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1月の図会議勉強会

図会議始めのはずが、1月も後半で普段の図会議・・・よりもグダグダ。
リアル図会議は石川県白山市の佛子園住民自治室でホワイトボードを机に広げて図会議をやっています。行善寺さんと隣接、敷地内に温泉や飲食施設、プールやフィットネス施設、クリニックなどさまざまな施設があり、スタッフなのか利用者なのか健常者なのか障害者なのかも曖昧なうえ年齢も多種多様、性別も含めこんな人が多いとも言えない、なんともごちゃ混ぜな空間なのです。居心地が良いのはいろんな人がいすぎて、同じような人グループを作ってもたくさんグループができるだけみたいで誰がいても当たり前な空間になっているからなのかも知れません。

86歳の母が図会議に時々参加してくれるのは、そんな佛子園の居心地の良さと出会った人に声をかけられたり、ご飯を食べて温泉に入って買い物をしたりが、図会議に参加するともれなくついてくるからなのだけど、今回は気が向かなかったようで図会議不参加でした。

前日からの母の気ままさに呆れて思わず常連参加者に愚痴ってしまい、とうとう図会議の課題を「〇〇○とは?」とやってしまいました。〇〇○は母の名前で常連参加者は時々参加する母を将来自分が関わるであろう介護の予備知識として観察していたようです。観察していた結果報告のような図会議、アレ〜図会議ってなんだったったっけ?「具体と抽象を行ったり来たりしながら建設的な話し合いをする」う〜んコレって建設的なのかなぁ・・・そもそもファシリテーターの気持ちが中立じゃないし


とても建設的とは言えない付箋の数々


ところが抽象度が上がって「ギョッと思った」
図会議では抽象度があがった時に共感することが多いのですが
そうそうと、この付箋を貼りながら強く共感してしまいました。
付箋の言葉を見て感じることは人それぞれ違って当然なので
思ったり感じたりしたことは事実なのです。
でも対象になっている人が思った通りの人である訳ではなく
当たり前のことだけどそういう人かどうかはわからないわけです。
そこで思ったのは「ギョッと思った」これは事実で
その人がいいとか悪いとかのアセスメントは必要ないしジャッジする必要もないけど「ギョッと思った」ことが課題なわけで
コレを和らげるには距離をとることが最善ではないかと!
解決ではないけど最善策だと思うし、それしかない。

一見悪口のオンパレードにしか見えない言葉達だけど抽象度を上げてみると
「ギョッと思った」で共感できたところ(ホワイトボードに書き忘れた)から、具体的な対策「距離を置く」という解決策が見えたのだ。
あっ!建設的な話し合いになってるわ!

あーあの図解だ!
と頭に浮かんだのが、「図解で学ぶ成功事例の横展開方法」
高野雄一氏のnote。ビジネスの話だと会社だったりするのだけれど
個人であっても違うもの同士という視点と具体から抽象を行ったり来たりすることで新しいアイデアや解決策が浮かぶところは、ビジネスも個人も変わりがない、実は境目がないのかもしれないと思うのです。高野氏のnoteを見ていただくと、わかっていない時は見えない扉が閉ざされていて抽象で共感できると扉を開けて行ったり来たりできるみたいな関係性にみえます。その図解を思い出したのです。

今回の課題は付箋に書かないで話しても同じ経過を辿っただろうか?
仮に同じゴールに辿り着いても時間はもっとかかるような気がする。
付箋がなくて話し言葉だけだったらふ〜んで終わった気もする。
やっぱり視覚からの情報は脳を活性化するなぁ。
毎回発見があることが楽しいですね。

ご参加いただいた方
note読んでいただいた方
関わって下さった方
皆さまありがとうございます。

今年はリアルとオンラインこだわらず
今までよりさらに
誰でもどこでも気軽に参加できるような
図会議ワークショップを目指したいと思います!
どうぞ皆さま引き続きお付き合いよろしくお願いします。



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