副作用だと思っていた

「なんか、えばってるよ。言い方が偉そう。」

最近友達に言われたひとこと。

自分は己の意見がいちばん正しいと思い込むようになっていた。
いや違う。実際は、物心ついたときから自分の考えがいちばん正しいと思っていたけれど、私はそのことを認識していなかった。
周りの人の助言のおかげで、自分以外を否定していることに気が付かされた。と言うのが正しいきっと。

バイト先の店長は、

「世の中のいろんなことを知りすぎても、視野が偏ってしまうから、気をつけないとだよね。」

と言っていた。

人生何週目という概念があるが、詰めの甘さとか、鈍くささ、不器用加減でおそらく私は人生1週目であるのは確信している。この人生1週目のアホさは、人間界をたかが21年経験しただけで、人間界を攻略した気になっているところに出ていると思う。ま、他責思考はその辺に置いておいて。

自分の視野には偏りがあるということに、気が付かないということには気を付けなければならない。


実習先の方が、

「自分が一生懸命やっていると、そのぶん自分の手段とかやっていることが一番正しいと思ってしまって、他人も自分に当てはめようとしちゃうんだよね。他人が自分と違うことをしていると、これじゃだめだろうと思ってしまう。でも実際はなにが一番正しいかなんて分かんないし、当てはめたら向こうも負担だっただろうし、なんでも良いって思えるようになるまで時間がかかった」

というようなことを言っていた。

TAMAYA2060%さんが作詞したCANDY TUNEの
「倍倍FIGHT!」という曲の歌詞で、

「何かを目指すということは
何かを本気で信じるということです」

とあった。

自分が正しいと思うことは、そのことを本気で信じているとも考えられるのかと知った。

信念とか持論とか、頑固のもとだからあまり持ちたくないなんて思っていたけれど、とっくに自分は無意識に持論を持っていたし、なんなら頑固だった。
そのことに気が付いて、自分の意見が一番正しいなんて思わないようにしようとしていたけれど、できなかった。

でも、正しいとか正しくないとか、正誤じゃなくて、私がそのことを本気で信じているだけだと思ったら、
わたしの意見は、世の中に人の数ほどある意見のなかの一つだと思えるようになった。
なんか、これが客観てことか?と思った。ふふ。
今まで主観の塊だったのか。はは。

持論を持つことは頑固になるっていう副作用があると思っていたけれど、
主観を暴走させなければ、良いのね!という、私にとって新たな発見。
結局、
自分の意見を他人に押し付けんなよ!という、ただそれだけの話なのだけど、それが今までできなかった人間の思考の変化のおはなし。





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