【手の内を晒すという愚行 壱】 「"嫌いでも運行されるものは運行されていくそれを壊すのは大抵犯罪とされている"から出発する自己追求」
嫌いなものはなんですか?
わたしですか?
どうも。
でもわたしが引き続き活動するように嫌いなものでも運行されるしそれを壊すのは大抵犯罪とされています。
何が言いたいかと言うとですね。
他人の思想に反感を抱いてそれを持つのはおかしいと思った時点である意味人殺しなんですよ。
自分好みに自分にとっての正しさに修正しようとしているのは洗脳なんですよ。
それを厭わないから勝ってきたとお思いのエゴイストも多いことでしょう。
ええ、たしかに悪人は勝ちやすいです。
私が負けていることからも明らかです。
しかし勝ち負けも一つの尺度の上でのお話でしかありません。
お金を稼いだら幸せになりやすいでしょうが、そもそも幸せになる必要があるのでしょうか。
何故幸せを希求しなければいけないとお思いなので?
別に幸せになんかならなくたって不幸だっていいじゃないですか。
どうしようもないくらい不幸でつらくてつらくて消えたくてしにたい。
それでいいじゃないですか。
よしんばそれで死んでそこで人生終わりでもいいじゃないですか。
それを自分で憐れに思うのはなんでなんですか。
そう言う教育をされてきたからですか?
条件付けってやつですかね。
なまじ社会性がある分「みんなが悪いと言うものは悪いと感じる」風に育っちゃったんですかね。
所詮みんなとは違うのにね。
誰とも自分比較しなければ不幸など感じえないのでは。
それができたら苦労しないと思うのは慣れてないだけでは。
じゃあさっさとそれをすればいいのにしないのはなぜですか。
それはまだ私が現行のバージョンのわたしに何らかの淡い期待を寄せているからでしょう。
まだ、やりきってないんです。
やれること出来ることが明らかに手付かずまたは食べかけで放置されています。
こらはいけない。
性根のぶっ壊れた自称成功者の相手などしてはいられません。
自分のやるべきことに戻らなくては。
邪魔したいですか?
じゃああなたには僕が見えるか?
見えたならあなたは本物だ。
見えないなら所詮はあなたは三流だな。
誰宛の文字列であるかわかりましたか?
わかったならあなたはすごいトレース力ですね。
「普通」他人の思考なんてそこまでわからないもんです。
「あんた普通じゃないよ」
誰かが私に悪意や敵をもってもどうでもいいことなんでしょうね。
「他人にどう思われようがどう言われようがどでもいい」
寧ろ「あいつはあんなに不幸せなのに俺はこんなに幸せでよかったー」という一種の優越感を誰かに与えられるなら社会貢献では?
不幸により社会貢献ですよ
そして何より一番いいなと思うのは
そういう彼らはこのような思考着想を自発で抱くことが不可能ということです
そこに思想家としての絶対的な深みな差があると私は思いますけどね
あなたがそう思う必要はありません
わたしは殺人鬼じゃあないですから