『こころ』上 各話要約

 夏目漱石の小説『こころ』の『上 先生と私』を話ごとに要約しました。全体としては、要約というよりもあらすじになっています。
 この要約には CC-BY 4.0 のライセンスを付与します。
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 物語は語り手の「私」が「先生」という人について語るところから始まる。「私」は今でも「先生」のことを深く慕っており、思い出すたびに「先生」と言いたくなるほどである。
 「私」は鎌倉の海浜で「先生」と知り合いになった。知り合いになったときの「私」はまだ書生だった。友達と鎌倉に来ていた「私」だったが、友達が用事で故郷に帰ってしまったので、ひとり取り残された。
 だが「私」はしばらく鎌倉にとどまることにした。それで、「私」は海浜の掛茶屋で「先生」と出会うことになったのである。

 「私」が「先生」をはじめて見たとき、「先生」は西洋人と一緒にいた。西洋人が珍しかったため、「私」は「先生」を発見することができた。「私」は好奇心をもって二人が歩いて泳ぎに行くのを見続けた。「私」は「先生」にどこかで会った気がしてならなかったが、どこで会ったのかは思い出せなかった。
 「私」は内心苦しんで、翌日も時間を見計らって掛茶屋に出かけた。果たして「先生」はやってきたが、今度は一人だった。海で泳ぎ始める「先生」を見て、「私」は急にその後を追いたくなって海に入ったが、「先生」と接触することはかなわなかった。

 「私」はその翌日も翌々日も同じ時間に掛茶屋へ向かったが、「先生」に接触する機会はめぐってこなかったし、彼は非社交的だった。「先生」はいつも独りだった。
 そんなある日、「先生」が掛茶屋に戻って砂まみれの浴衣を振ったときに眼鏡が落ちた。すかさず「私」は眼鏡を拾って渡し、「先生」に「有難う」と言われる。
 その翌日、「私」は「先生」と一緒に、二人きりで海で泳いだ。これを機に「私」は「先生」と懇意になった。
 数日経って、「私」は「先生」にまだここにいるつもりかと聞かれた。「私」は「分からない」と返事をしてから、「先生は?」と聞き返した。「私」が「先生」のことをそう呼んだのはこれが初めてだった。
 同じ日の晩、「私」は「先生」が泊まる旅館に呼ばれ、さまざまな話をした。「私」は話の最後で、「先生」にどこかで会った気がすると言ってみたが、「君の顔には見覚えがありませんね」と返され一種の失望を感じる。

 「私」は月の末に東京へ帰った。
 「私」は「先生」がそっけない態度をとることでしばしば失望させられたが、だからといって彼から離れようとは思わず、かえって近づきたい気持ちになった。もっと近づけば自分の望むものが現れようと思ったためである。「私」は「先生」が亡くなった今になって、「先生」は自分を嫌っていたのではなく、「自分は価値のない人間だから近づかないほうがいい」という警告を発していたのだと気づいた。
 「私」は東京へ帰ってからしばらくは「先生」を忘れていたが、一か月ほど経つと気がたるんできて「先生」に会いたくなった。それで「先生」を訪ねた「私」だが、そのとき家に彼はいなかった。「先生」の奥さんに「先生」は墓地に行ったと告げられた「私」は、墓地のある雑司ヶ谷へ行くことにした。

 墓地に抜ける道で「先生」を見つけた「私」は大きな声を掛けた。しかし「先生」は「どうして……、どうして……」と異様な調子で繰り返し、曇った表情を「私」に向ける。「私」が事情を話すと先生はそれを理解したが、「初めて会ったあなたに(誰の墓か)言う必要がないんだから」と返す。「私」にはその意味がまるでわからない。
 そこから二人は墓地を抜けて歩いていった。「私」はいつもより口数の少ない「先生」についていくことにする。途中、「私」はあの墓は誰の墓なのか聞くが、「先生」は答えを言わなかった。だがしばらく歩いた後、彼は「あすこには私の友達の墓があるんです」と言い、それぎり黙ってしまった。

 「私」はそれから「先生」の家を訪問するようになった。だが「先生」の態度は、懇意になってもはじめて会ったときから大して変化がなかった。それにもかかわらず「私」は「先生」に近づかないではいられない感覚を抱く。「私」が語るには、「先生」は人を愛さずにはいられないのに、自分に近づく人間を歓迎できない人間である。
 「先生」はいつも静かだったが、ときおり変な曇りが表情が出ることがあった。それは墓地で「先生」が見せたのと同じものである。
 いつの間にか、「先生」の墓参まで後三日という所まで来ていた。そこで「私」は「先生」に墓参りにおともしたいと申し出るが、「先生」はそれを断る。目的を達するため、「私もお墓参りをしますから」と出たとき、「先生」は先日墓地で見せたのと同じ異様な、微かに不安げな表情を見せた。
 「先生」が言うには、あの墓には誰とも一緒に行かない、妻も連れて行ったことがない、ということだった。

 この件を「私」は不思議がるが、「先生」を研究する気で家を訪問することはなかった。「先生」は自身を研究される目で見られるのを恐れていた。
 「私」は月に二、三度は「先生」の家を訪れるようになった。頻度が上がってきたある日、「先生」は、なぜたびたび自分の家に来るのか、と「私」に尋ねる。だが邪魔であるということではないという。「先生」は「私は淋しい人間です」と言った。
 それから四日後、「私」は再び「先生」を訪ねる。このとき、「先生」はまた、「私は淋しい人間です」と言った。そして「私」に「あなたも淋しい人間じゃないですか」と話す。「私」はそれを否定するが、「先生」は受け入れない。「先生」は、「自分にはあなたの淋しさを解消する力がないから、あなたは今にも私の家には来なくなるだろう」という旨のことをいって、淋しく笑った。

 「先生」の言葉は実現せず、「私」は依然先生を訪問し続けた。そのうち食卓でともに食事をするようになったので、自然と奥さんとも口を利くことになった。しかし、「私」は奥さんについて美しいという以外何も語るものがない気がした。
 ある時「私」は「先生」と酒を飲む。「先生」は珍しく快さそうで、奥さんに酒を勧めるほどだった。奥さんと「先生」の会話の途中、「子供でもあるといいんですがね」と彼女は言った。だが「先生」は子供などできないとはねのける。理由を問うた「私」に、彼は「天罰だからさ」と高く笑った。

 「私」の知る限り、基本的には「先生」と奥さんは仲が良かった。だがある日、「私」は「先生」と奥さんが言い争いをするのを聞いた。不安になった「私」を、しばらくして「先生」が散歩に誘う。
 その晩、「私」と「先生」はともに酒を飲んだ。そこで「先生」は「妻が私を誤解するのです」と喧嘩の原因を語った。どう誤解するのかと聞いた「私」に彼は返事をせず、ただ「妻が考えているような人間なら、私だってこんなに苦しんでいやしない」と言うばかりだった。

 先日の波瀾が大したものでなかったこと、滅多に起こるものではないことを「先生」との会話で「私」は理解する。
 ある時、「先生」は真面目かつ沈んだ調子で「私たちは最も幸福に生れた人間の一対であるべきはずです」と漏らした。「私」は彼が言い切らずに「であるべきはずです」と断ったことに疑問を抱く。とはいえその疑問はすぐ忘れてしまった。
 「私」はある日、先生が留守のときに奥さんと一対一で話す機会に出会った。すぐ帰ってくるということなので、「私」はそれまで待って奥さんと話をした。

十一

 「先生」は世間ではまったく有名ではなかった。それを「私」は惜しいことだというが、彼は取り合わなかった。「先生」は自身を世間にはたらきかける資格のない男だといって、「私」に深く強い負の表情を向けたこともあった。 
 さて、奥さんとあのとき話した多くを「私」はもう忘れているが、ひとつ覚えているものがあった。それが前述した「先生」の内向性についての問答だった。
 奥さんは問答の中で、「先生」が活動ができない理由がわからず、とても気の毒に思う、と同情した調子で言った。そして「若い時はあんな人じゃなかったんですよ」とも漏らした。奥さんは書生時代に「先生」と知り合いになったらしい。

十二

 奥さんは東京人だったが、「先生」は新潟出身だった。
 「私」は「先生」の生きている間に様々な「先生」の内面を知ったが、結婚当時のことはまるで聞き得なかった。その理由を「私」は二人の間にあったロマンスの存在を仮定して、いい方にも悪い方にも考えてみた。
 たしかにその仮定は半分当たっていたが、実は「先生」は非常に恐ろしい悲劇を恋愛の裏に持っていたのだ。「先生」はその悲劇を奥さんに隠して死んだので、彼女は今もそれを知らないでいる。
 恋愛について、一つ「私」の記憶に残っていることがある。とある時、「先生」と「私」は上野に出かけたときにカップルを見た。そのカップルをきっかけとして問答が始まり、最後に「先生」は「しかし……しかし君、恋は罪悪ですよ。解っていますか」と言ったのである。私は驚き、何も言えなかった。

十三

 「恋は罪悪ですか」と聞いた「私」に、「先生」は強い調子で肯定して、その理由はもう解っているだろうと言った。彼が言うには、「私」の心は昔から恋に向かって動いているのだという。しかし「私」はそうは思わない。「先生」は、「私」は物足りないから自分のほうに動いてきた、それが恋へ向かう階段なのだ、しかし自分はあなたを満足させられない、と語る。
 「私」は「先生」のいう罪悪の意味が分からず、少し不快になる。「先生」は「私」をじらしたことを謝ったうえで、とにかく恋は罪悪で、そして神聖なものだ、と言った。そして、「先生」がこれ以降恋を口にすることはなかった。

十四

 「私」は大学の教員よりも先生のほうが偉いと思う。しかし「先生」は「あんまり逆上せちゃいけません」と咎め、自分が「私」にそう思われることを苦しく、「私」に起こる(「先生」への思いの)変化をいっそう苦しく感じていると告げた。
 なんでも、「先生」は人間全体を信用しないのだという。奥さんも信じていないのか、と聞かれた彼は、自分自身が信用できないから他人も信用できないのだと語る。彼は「私」に、「とにかくあまり私を信用してはいけませんよ」と忠告した。「先生」は未来でさらなる苦難を受けないために、今の受難を忍ぶのだ、と自らの覚悟を語った。

十五

 以降、「私」は「先生」が奥さんにもこんな態度をとるのか、それで彼女は満足なのかと気になる。しかしそれを確かめることはできなかった。
 また、「私」はもう一つの疑問を持った。「先生」の人生に対する覚悟はどこから来ているのか、ということだ。彼の覚悟は彼自身の痛切な経験から来ているらしかった。その経験がどんなものなのか、恋愛事件の仮定や雑司が谷の墓などを考えてみるが答えは出ない。
 そうこうしているうちに、「先生」の家の近くで泥棒が数件出たが、「先生」は外出せねばならないことになった。家を見張るため「私」は先生の家で留守番をすることになり、奥さんと対面した。

十六

 はじめ奥さんは「私」を「先生」の書斎に案内したが、三十分ほど経って茶の間まで出るよう促してきた。二人は茶の間で「先生」について会話をした。奥さんは「先生」が自分をも嫌っているのだと語る。「私」はそれを否定するが、議論に発展するのをうとんだ彼女に話を止められた。

十七

 また口を開くと奥さんにむだに議論をしかける人だと思われる、と考えて喋るのをやめていた「私」は、奥さんに話しかけられたことにより会話を再開する。
 その中で奥さんは、自分が離れれば「先生」は不幸になるだけだ、自分ほど「先生」を幸福にできる人はいないと思っている、と話す。しかしこの信念が「先生」によく思われるかは別なのだという。
 彼女が言うには、「先生」は世間を、近頃ではそれより人間を嫌っている。自分は人間なのだから「先生」に好かれるはずがない、とのことだ。これを聞いて、「私」は奥さんが「嫌われている」といった意味をようやく理解できた。

十八

 私は奥さんの理解力に感心し、憧憬の対象たる女としてではなく、「先生」の批評家および同情者として奥さんを見た。
 「先生」は昔は頼もしかったが、段々と今のようになっていったのだと奥さんは言う。「私」はその理由を聞いたが、奥さんにはわからないらしい。「先生」は何も心配することはないと言うのみで、取り合わないのだという。いっとき奥さんは、自分に悪い所があったら直すから言ってくださいと「先生」に頼んだが、「欠点はおれの方にあるだけなんだ」と返され、たいへん悲しい思いをした。これを語る彼女の目には、涙が浮かんでいた。

十九

 奥さんが「先生」との関係で苦しんでいた要点は、「自分と夫の間には何のわだかまりもないはずなのに、何かがある。しかしよく考えようとすると何もなくなる」ということだった。
 奥さんは「私」に「先生」への疑いを開陳する。だが「私」には彼女の問いに対する答えが出ず、代わりに「先生が奥さんを嫌っていらっしゃらないことだけは保証します」といった。
 しばらくして、奥さんは「先生」が今のようになった心当たりがあるといった。「先生」が大学生だったとき、彼とたいへん仲の良かった友人が変死したのである。
 ただ、「先生」の性質が段々変わってきたのはそれからしばらく後のことらしい。奥さんは、一人の親友の死が人間をそんなにも変化させるものだろうか、と「私」に問う。「私」は内心、否定の方に傾いていた。

二十

 「私」はできる限り奥さんを慰めようとし、奥さんもできる限り慰められたように見えた。だが「私」にも奥さんにも事の真相はあまり分かっていなかったので、はっきり考えることはできなかった。
 十時頃「先生」が帰宅した。「先生」は機嫌が良かったが、奥さんの調子はさらに良かった。「私」は奥さんの様子を見て安心する。
 奥さんは「私」が帰るとき、西洋菓子の残りをわたした。「私」は翌日、「先生」と奥さんは幸福な一対として存在しているのだと思いながらそれを食べた。それから秋が暮れて冬が来るまで、別段大したことはなかった。

二十一

 冬が来て、「私」は故郷へ帰ることになった。父の病気があまり良くないので今のうちに帰ってきてほしいと、母から手紙が来たためである。
 父はかねてより慢性的な腎臓病を患っていた。その父がある日、庭で卒倒したのだという。医者の診断によると病気の結果らしい。
 冬休みまではまだ間があったが、「私」は父母の様子が頭に浮かんできて心苦しさを覚えたため、故郷へ帰る決心をする。「私」は「先生」に必要なお金を立て替えてもらうために「先生」の家を訪れた。風邪気味の「先生」は、「私」の金の無心を承諾した。
 「私」はその晩の汽車で東京を出発した。

二十二

 父の病気は思ったほど悪くはなかった。父は「私」が帰った翌日には床を離れてしまった。彼にとって、「私」が大学の授業をほっぽり出して休み前に帰ってきたことは喜ばしかった。父は用心さえしていれば大丈夫だ、と言い、実際そのようだった。父は運動を慎むこと、顔色が悪いこと以外は、さして異常なく過ごしていた。
 「私」は「先生」に感謝の手紙を書き、そこにお金の返還時期や父の病状などを記した。「私」は返事が来るとは思っていなかったので、返信が来たときには驚き、たいへん嬉しく思った。この手紙は、「先生」が生前「私」に送った、たった二通のうちの一つだった。

二十三

 「私」は暇な父とよく将棋をした。父はこたつに当たって将棋をしたがる人間だった。はじめは「私」も将棋に興味を持ったが、次第にこれくらいの刺激では満足ならなくなってきた。
 「私」は心のうちで「先生」と父を比較してみる。二人とも世間で有名でないのは似通っている。しかし「先生」は、いつも「私」の中に影響を与えているという点で父とは一線を画していた。
 月日が経ってきて、父や母の目から見ても「私」が陳腐に見えてきた。はじめは歓迎されるが峠を越えると熱が冷めてくるのだ。「私」が東京で得たものは両親とは調和しなかった。「私」は早く東京に帰りたくなる。
 父の病気には異状なかった。「私」は冬休みの終わりに故郷を発つことに決めた。そうなると妙なことに父母は反対するのだった。だが、「私」が予定を変えることはなかった。

二十四

 東京へ帰ると早速「私」は「先生」にお金を返しに行った。「先生」も奥さんも父の病気について懸念してくれた。特に「先生」は腎臓病について多くを知っており、知識を提供してくれた。
 話し中、「先生」は人間はいつ何によってどう死ぬかもわからない、と付け足す。そんなことを考えないこともないのだという。自然に死ぬ人、不自然な暴力(自殺する人が使う)で死ぬ人など。
 これらの言葉は「私」の頭には残らなかった。「私」は卒業論文をそろそろ書かねばならないということを思い出した。

二十五

 「私」は年が明けたら卒業論文を書こうという決心のみを持っていたので、実際書くとなるとたちまち書けなくなってしまった。「私」の卒業論文のテーマは「先生」の専門に近かったので、アドバイスを聞くことにした。「先生」は知識を与えてくれ、本も貸そうと言ったが、「私」を指導しようとはしなかった。「先生」は昔は本を読んでいたが、近頃はあまり読まなくなっていた。
 それから「私」は論文の執筆に大変苦労して、四月の下旬で予定通りのものを書きあげるまでは「先生」を訪問することはなかった。

二十六

 論文を書き終わり自由になった「私」は、初夏に「先生」を訪問する。「先生」は嬉しそうに「私」を歓迎する。このときの「私」は晴れ晴れとした気持ちで、「先生」に論文の論評をしたがいまいち乗ってくれない。「私」は「先生」を散歩に連れ出すことにした。
 二人は目的通り静かな所をあてもなく歩いた。そのうち植木屋に巡り合う。「私」は「先生」とともにその中へ入る。途中、「先生」の帽子が地面に落ちてしまった。

二十七

 落とした帽子を「私」から受け取った「先生」は、「私」の家には財産がたくさんあるのか、と突然聞いた。「私」は山と田地が少しあるだけで金などない、と答える。これをチャンスに、「私」は以前から疑問に思っていた「先生」の財産の疑いに触れた。「先生」は自身のことを「決して財産家じゃありません」とことわった。
 次に「先生」が父の病状について聞いてきた。毎月故郷からくる手紙の(父の)文字はしっかりしていたし、内容に病気のこともなかった。それで安心する「私」に「病症が病症なんだからね」とおさえる。
 実は「先生」の財産話や病気の話には、彼にとってこれら二つを結びつける大きな意味があった。もちろん当時の「私」がそれに気づくはずはなかった。

二十八

 「先生」は「万一の事があったあとで、一番面倒の起るのは財産の問題だから」と忠告するが、「私」はたいして注意を払わなかった。財産について心配している人は家族にはいないと信じていたからだ。
 そこから「先生」は「私」の家族の人数や親類の有無、叔父や叔母の様子などを問うて、最後に「みんな善い人ですか」といった。「先生」は、田舎者は都会の人間より悪いくらいだ、普段はみな善人だがいざという間際に急に悪人に変わるのだから恐ろしく油断できない、と話した。
 「私」は返事をしようとしたが、後ろのほうから犬が吠えてきたので、会話はここで途切れてしまった。

二十九

 財産についての心配は「私」には全くなかった。当時の若い「私」には金の問題が遠くに見えたのだ。それよりも「先生」の、人間はいざという間際に悪人になる、という言葉についてもっと知りたかった。
 帰りに「私」はそれについて口を切った。あの言葉の意味を聞かれた「先生」は「つまり事実なんですよ。理屈じゃないんだ」と返す。次に「私」はいざという間際がどんな場合を指すのか聞いた。「先生」曰く、それは金を見たときだった。
 「私」は「先生」の返事が平凡すぎてつまらなくなった。その様子を見た「先生」は、「君の気分だって、私の返事一つですぐ変るじゃないか」と言った。

三十

 「私」は先ほどの「先生」の言葉で彼を憎らしく思った。「先生」がいつもの通り落ち着き払ってすました調子でいるので、「私」は「先生」をやり込めようと、「先生」が興奮したところなどあまり見たことがない、と言葉をかけた。だが「先生」は「やあ失敬」と立小便のあとに言うのみだった。「私」は「先生」をやり込めるのを断念した。
 だがしばらくして、「先生」はその件について再び触れた。本人が語るには、「先生」は大変執念深い男で、人から受けた屈辱や損害は何十年経っても忘れない。「私」は「先生」がこんな執着力を持っているとは思いもしなかった。
 「先生」は続いて、自分は親戚に欺かれ、それにより受けた屈辱と損害をずっと背負わされ続けている、それで自分は彼らを憎む以上に、彼らである人間という存在全体を憎むことを覚えたのだ、と語った。これを聞いた「私」は、言葉を失う。

三十一

 「私」は思想上の問題について「先生」から大いなる利益を得た。だが利益を受けようにも受けられなかったこともあった。先日の散歩で起こった談話も不得要領のものであった。
 その不得要領であることを「私」は「先生」に打ち明けた。「先生」は自分のことを何も隠していないというが「私」は食い下がる。「先生」が言うには、頭の中の考えを隠すことはないが、自らの過去をすべて語るとなると別問題であるらしい。しかし「私」は納得しない。「私」にとって、「先生」の思想と「先生」の過去は不可分一体で、切り離せば価値がなくなってしまうのである。「私」は、ただ「先生」から真面目に教訓を得たいだけなのだと訴える。
 その言葉に対し、「先生」は「私の過去を訐(あば)いてもですか」と返す。「私」は急に恐ろしくなった。続けて「先生」は、自分は人を疑っているが、「私」のことだけはそうしたくない、と話す。

 そして、「私は死ぬ前にたった一人で好いから、他(ひと)を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたははらの底から真面目ですか」と迫った。

 「私」は「先生」の言葉を肯定した。結果、「先生」は時期が来たら自らの過去のすべてを「私」に話すことを約束する。

三十二

 大学の卒業式がやってきた。それに出席した「私」は、帰宅してから自分の過去と未来を想像した。同日の晩、「私」は約束通り「先生」の家で晩餐を食べた。
 「先生」は「私」に盃を上げてくれたが、「私」は大してうれしい気持ちにはならない。「先生」の笑いには悪意も喜びも感じ取れず、世間に対する皮肉めいた思いが浮き出ていた。

三十三

 「私」は卒業したが何をするというあてもなかった。何をするという考えもないのだった。職業について全く考えたことがなく、選択に困るのである。「私」はこれを「少し先生にかぶれたんでしょう」と表現する。
 ここで「先生」は、父が存命のうちに財産を分けてもらえと忠告した。「私」は前の散歩中に出てきた「先生」の言葉と語気を思い出した。それで、「先生」の持っている財産について聞いてみた。

三十四

 「私」が「先生」の家を出るとき、これから故郷に帰ることもあって暇乞いの言葉を述べた。話題はそのうち父の病状になった。
 突然「先生」が、奥さんのほうを向いて、自分は奥さんより先に死ぬだろうかと聞いた。奥さんは一般とは違って、「先生」は丈夫だから自分が先に逝くだろうと言う。「先生」はそれに疑問を呈し、最後には、自分が先に死んだらどうするかと奥さんに聞く。奥さんはいったん口ごもったが、冗談らしく笑って返した。

三十五

 次に「先生」は「私」に対して自らの死期を聞いた。「私」は「寿命は分かりませんね」と返す。そこからも「先生」の自らの死についての話が続いた。「先生」は自分の死について話すのをやめようとせず、かつ、奥さんよりも先に死ぬという体で話していた。奥さんは「先生」に対してその話題はやめてほしいと頼み、「先生」もそれについては話さなくなった。
 「私」は「先生」の家を去った。故郷に帰る前に買うものがあるなどの理由で、すぐに下宿には帰らなかった。「私」が帰宅したのは十二時過ぎだった。

三十六

 「私」は故郷から頼まれたものや、故郷で読む書籍などを面倒くさがりつつも買っていった。そして、「先生」の家で晩餐を食べてから三日目の汽車で東京を発った。
 「私」は父の病状について一番心配しなければならない立ち位置だったが、大して気にはならず、むしろ残された母のことを気の毒に思った。つまり、「私」は父は亡くなるのだと覚悟していたに違いないのだ。
 汽車の中で「私」は「どっちが先へ死ぬだろう」という「先生」の疑問を反復した。どちらが先に死ぬとわかっていたら、「先生」と奥さんはどうするだろうか。二人とも今のような態度でいるしかないだろう、と「私」は思う。「私」はそう考えて、人間をはかないものだと感じた。