不満不安集 零節 「底辺と困窮」
生きる為にお金を稼がないといけないんですよ。
そしてお金を稼ぐためには経歴や実力がいるんですよ。
それは生まれと生い立ちで大体決まるんですよ。
それがないからないなりに危険に身を晒し恵まれた人に嘲笑われ、邪魔されても文句を言わずに従順な犬として生きるんだ。
それで死んだらそれまでだよ。
生きられない予感がして死にたくなった十代と、生きたいのに知らねって死ねって迫られる二十代と。
しょうもない日々を夢で灯し、罵詈雑言にも暴力にも耐えて、どうすればいいかわからない事に揉まれ、「いつか」をただ目指してることを、生きるっていうらしいよ。
昭和時代の16時間労働週休1日を持ち上げて、俺が苦労したんだからお前も苦労しろと、いつのまにか言うようになる。
一億総知らんぷりで俺は嫌な思いしてないからで不幸ぶるのもダメでお互いに牽制し嫌いあって孤立し合うんだ。
疵がない林檎だけ売れて歪なものは捨てられて、花屋の花も選定された美しいものに限られて。
非行少年の家庭環境や成功者の家庭環境をみれば全ては生まれと育ちの運ゲーでしかないことは明らかに見える。
レイプされた少女は売春婦になりアフリカや中東からは巨人はほぼ生まれず日向の阿呆がのうのうとひり出す思いつきめいた制度に左右され下らない時間の肯定を求められることを人生というらしいよ。
昭和期の根性論がいくつもの非効率と長時間やればという観念を育てた。
戦前生まれが作った大企業、継承して世界で通用しないバブル世代、そいつらを親に待つY,Z世代、喪われた30年、就職氷河期世代も自業自得で、困ってない人たちは対岸の火事で輪の中でヘラヘラ笑って凌いでいく。
やんなるね。