保育園が決まって感じた一時保育先のありがたさについて

上の子が2歳になった頃、6ヶ月から利用していた一時保育を辞め下の子と同じ保育園に正式に通うことなりました。

一時保育を辞めるにあたって、思った以上に寂しい気持ちになりました。
一時保育とはいえ保育園に支えられていたんだなぁと深く感じ、この支えられ方は、話題になっている併走型支援だなと思ったので考えをまとめます。

◾️何に支えられたのか?

子どもの様子を教えてくれる言葉のやり取りに支えられていたと思います。

一時保育にて継続して関わってくださってる先生方と「今こうだね!」と一言二言を交わす、特には連絡帳で知らせてくれる、そんな子供の育ちを見守り伝えてくれるのがとてもありがたかったです。

特段、相談をしたわけじゃないけれど、一緒に子供をみていて、子供の状態をわかってくれる理解者が増えた感覚にとても支えられていました。

保育後に「今こうですね」と共有できることで「この子を見ている人は家族だけじゃない」と思える、そのことがとても力強かったんだと思います。

こんな育ちだねという、保育士さんからの言葉で子どもを客観的に見れることで日々感じている成長を保証してもらっている安心感がありました。

家族以外で、子供の発達や成長を見守っていてくれる大人の存在は他の大人とは違う存在だなと思います。

夫や実母も見守ってくれていますが、親の贔屓目は確実あります。

ママ友も成長を見守ってくれますが、「どういう育ちなのか」ということを一緒に考えてくれる存在ではありません。
ママ友はどちらかというと私の気晴らしになる意味合いが強いです。

子供を育てているとちょっとした変化や成長など日々感じています。実際に何時間か過ごした保育士さんからそれを伝えていただけること、とても大事な時間でした。

そして、子育ての中で最初に出会う先生として、一時保育の先生に出会えたのは私にとって幸運でした。

さて、当時2歳だった子供は、その後に小規模保育園→幼稚園と転園しています。
一時保育スタートの集団生活、現在頑張っています。
その頑張りを見守っていけるのは私が「先生方は育ちをしっかり見てくれている」と思えるからで、少なからず一時保育先の先生への信頼感がベースです。

保護者としての良い原体験になりました。

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