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性格が良い弁護士(自称)から見た「九条の大罪」

こんにちは、齋藤です。

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「いい弁護士は性格が悪い。」

かつて弁護士というものをこれほどショッキングに定義づける文句はあったでしょうか。


今回は、「闇金ウシジマくん」の真鍋昌平先生が満を持してリリースした弁護士マンガ「九条の大罪」(くじょうのたいざい)を見ていきたいと思います。

弁護士モノも以前より数は増えてきましたが、それでもやはりマンガにはなりにくいジャンルのような気がしていますので、真鍋昌平先生のような超メジャー作家が弁護士モノを扱うと聞き、以前から発売を心待ちにしていました(雑誌で追っかけずに単行本を待っているという点に、マンガへの情熱の衰えを感じざるを得ない今日この頃ではありますが)。

ともあれ、第一巻の発売日が2021年2月26日ということで、さっそく購入して読んでみた次第です。

●真鍋先生のサインの話

のっけから自慢話を一つ。

実は以前、真鍋昌平先生と実際にお会いし、ウシジマくん1巻にサインをもらったことがあるのです。

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サインの日付からすると、2015年の12月10日のことです。

私は昨年(2020年)4月まで法テラスという組織の弁護士として働いていたのですが、法テラスでの研修として2週間にわたって東京で研修を受けた際の出来事です。

小学館の編集さんが、「健康で文化的な最低限度の生活」の取材として法テラス所属の弁護士に話を聴きたい、という話がメインで、同じ編集さんが担当していた真鍋先生も実際の弁護士と話をしてどんな奴らか知りたい、という話も合わさって、なぜか葛飾の居酒屋で会食が実現したという記憶です。

言うまでもなく私は子供の頃からマンガが大好きで、他方で漫画家さんに会って話をする機会などなかったのが、突然大ヒット作「ウシジマくん」の作者に会えるということで悶絶しそうになりながら、真鍋先生にサインをもらおうと、会食の直前に「ウシジマくん」1巻を買いに走りました。

しかも、「ドラえもん」の小学館、「美味しんぼ」のビッグコミックスピリッツの編集さんとも話ができる、こんな機会はもはやこれが最初で最後でしょう。

それまでにも「ウシジマくん」はある程度の読んだことはあったので、「ウシジマくん」の作風からするに、真鍋先生も変わったお人なんだろうな、と心の中では思っておりました。

ところが、いざお話ししてみると、めちゃくちゃ気さくに話をして頂け、こんなちゃんとした人が、「ウシジマくん」のような漫画を描くのかと逆にとても衝撃を受けました。

また、私は、食事しながら酔っぱらうと、所かまわず「美味しんぼ」の神エピソードを披露してしまうという悪癖を有しており、この日も食べていたソバにちなんだ「美味しんぼ」エピソードを披露してしまったのですが、嫌な顔一つせず(酔っぱらっていたので記憶が定かではありませんが)、話を合わせて頂いた記憶です。

なお、酔っ払った勢いで、関西弁の弁護士キャラを登場させて下さいと勝手なリクエストをしたところ、苦笑いされていたと思います。思い出すだに恥ずかしいです。

会食が終わり、皆バラバラに散っていったのですが、私と真鍋先生とは帰る方向が同じということで、二人で一緒に京成電車?地下鉄?で帰ることになりました。

私からしますと、もはや天にも昇る僥倖です。

酔っぱらった頭で必死に、この一生で一度のチャンスにホンモノの売れっ子漫画家とどんな話をするべきか、を考えたはずですが、結局、あのマンガのあのシーン、みたいな話で夢の時間は過ぎていきました。

しかし、その中でも、真鍋先生は、私のようなド素人に、どのように普段マンガを描いているか、話の作り方、アイデアの出し方、などの貴重なお話をしてくださいました。

振り返ると、あの30分強が、私が人生で唯一、超人気作家さんと一対一でお話できる機会だったのかも知れません。
その日、まさかそのような機会を授かるとは夢にも思っていませんでしたので、インタビューのQを考えていなかったのが悔やまれます。

その数年後に法テラスを退職するわけですが、この時ほど、「法テラス」に入って良かったと思ったことはありません(笑)。

●九条先生のキャラ造形

思い出話はさておいて本編を見ていきます。

まずはタイトルですが、「きゅうじょう」ではなく、「くじょう」と読むようです。

「九条」と書かれると、すぐに憲法第9条が頭に浮かぶわけで、「憲法第9条」の「大罪」とはまた(政治的に)物騒なタイトルに思えますが、1巻の段階では、全くイデオロギー的なメッセージは含まれていません(「闇金ウシジマくん」と同様の作風と考えると、今後もない気がします)。

もちろん、憲法第9条に引っかけているわけですが、主人公の姓が「九条(くじょう)」です。

↓↓↓九条先生です。

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九条先生のキャラ造形で、まず気になるのは腕時計です。

そう、あの高級時計「パネライ」です。

特長的なリュウズプロテクターや、クロコの革バンド、文字盤の「LUNINOR」「MARINA」?「PANERAI」?の文字まで読めるほどに書き込まれ(写真トレスと思われますが)ており、正規輸入品であれば少なくとも100万円近くはする「ルミノール」シリーズであることが一目でわかります。

「パネライ」は、イタリア海軍の潜水特殊部隊工作員のために開発されたモデルにルーツがある、デカ厚時計の代名詞であり、「ルミノール」の代表的なモデルの直径は44ミリ(一般的な男性用腕時計は直径36~40ミリ程度)であることからすると、そうしたデカ厚時計を引用のコマのようなサイズ感で着用している九条先生の手首は一般成人男性よりも結構太めと思われます。

一般論として、弁護士の手首は一般成人男性のそれに比べて細い傾向にあります(勝手に断言していますが、まず間違いありません)。

もちろん、運動が好きで筋肉モリモリの弁護士もたくさんいますが、基本的にはガリ勉タイプの人間が弁護士業界のメインストリームですので、いきおい体つきも一般成人男性のそれに比べて細くなりがちとなり、手首も細くなる傾向にあると言えると思います。

わけがわからない私見を開陳してしまいましたが、そのような弁護士一般と異なり、九条先生はガッシリした体つきの可能性があり、「闇金ウシジマくん」の丑嶋が筋肉ムキムキで喧嘩の腕に覚えがあったように、九条先生もどこかの段階でメッチャ強い設定が入るのかも知れません。

気になるのは、なんでパネライ?というところでしょう。

九条先生がロレックスではプチブル感が出てしまい、反骨的、アウトロー的な感じが出ない(他方で、ロレックスを愛するアウトローの方も多く、逆に輩くささが醸し出されるという見解もあり得ましょうが。)気がします。

オメガグランドセイコーにすると、無難に思え、腕時計をキャラ造形に使う意味が薄れます。

パテック・フィリップにしてしまうと、かなりの金持ちになってしまい、ちゃっかり儲けとんのかい!となってしまいます。また、結局権威的なモノに魅かれとるやないかい!ともなりそうです。

逆にGショックにすると、それはそれで反骨心の表現になるような気がしますが、九条先生はスーツを着るキャラですから、ちょっとムリが出てしまうでしょう。

結局のところ、高級腕時計かつ死ぬほど高くはないゾーン、しかも知名度があり、アイコン性が必要となると、パネライというチョイスはこれしかないかもと言うくらい絶妙かも知れません。

本編でも、なぜ九条先生がパネライなのか、という話がどこかで出てくるのかも。

ちなみに、医者のロレックス率の高さに比して、高級腕時計をしている弁護士は少ないです。

私を含め、平均的な弁護士は、パネライの顧客となるような年収のゾーンにはないと言って良いと思われます(涙)


腕時計の話が長くなりましたが、ここからは、弁護士の目線から、本作品の各シーンの感想を述べていきたいと思います。


●「いい弁護士は性格が悪い」?

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見開きでいきなり登場するこの、「いい弁護士は性格が悪い」というフレーズ。

この点はまず、全否定させて頂きたい、もとい、全否定しなければなりません。

真鍋先生、勘弁してくださいよ~、と言いたいところです。

いい弁護士→性格が悪い

という命題の対偶は、

性格が良い→ダメ弁護士

となります。

この命題もまた真ということであれば、性格が良い弁護士を自認する当職→ダメ弁護士、というロジックが成り立ってしまうわけです。

当職としては、デキる弁護士ではないものの、フツー(ちょい上と言いたい)の性能程度は備えているつもりですので、上記命題は間違っていなければなりません(必死)。

真面目な話、仕事のデキる高名な先生と当たる(対立する当事者の代理人の立場で仕事をする)と、例えば私のような若輩者にも柔らかい態度で接するなど、やはり◯◯先生は、人間的にもいい人なんだな~、というように勉強になることは多くあります。

他方で、そんな「いい人」エピソードがあったとしても、そのような「いい人」を演じるスキルを備えた「性格が悪い人」である可能性も否定はできません。

また、「性格の良し悪し」とは別かもしれませんが、弁護士は、仕事柄、いろいろなことを疑ってかかる「クセ」を身に付ける必要があります。

相手方の言葉は当然として、依頼者の言葉であっても、裏付けなしに鵜呑みにするわけにはいきません。

人は誰しも事実を常に語るとは限らないからです。

意識的な嘘はもとより、客観的な事実と主観的な認識が異なっていることはよくあります。

他人の言葉のみならず、とにかく、一般的に言われていること、何となく「正しい」空気になっていること、を「本当か?」と疑ってかかるマインドが極めて重要な職業であることは間違いありません。

こう書いておりますと、なんだか、「いい弁護士は性格が悪い」と言うより、「弁護士は性格が悪い」と言うべきなのかもしれません・・・


●証拠隠滅?

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↑↑↑飲酒運転しながらスマホゲームをしていて轢き逃げをしてしまったという相談者に対して、スマホを事務所に置いていくよう告げる九条先生です。

実際にこのようなアドバイスをする弁護士は皆無でしょう。

証拠隠滅罪(刑法104条)は、「他人の刑事事件に関する証拠を隠滅」することが構成要件です。

相談者にとって自身の轢き逃げ事件は「他人の刑事事件」ではなく自己の刑事事件ですので、相談者が自身でスマホを隠したとしても証拠隠滅罪は成立しません。

自分の事件について証拠を隠滅しようとすることは人間の自然の心情であり、隠滅しないことへの期待可能性が乏しい、というのが不処罰とされている理由と説明されています。

ですので、相談者が勝手に九条法律事務所にスマホを隠していったとしても相談者はお咎めなしです。

他方で、九条先生にとっては、相談者の轢き逃げは当然「他人の刑事事件」です。

従って、九条先生がこの相談者の証拠を隠滅することで証拠隠滅罪が成立します。

この点、「あくまで独り言」などという発言に対外的な意味は全くありません。
「独り言を言ったら相談者が勝手にスマホを置いていった」というような弁解は立たないでしょう。

スマホを「ここに置いてけ」と言った後、九条先生がこのスマホを実際どうしたのかは描かれておりません。
普通に考えると、紛失してしまわないように事務所備え付けの金庫にしまうか、デスクの引き出しにしまうかするはずです。

ここにおいて、九条先生に証拠隠滅罪が成立するものと考えられます。

「警察にスマホ出すように言われたらなくしたと言うように」というのはアドバイスの範疇と言えます(私ならば言いません。「出さなくても罪にはならない」とだけ言おうと思います。)が、「ここ(事務所)に置いてけ」は完全にアウトだと思われます。

もちろん、九条先生としては、こうした違法行為がバレるリスクはゼロだと高をくくっており、このようなアドバイスをしても全くノーリスクだと踏んでいるわけです。

しかし、この業界では予想もしないことが往々にして起こります。

カルロス・ゴーンもレバノンに逃亡しました。

そもそも、壬生くんという太客の紹介とはいえ、初めて会ったばかりの相談者がどんな人物か(取り調べで弁護士の指示通りの供述ができる人か)など絶対にわかりっこないわけです。

例えば、相談者が警察の取り調べで、「九条先生がスマホを預かると言ってスマホを預かってくれました」と言ってしまえば、最悪九条先生自身がお縄になり、弁護士の資格をはく奪されかねません。

このような圧倒的なリスクを負ってまで、相談者(あるいは壬生くん)に対し違法なサービスを提供するメリットは全くありません。

あえて言うなら、相談者の事件を受任することや壬生くんから継続的に紹介を受けることが「メリット」とも考えられますが、九条先生ほどの腕があれば仕事に困っているはずはなく、そうした金銭的なことは九条先生にとっての「メリット」とは言えないでしょう。

あるいは、今後、壬生くんに対してとんでもない借りがあるから壬生くん(や壬生くんから紹介された人)のために働かねばならない、というような展開はあり得るのかもしれませんが、どうも壬生くんとはそのような関係ではなさそうです。

結局、リスクとリターンとが全く釣り合っていないと言わざるを得ず、しかし、それが九条先生の流儀ということになるのでしょう。

とまあ、野暮なことをぐだぐた書いてしまいましたが、もちろん「現実」と「リアリティのある漫画」が分けて考えられなければならないことは私も承知しております。

「スマホを見られたら私がやったことの証拠が出てきてしまいます。」という相談者に対して、「う~ん、まあ、そのスマホをあなたが隠すぶんには、そのことで証拠隠滅罪が成立するってわけではないけれどもね~」とだけ答えるような弁護士では、物語になりません。それはもちろんわかっております。

「リアリティのある漫画」に対して「リアルの観点からツッコんでみる」という趣向の記事だとご理解頂けましたら幸いです。


●なぜか敬語

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↑↑↑九条先生と九条法律事務所のイソ弁(勤務弁護士)である烏丸先生は、上のコマにあるようにお互い敬語で話をしています。

弁護士業界ではお互いを「先生」と呼び合うのが当たり前かと申しますと、そういうわけでもありません。
もちろん事務所外の弁護士とは「先生」と呼び合うことが多いですが、ボス弁(九条先生)がイソ弁(烏丸先生)に対して「先生」を付けて敬語で話す、というのはあまり一般的ではない気がします。

ボス弁とイソ弁とは単なる経営者と従業員という関係ではなく、いわば師匠と弟子のような関係性にあるため、ボスはイソ弁に対してフランクな話し方をするのが通常です。

ここからうかがえるのは、①烏丸先生が事務所に入ったばかりで二人はあまり親しくない関係、②九条先生はかなり丁寧な話し方をする人、の二つの可能性です。

しかし、依頼者にバンバンため口で指示していく九条先生の様子を見ていると、②のセンは薄そうです。

結局、①ということになりそうですが、烏丸先生が九条事務所に入所することになったいきさつについてもいろいろエピソードがありそうです。

烏丸先生は、「東大法学部主席卒業」で、「弁護士なら誰もが羨む四大ローファームの『東村ゆうひ』法律事務所を1年も経たずに辞め」た、という非常にわかり易い設定です。

そんな彼がどうして「悪評高い九条法律事務所」に入ることになったのか。

今後の烏丸先生フィーチャー回が楽しみです。

●弁護士の使命

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弁護士法第1条には、「弁護士の使命」として次のように書かれています。

第一条 弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。

依頼者の基本的人権を擁護することが弁護士の使命の一つであり、そこでは、九条先生の言う通り、「法律と道徳は分けて考え」られねばなりません。

「道徳上許しがたいことでも、依頼者を擁護」し、依頼者の基本的人権を守るのが「弁護士の使命」です。

依頼者が物を盗んだとしても、不倫をしたとしても、裁判で、あるいは相手方から、不当な追及を受ける言われはないはずです。

弁護士は、個人の基本的人権を守るための「装置」の役割を担っており、そうした基本的人権の擁護という側面において、依頼者が「悪いこと」をしたという事実は重要ではありません。

というわけで、私も弁護士人生のどこかで、上に引用した九条先生のセリフを使ってみたいと思います。


他方で、↓↓↓下のコマの九条先生のセリフに共感することは難しいです。

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依頼人を「貴賤」で選別しないのは当然として、「善悪」では選別したいというのが偽らざる感覚です。

「悪」というとふんわりしていますが、具体的には、壬生くんや金本からの依頼は断ります。

この人たちレベルのアウトローは明らかに私の手には余ります。

というわけで、上記のコマのセリフを私が使うことはありませんが、やはり、弁護士たるもの、このようなキメ顔で言うセリフの一つや二つはストックしておきたいところです。

弁護士会を通じて小中高校から「弁護士の仕事とは」のような授業を頼まれることがままあるのですが、九条先生のような決め台詞がないため、普通のオッサンが来た、というレベルのインパクトしか残せない、というのは私に限った話ではないと思っています。


以上、あえてリアルな目線でレビューさせていただきましたが、 このへんで小括しますと、

ウシジマくんもそうですが、真鍋先生のマンガは、あえてジャンル分けするなら、現代が舞台のダークファンタジーといえるような気がします。

本当にいるのかよこんな奴ら、でも実際にいるっぽい、というところを巧妙に突いてくる手腕はさすがの一言です。

基本的に胸くそ悪くなりつつも、時にはスッキリさせてくれることもあり、なんだかんだで読み続けさせてしまいます。

●おすすめの弁護士モノ

誰も興味ないであろう思い出話まで書いてしまい、7000字を突破してしまいましたが、ここまで来たらおすすめの弁護士モノも是非お伝えしておきたく存じます。

まずは、「家裁の人」です。

「弁護士モノ」ではなく、「裁判官モノ」でした。すみません。

エリート街道まっしぐらのはずの超優秀な桑田判事が、出世街道とは必ずしも言えない家庭裁判所において、血の通った仕事をし、少年少女の更生に力を尽くすヒューマンドラマです。

どっしりとした読み応え、やりきれなさや切なさ、カタルシスがない交ぜになった読後感、エビスビールのような深みのある、大人のための漫画を読みたい方におすすめです(どんな例え・・・)。


お次は、映画「評決」です。

私が弁護士という職を選んだ背景として、この映画の影響抜きには語ることは出来ません。

ポール・ニューマン主演のこの映画は、まさに弁護士モノの映画の最高傑作だと個人的には思っています。

主人公のフランク・ギャルヴィンは、かつては敏腕弁護士だったものの、身を持ち崩してアル中になり、仕事がなく、「アンビュランス・チェイサー」(救急車を追いかけていって病院まで行き、被害者に損害賠償を請求しようと誘いかけるような、食い詰めた弁護士を指す)を地で行く惨めな状態に陥っていました。

そんな状態を見かねた先輩弁護士が、「簡単な」事件を紹介してくれることになります。

出産のために入院した主婦が麻酔のミスで植物状態に陥ってしまったという事件で、事を荒立てたくない病院側と示談するだけの「簡単な」仕事というわけです。

ギャルヴィンは主婦が入院中の病室を訪れ、他の入院患者のひんしゅくを買いながら、ポラロイドカメラで昏睡中の主婦の姿を撮りまくります。

示談するだけでまとまった報酬が手に入ると思い、思わず顔がほころびます。

しかし、出産のためにただ病院に行っただけで全てを奪われた女性の姿を見るにつれ、強い憤りが全身を貫きます。失われた情熱に灯がともります。


ギャルヴィンは、依頼者の意向も聞かず、勝手に示談を蹴ります(実際はあり得ません)。

真実を白日の下に晒すため、自分自身の弁護士としての再起も賭けて、ギャルヴィンは戦いを挑みます(依頼者の意向を無視して勝手にドデカい事件をモノにしたいという思いで突っ走ったと書くと、ヤバく感じますが、義憤にかられつつ、金のために不正義に目をつぶってきた自分の腐りかけた生き方にピリオドを打ちたい、という思いからの行動、という感じです)。

病院側は、超大物のコンキャノン弁護士に依頼します。

コンキャノンは、あの手この手でギャルヴィンの立証活動を阻み、ギャルヴィンは追い詰められます。

しかし、ギャルヴィンは、関係者の郵便受けを勝手に破壊して手紙を読むという違法な手段で、貴重な証拠を入手します(上述の九条先生といい、物語では弁護士は時に違法な手段を使うものです)。

そんな中、事件を手伝ってくれ、いい雰囲気になっていた事務の女性ローラが、コンキャノンのスパイであることが判明し、ギャルヴィンはまた、孤独に突き落とされます。

ギャルヴィンは、被害女性を担当していた看護師ケイトリン・コステロが、事件後に病院を辞めていることに着目し、同看護師を口説き落として味方に付け、医師の虚偽を暴きます。

裁判には現れないと思われれたコステロ看護師が証言するために現れ、涙ながらに病院の隠ぺい工作を語り、同看護師の証言で雌雄は決されます。

思わず泣けてくる同看護師の証人尋問のシーンと、正義とは何かを陪審員に語りかけるギャルヴィンの弁論の圧倒的なパフォーマンスに、弁護士の仕事の醍醐味のすべてが凝縮されていると言っても過言ではない気がします。

裁判には勝利しますが、それで被害者の容体が回復するわけでもありません。
勝利の余韻に浸るわけでもなく、ギャルヴィンは一人、事務所のデスクに靴を履いたまま足を投げ出し、ワインを飲みます。

デスクの電話が鳴りだします。
ローラからの電話であることは明らかです。
ローラは行きがかり上スパイのようなことになってしまっただけで、はじめからスパイをしようと近づいてきたわけではありません。そのことはギャルヴィンもわかっています。

しかしギャルヴィンは電話を取りません。電話が鳴り続け、勝利の虚しさ、愛の寂しさと孤独、されど弁護士として完全に再起したであろうギャルヴィンの厳しさ、など様々なものを醸し出しながら映画は終わります。


長々と書いてきましたが、結論としては、弁護士という仕事は本当に厳しく・辛く・難しいものですが、とてつもなくやりがいのある仕事だということです。

こうした良質の「弁護士モノ」に触れ、一人でも多くの若人が弁護士を目指してくれたら、これに勝る喜びはありません。

最後は月並みな締めくくりとなってしまいましたが、長々とお付き合いいただきありがとうございました。





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