「伊集院光とらじおと」最終回と感想と。
伊集院さんのラジオすばらしかった。
「最終回だよ最終回」の第一声でスタート。
すべてのコーナーが最後なわけだが、最後の「(伊集院光とらじおと)ニュースと」もよかった。
ちょうど前日のゼレンスキーの演説を「感動」というより「うまい」を感じたという。
「しゃべる」ということに対してものすごく解像度が高いから、あの演説の、内容だけでない話しかたのすべてに関して。配慮や企みが手にとるように見えすぎてしまうんだろう。
募集した自由律俳句を紹介する「(伊集院光とらじおと)山頭火と」のコーナーもよかった。聴取者投稿から、
ないところがかゆい
というのを選んで、それはいわゆる「幻肢痛」のことなのだが、
「おれ来週からかゆいんだとおもうんだよね。もうないんだけどこの番組」という。
「あー・・・」とパートナーの柴田理恵さん。
「もうこの番組ないのに、ああしとけばよかったとかこうしとけばよかったとか・・・」
「この話を安田にしたら盛り上がるだろうなとか、この話を武内にしたらおらの知らない話をしってるだろうなとか、近藤カコにしたらきっとおれにはない若い発想のことを教えてくれるんだろうなって・・・」
というので泣ける。
幻肢痛からの解釈の飛躍も美しいけど、アシスタントの面々の個性と労いとともに、まるでいやみなく、しぜんに、列挙していく。エンドロールみたいに。すさまじい話術とおもった。
オープニングテーマの「カルメン」の話。映画「がんばれ!ベアーズ」のテーマだったこと。ひとりひとりは力が足りなくてもみんなでがんばろうの想いをこめていたこと。
リスナーのエピソードで、番組スタートといっしょに勉強をはじめたひとが六年かかって医師免許をとった話などをはさみながら、いいラジオとはなにかという話に入っていく。
ゲストを呼んで質問する「(伊集院光とらじおと)ゲストと」のコーナー。
そのゲストが最終回に、伊集院さんになる。その構造もすごくきれい。
喜入アナからの質問で、「おもしろいことをいうコツを教えてください」と無茶ぶりをされた伊集院さんが、「ぜんぶしゃべるということ」と答える。
ラジオの一人喋りでは「本来は口に出さない思考の過程や、リアルタイムのとまどいなどまで」をしゃべること。それが面白くて、それがリアリティだったりするのはほんとうにそうだとおもう。
「ラジオショッピング」のラストで、朝のラジオにはつきものの、そのコーナーが当初不安だったことを告白するのもよかった。
おためごかしをいわなきゃいけないとおもっていたが、「本当においしいものを本当においしいといえる品揃えにしてもらったことを本当に感謝しています」といったのも泣けた。ラジオショッピングで泣きそうになるのもどうかとおもうが。
最後が子ども電話相談室なのもよかった。三角食べのできないえみちゃん最高だった。
ニュースの長峰さんや交通情報の飯島さんなどと最後の挨拶をかわしあっていくのもぐっとくる。
そうしているうちにエンディングのエンディングがきて。
この番組やっててよかったことはなんですかときかれる。
「掛け値なしで100パーセント200パーセントうれしかったことはじぶんが師匠と落語会をやったとき・・・」
と話しだして、番組きっかけで旧交を暖めた円楽さんとのエピソードではあるが、あれ、一番うれしかったのはラジオじゃなく落語会なの?とおもってしまう。
ところが話は戻ってきて、落語会で「師匠が、おまえ、いいお客さんがついてるな」といったのだと。
「それはこのラジオをずっと聞いてくれているリスナーの、ことばの意味の理解力とか、師匠もやっぱりよくわかってて、いいタイミングでの笑いが来たり拍手がくる。この場の芸術が理解できるお客さんが、これだけの量集まるのは、ほんとにないぞお前幸せだぞといってくれたとき」
伊集院お前はラジオやったおかげでこんなお客さんついたんだぞといわれたときのほこらしさ。
とリスナーを賞賛して終わる。聞きつづけてきたファンはじぶんの人生ごと肯定されたような報われた気もちになったんじゃないかな。それを最後の2分くらいでぴたっと決めた。しびれた。