「書きたい」内容は「描きたい」こと? 【原作準拠で二次小説を書くということについて】


はじめに


予想:
『二次創作小説を考えると「絵が描けないから文を」という発想が色々ねじれを起こしていたりしそう』

という予想を出版点として、色々考察していきたい。


"ポエム小説"は脱却すべきものなのか?


 たまに二次小説の描き手が悩んでるのを見かける問題でしょう。

 私の結論は『それを進んで書きたい人は書くべき』です。
ではそれで話は終わるかと言うと、そう簡単な話でもないんですよね。

 結構『私はポエム小説書きたいから書くんだよーーー!!』というポジティブな発想だけではなく『ほんとは様になった"良い"文章を書きたいのに"ポエム小説"になっちゃう』という人がいる気がしています。

 揶揄して表現してる"ポエム"は実際によく出来た「」のことは指してないです。
 大凡は「あるキャラクターの独白」だったりするのではないでしょうか。
この「キャラクターの独白」に当たる叙情を二次創作のメインにした時の難しさが色々あります。

「そのキャラクター、そもそも独白する性格してる?」


 これがやはり最初に来ます。

 例えば
少女漫画で男性に恋する女子中学生が、心の中の「言葉」を吹き出しにつけて独白する
 という描写はよく見るし、それをするキャラクターなら全然問題ないでしょう。

 しかし、二次創作で表現したいキャラクターが皆そういうわけではなく、長々と思いを綴ったりしないキャラが世の中には沢山います。

 そんな中で『BLとか、恋愛ものとか、カップリングで相手への思い、感情をそのキャラが持っている光景を表現したい!』。
 そうなった時、よく言われる手段に以下の文言があります。
三人称小説で、情景描写を使って想像力をかきたてよう

 今ここでその手法は書きません。pixivでも有名な指南書が出ていますね。
(こちらの小説講座など:
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8741316)


 上記のような『情景描写を使って』と言われることで、『原作ではそもそも描かれていないストーリーがルート分岐したようなCP及びストーリー』などは解決出来ると思います。

 しかし、そうじゃない人にとってここで以下の問題に直面する可能性があります。特に『イラスト的妄想、本編に沿った映像的妄想』のタイプに多いと思います。


 詳しく書きます。

「ある書き手が表現したい場面を三人称で情景描写多めでしようとする。
するとイラストで表現する場合は問題ない場面・情景が、文字で表現すると『漫画の実際の場面のノベライズ』になってしまうことがある。
 二次創作が著作権的にグレーと思っていても、この"ノベライズ"はさすがに黒に近すぎると、意識、無意識問わず思い立って、結局筆が進まないか、諦めてポエム小説にするかという状態になってしまった......」


 著作権の感覚や慣習の問題で、漫画のあるキャラが好きになって、そのキャラのある場面をちょっと違う構図などでイラストで表現しても、割とOK――二次創作としての黙認――がしやすいです。
(※僕自身の二次創作への主張が気になる方は、遠回りになりますが、マガジン『生成AIにクリエイターはどう向き合うか』の「その3」で記載しています。)


 しかし、文章で"原作のある場面"を描写して、その時自分の好きなキャラは
・どういう情緒でいた?
・何を考えてた?
・どういう表情をしてた?
などをクローズアップしたい、と思っていると、『三人称で写実的に』執筆すると文章が「原作まんまのノベライズ」になりかねません。

 それを回避して、怒られなさそうなレベルまで場面描写を削いで(読書は当然物語知ってると想定しているのもある)そのクローズアップ、フォーカスしたいキャラを中心にすると、結局"ポエム小説"になってしまう

 こういった経験、実は結構な二次字書きにあるのではないでしょうか。

回避方法


・モブ視点
・妄想(謎)時空、if世界線、原作改変
・パロ
・オリジナル主人公
などが使われたりもします。

 もちろん、列挙したジャンルをポジティブに書きたくてしてるなら全然ヨシ。でも本当に”したくて”その方法を採用してますか?


 例えば「モブ視点」で考えてみましょう。

キャラの独白はキャラ自身の性格に合わない。けれどキャラを「描写」したい。その時の「情緒」を書きたい。
 でも三人称で場面描写してると著作権ゴニョニョ...となる。

 その解決法のひとつとして「モブ視点」にして、モブにその表現したいキャラへの感情の吐露をさせる。

 という方法がある。


 ......のだけど、「モブ視点」も、回避したい人は回避したい手法。

 イラストで表現できる人は、自分自身が「カメラ」を構えキャラに向けて演出をキャラにさせても意図的させていることを感じさせない(ように描きやすい)。

ただただキャラがそこにいる感じがする。もちろん、そのイラストレーター・絵師のこだわりや癖、個性は見えるし見えた方が楽しいですが。

 しかし文字でやろうとすると、上記の問題点が色々出てくる。
(私は「モブ視点」全然していいと思うんだけどね。でも、やっぱり一定の人から嫌われてるのもわかるし、回避したい気持ちもわかる)


 じゃあ上記「モブ視点・謎時空・パロ・オリ主」以外に手段がないかというとそんなことはなく、色々解決策がある。

 全部ではないですが私がパッと思いついたり実際にしている方法を以下いくつか挙げていきます。

原作準拠で二次創作小説を書く手法


アフターストーリー,中間ストーリー


1.原作のストーリーに割と空白期間があったり、アフターストーリーが妄想しやすくて、謎時空やパロディじゃなくても「ストーリー」を妄想しやすい

 これはそもそも原作やメディアミックスアニメが二次創作小説に優しいタイプと言えます。夕方長期アニメタイプとかだと日常描写しやすい作品が多いので、考えやすいですね。

 アフターストーリーはちょっと難しくて、妄想するアフターストーリーによっては「オリキャラ」が結構登場したりする妄想になったりします。漫画表現より小説の方がオリキャラをぼかして表現できないので、「オリキャラ」を避けたい感情があると書くのが難しくなります。

過去回想


2.登場人物が「過去回想」として該当の場面を書く

 これはわかりやすい例が合って、代表例は「シャーロック・ホームズ」シリーズです。

「シャーロック・ホームズ」シリーズはコナン・ドイルという人が作者ですが、作中の設定では『ホームズの助手ワトソンが、"ある程度年数が経って世に出しても怒られたり不利益がなさそうな事件"を選んで回想して執筆している』という体裁をとっていいます。

 ここで一人称小説をさらに2つの種類に分類させてください。
それは
心の声がそのまま小説形式で表現され、それが地の文となって可視化されてる」
「1人称の人物自身が筆をとって書いてる」
の2つです。

 後者で(特に)過去回想の体裁で書くと、『あの時の自分はこう考えた。今でこそ言えるけどね』のような、当時のキャラクター像では言いづらいタイプの独白が書けたりします。
 また一人称であったとしても、例えば雑誌に載せる体で書いているとすれば、そのキャラクター性をエミュレートした言い回しだけでなく、ある種書き言葉の公的性の持った文体を混ぜて書きやすくなります。

 しかも二次創作として考えると『ある登場人物が年月が立って過去回想しながら書いてる』という状況はその時点でいくつかの"創作性"があると言えるので、『3人称だとノベライズ感が出て困る』という状況の解消にも繋がるので、結構おすすめしたいです。

“創作物を表現する様”を文章で描写する


3.言葉以外の感情表現の手段を持ってないか、その手段を用いて不自然ではないか探す

 引き続きシャーロック・ホームズを例に出します。

 ホームズは趣味で「ヴァイオリン」を演奏します。

 楽器を弾けるキャラだったり登場人物の誰かが演奏できたりするなら、そこに描きたい情緒を上乗せさせるという方法があります。
 ホームズとワトソンは観劇も良くするので、オペラの場面を引用するのもいいでしょう。

 音楽以外にも、
・筆者が絵を描けなくても登場人物が絵を描くなら、その登場人物の絵を通してキャラの感情を映す
写真撮影を通して「絵的」に筆者の妄想を描く
などの手段があります。

三人称の技法


4.三人称の地の文に「作者」を登場させる。
(※入門書などでは禁則事項と言われたりもしますが、そこも含めて解説します)

 2つ目に一人称の話題を挙げましたが、今回は三人称の文の場合です。


 作者登場と言っても物語世界の"登場人物"として出てくるわけではありません。
 ナレーターとして物語を語る時に、ある程度人格を付与して物語を語るのです。

 芥川龍之介の『羅生門』を例に出します。

作者はさっき「下人が雨やみを待っていた」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない』
 という"作者がいきなり名乗り出て解説するのが有名ですね。もちろんこれは特殊な事例で、いくつもの考察や読解の事例があるのですが、ここでは1つに絞って解説します。

『羅生門』はほかにもこんな箇所があります。

『羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男の他にも雨やみをする市女笠や揉鳥帽子が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男の他には誰もいない。何故かと云うと(後略)』
『「下人が雨やみを待っていた」と云うよりも、雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である
『――いや、この老婆に対すると云っては、語弊があるかも知れない

......などなど。
 これは、所謂ナレーター的立ち位置の人物がいて、読者、あるいは話を届けたい先があることを想定して語っているということができます。

作者がいないように、物語がただそこにあるように書く』というのは割と近代的"流行"です。
最近の三人称小説でも、地の文を読解すると実は作者的立ち位置やナレーターが人格的振る舞いをしている、という文章が結構あります。


 それにより得られる効果は沢山あるのですが、二次創作的に考えると
私はこの場面をこう捉えた。実際の人物の感情はわからないがここに叙情を感じて話を広げたい
とすることが出来、また原典の物語から描きたい箇所を移動させて、"原典と同じ物語を描写しながら"違う創作性、新たな解釈、物語の順番の入れ替えの妙などを出すことができます。


 たまに小説の指南書に『読者に考察させる文章を書くんだ! 直接的な描写はやめて、想像力を掻き立てるように』という指導があり、それは間違っていないです。

 しかし、特に二次創作においては、原典がある訳だから『私(作者)はこう解釈した』がしっかり言及されていた方が面白いことも多いします。


 また小説の入門では『人称を間違えないよう、ごっちゃにしないように書こう』とも指導されます。それも正しいと思いますし、二次創作で所謂ストーリーの世界の登場人物として「作者キャラ」が出てしまうのは話がイタくなりがちなのでほとんどの場合避けます。
(「って、なんで俺くんが!?」とか、ネット小説の痛い部分の鉄板ネタにされてますよね)

 しかし、ナレーターとしての役割を意識して「語り手」として振る舞うのであれば、むしろ「作者登場」した方が良い二次創作になったりします。

おわりに


 以上、とりあえず4つ項目を挙げてみました。ほかにもいくらでも手段はあるのですが、ひとまず今回はここまでとしたいです。読んで頂きありがとうございました。皆様の書く二次小説を楽しく読めればいいなと思っています。

 また気が向いたら続編を書こうと思います。

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