「聞蔵」です。
昨年までの記事で、「生前退位」に言及しているのは、13件。ほとんどはローマ教皇に関する記事です。とすれば、バチカン関連のマスコミ用語が皇室用語に転化されたのかと思いきや、どうもそうではないのです。
該当する記事は3本で、もっとも古いのは、昭和62(1987)年12月15日の夕刊に掲載された「天皇の国事行為ご復帰、ご自身が強く望まれる」と題する、岸田英夫編集委員による解説記事です。
86歳で開腹手術を経験された昭和天皇に関する記事ですが、岸田氏は、宮内庁書陵部の話として、古代律令時代に天皇の権能を一時的に代行する「監国」制度があったが、実際は桓武天皇の時代に一度行われただけであること、ヨーロッパには国王の外国旅行中に職務を代行する「執政」(テンポラリー・エージェント)制度があったが、国王と皇太子が並んで職務を務めることはないことを説明し、昭和天皇の晩年、皇太子殿下とともに国事行為を分担した例はきわめて珍しい、と指摘しています。
そのうえで、「天皇の入院・手術という『歴史的事件』は、皇室典範で『生前退位』が認められていない天皇の職務を、緩やかに皇太子に移していく結果を招いたといえる」と結んでいます。
この記事によって、昭和天皇の晩年にまで「生前退位」が遡れることが分かるだけでなく、「生前退位」しなくても職務分担の実例がごく最近、あったということは「生前退位」を認める制度改革が必ずしも必要でないことをも示しています。
現在の議論がいかに歪か、あらためて理解されます。
▽4 園部逸夫元最高裁判事の発言
2本目は、平成16(2004)年12月19日の朝刊に載った、田中優子法政大学教授による『女性天皇論─象徴天皇制とニッポンの未来』(中野正志朝日新聞記者)の書評です。
田中氏は「現在の天皇制はけっして伝統的ではない近代の制度であることが詳しく検証されている」と指摘し、「明治には、それまで慣例となっていた生前退位も否定した」と例示するのでした。
しかし、明治以前には「生前退位」はなかったはずです。「退位」と同一視するのは、現行憲法第一主義、国民主権論に基づいて、近代の制度を否定し、新たな制度を打ち立てる、特別の意図でもあるのでしょうか。
3本目は、「週刊朝日」平成26(2014)年8月22日号に掲載された、園部逸夫元最高裁判事と岩井克己元朝日新聞編集委員との対談「どうする皇室の将来 制度改革への壁と提言」です。
そのなかで園部氏は、
「(陛下は)現実問題として、憲法に規定のない公務を山ほどこなしておられる。……両陛下にこれまでのようなご活動をお願いするのは申し訳ない思いもあります。最近、オランダ女王の譲位やローマ法王の生前退位も話題になりました。ご長寿でいていただくためにも何か制度的な対応を考えてさしあげてはとも思いますね」
と語っています。
いわゆる「女性宮家」創設論のキーマンとされた園部氏が、ローマ教皇を引き合いに、「生前退位」に言及しているところに、女系継承容認=「女性宮家」創設との関連性を想像するのは私だけでしょうか。
私は、「生前退位」は陛下のご意向とは別のところで生まれた、という確信に近いものを感じます。
▽5 「週刊新潮」の報道
読売新聞のヨミダスでは、昨年までの記事で「生前退位」に触れたのは7本で、うち6本はローマ教皇がらみ。日経の場合はわずか3本で、うち2本はシアヌーク国王「退位」の記事です。
読売、日経の残る1本は、いずれも平成25(2013)年6月14日朝刊の記事で、宮内庁が「週刊新潮」の報道に抗議したというのがその内容です。
同誌は同年6月20日号に、「『雅子妃』不適格で『悠仁親王』即位への道」なる4本立ての記事を載せ、このうち「『皇太子即位の後の退位』で皇室典範改正を打診した宮内庁」では、同年2月に風岡典之宮内庁長官が安倍総理に対して皇位継承制度をめぐる制度の改正を要請したと伝えています。
具体的には「天皇がみずからの意思で生前に退位し、譲位することができる」「皇位継承を辞退できる」という条文を皇室典範に付記することを要望し、これを受けて内閣官房では密かに検討が進められているというのです。
記事には、皇室ジャーナリストの神田秀一氏や元宮内庁職員の山下真司氏による、「生前退位」に言及したコメントも載っています。
これに対して、内閣官房と宮内庁は異例にも連名で、「事実無根」と厳重抗議し、訂正を求めました。内閣官房長官も宮内庁長官も会見で報道を否定しています。
「週刊新潮」の記事は、宮内庁の要請内容について、天皇・皇后両陛下、皇太子・秋篠宮両殿下が「既に納得されている」とも記述し、宮内庁サイドはこれも否定しているのですが、そのことは「生前退位」が陛下のお気持ちではなく、別のところから生まれたのではないかという疑いをますます募らせます。
▽6 『広辞苑』に「生前退位」が載る日
NHKのスクープでは、天皇たるものは憲法上の務めを十分に果たすべきであり、それがかなわぬならば皇位を譲るべきだという陛下の「お気持ち」が「生前退位」論のスタートラインと説明されています。
けれども、「生前退位」に言及した報道をあらためて振り返ってみると、陛下の「お気持ち」より、むしろ当局者たちの熱意の方が私には強く感じられます。「お気持ち」に名を借りて、制度改革を進めようとする関係者が、「お気持ち」を漏らしたのが真相ではないか、と私は強く疑っています。
そういえば、「女性宮家」創設を提起した当局者の問題意識は「皇室の御活動の安定的な維持」であり、「お気持ち」とされるものの中身と似ています。
そして案の定、なりを潜めたはずの女系継承容認論=「女性宮家」創設論が息を吹き返してきました。そこにリークした関係者の意図があるのではないでしょうか。
今日、陛下は何を語られるでしょうか。陛下のメッセージはやがて陛下の「お気持ち」を離れて、古来の天皇制や近代の天皇制とも異なる、日本の天皇制の歴史に大きな節目をもたらす制度改革を実現させるのかも知れません。
そして、いずれ『広辞苑』にも「生前退位」の項目が付け加えられる日が来るのでしょう。いったいどんな説明が書き込まれるのでしょうか。