「染色屋」を始める意味
令和元年6月。
北海道下川町で【採色兼美】という染色工房を始める。
肩書きは【染色屋】にした。染色師でも、染色家でも無い。独学で実験を繰り返し、独自製法で独自の色をつくり、【夢宵桜】(ゆめよいざくら)という名前を付けた。家を継いだ訳でもないし、資格がある訳でもない。「師」や「家」よりも「屋」がしっくりくる。
今や、環境未来都市やSDGs未来都市などで地方創生のトップランナーとなった下川町。私の故郷であり愛着がある町。若い頃は、まさか帰るとは考えていなかったが、紆余曲折あって故郷に戻る事にした。それが2016年初夏。
ただ丸腰状態で帰るのは無謀だ。20代にDTPやグラフィックデザインで培ったものを土台に地元で広告屋をやろう。そこで下川町に初となるデザイン事務所をつくった。
本当のチャレンジは、この時まだ引き出しの中で炎が燻っている状態。カタチや、やりたいコトの輪郭がハッキリしない状態では踏み出せない。だから、まず、自分が地元の下川町でできる事から始めて基盤を作った。やりたい事はそれからでも、遅くない。
なんて思っていたら、3年の月日が流れ、燻り続けて煙に巻かれ何だかわからなくなってきていた。
空想の世界、机上の空論、実践できないでいたら、【森の寺子屋】という勉強会のような有志で集まる実践会議が下川町(役場とタウンプロモーション部)で立ち上がって、これに参加すれば何とかなるんじゃないか?って、藁にもすがる思いで月に一度の報告をしながら走り続けたら輪郭がくっきり見えてきた。アイデアや意見をいただいた皆さんに本当に感謝。人前で話すのは苦痛だったけれどね。
前置きが長くなってしまったが、
染色は目的ではなく手段である。
染色屋の本来の目的や意味は、
地域資源を無駄なく活用して、廃棄物から価値を生み出し、美しい循環をさせること。
下川町にある資源(木材加工で出るロス、廃棄物として出る灰、当たり前にあり過ぎて無価値と思われていやしないかと思う多種多様な植物)を使い、組み合わせでできる地産地消型の色を生む事ができた。
それが、たまたま「染色」という方法で実験が成功した。(コレが引き出しの中身)
染色の布に定着させることができた瞬間、雲の隙間から陽の光が差して照らすみたいに、空想が現実になった。できるという確信に変わった瞬間だ。
染色屋になりたいんじゃない。環境や景観を守りたいんだ!
実のところ、染色屋をやって稼ぎたいというんじゃない。
事業をする=利益を生む
これは事業者として使命なのは百も承知だ。
ただ育ってきた下川町の環境や景観を護りたい。
キレイゴトに聞こえるかもしれない。
そんなのはわかった上で書いている。
しかしながら、下川町は自分の故郷。
この自然に囲まれた空間は、自分のコア(核)となる部分を作ってくれた大事な場所。
否定したくない。
時代という潮流に乗り変化しながら、
それでも、護るものは護る。
採色兼美は、理念を忘れず、利益重視じゃなくて、故郷に何ができるかを思いながら、染めていこうと思う。
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