【気持ちの整理】僕はなぜ途中で辞めたのか
今日、こんなことを言われてしまった。
「あなた、ちゃんと卒業していないじゃない。」
なんか、心の中がざわざわした。
ずっと自分の中にでは「もう終わったことだから」と言い聞かせて見えないふりをしていた。
でも、そういわれてしまってすごく悪いことをしたように思えて、
それ以降、その罪悪感でその日は一日黙ってしまった。
家に帰って色々考えた。
言い訳、正義とか耳障りのいいことをたくさん考えた。
でも、僕には僕の揺るぎがたい正義がある。
それは、『誰かのために生きている』ということ。
僕はいつだって誰かのために生きてきたつもりだ。
誰かのために言葉を発して、
誰かのために考えて、
誰かのために心を傷つけて、
2020年2月
僕のいる組織には、色んな気持ちや考えがあるということを知った。
大体70人規模の比較的大所帯だったから、今思うと当然だろうとか思う。
その組織は全員が一人の指揮に従い、一つの創作を行うのが活動の主流だった。
当時の僕はまだ入って間もなく、ひたすら先輩の背中を追っていたのだけど、それと同時に居心地を感じていた。
今までにない、心地のいい、居心地。
その居心地はどこから湧いているのか。
当時はわからなかったけど、今となっては全員が前を向いて手を取り合う姿や右も左もわからない人に進むべき道をちゃんと教えてくれることが源泉になっていたことが理由だ。
でも、あの時全てが崩れた。
不可抗力の波にのまれて、僕たちは行き場を失った。
当時の僕は、それでも今まで前を向いていたじゃないか、負けずに前に進もうよって思っていた。
でも現実は違う。
みんな守るべきもの、守りたいもの、失いたくないものがあって、
あの時を皮切りにみんなばらばらになった。
これに対しては今でもそんなどうでもいいこと守るなよ、
今までの過程や努力を無駄にするなよって思ってる。
でも気持ちとは裏腹にそこからみんな、
自分の守りたいものを守るようになった。
仕事、プライド、趣味、自由、尊厳威厳責任。
そこから3年、僕はすごく独りでいるような気持になった。
何をしていても、誰と居ても、何を考えても。
それでも、僕には失いたくないものがあったから、
なくしちゃいけない、大切なもの。
それが僕の正義。
だから、頑張った。自分なりに。
走って、つまずいて、転んで、涙拭いて、また走る。
声を出して、怒られて、失敗に終わって、涙拭いて、また声を出す。
考えて、煮詰まって、上手くいかなくて、涙拭いて、また考える。
その繰り返し。
それを三年間ずっと続けた。
だって、続けていればだれか気づいてくれるって思ってたから。
だれかが手かしてくれるっておもってたから。
でもだめだった。
きもちのはしっこであきらめてたじぶんもいたかもしれない。
目線が一個になってたのかもしれないけど、
でも多分いなかったよ。誰も。
僕がどんな気持ちで、どんな顔してて、何をしていて、とか。
今になって思うのは、きっと、
僕も自分のことしか考えてなかったのかなって思う。
自分のことしか考えてないように見えてたのかな、皆には。
僕は頑張れてなかったのかな。
言葉にしても行動にしても中途半端だったかな。
最後まで貫き通そうと思ったけど、結局僕はダメになっちゃって、
途中でやめちゃった。
それからというもの、僕は人に対して信じることとか変えようとするとか誰かのために頑張るとかが出来なくなった。
最近はずっと違う心地良さを探している。
居心地ではない、心地良さ。