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目に見えることだけで世の中は説明はできない
世の中の現象
以下のような現象がなぜ起こるかって分かりますか?
① 水が凍ると体積が増える
② (じめじめとしたところで)鉄が錆びて茶色くなる
この「なぜ?」という理由は興味ある人とない人で分かれると思います。子供は何にでも「なんで?」といい, 大人を困らせます。ですが, 大人はもうそういうものだということで既定事実として受け入れがちです。難しいことは考えたくはないのか, それとも面倒ごとを避けることが仕事をしている間に定着していったのか…その辺の真の理由はわかりませんが, しかし, なぜなのかを考えるのは重要です。
(i)「なぜ?」という疑問を解決する過程で新たな知識を得ることができ, 問題解決や改善に役立てることができる
(ii) 疑問に思うこと自体がクリエイティビティを刺激し, 新しいアイデアや発見を生むことができるようになる
(iii) 疑問に思わないことで, 経済的にも作業的にも無駄なことをして, その結果として時間や労力の損をしてしまう
これから冒頭の質問に対して考えていきたいと思います。それぞれなぜ起こるかは端的にいうと自然界の「目に見えないこと」で説明することができます。
① 水が凍ると体積が増える
この現象は水分子の構造によるものであり、水が固体になる際に分子同士が水素結合を多く形成し、分子の配置が規則的な分子結晶となります。すると、水分子同士の間に空隙ができ、体積が増えます。水素結合が突っ張り棒みたいな役目を果たしています。
② (じめじめとしたところで)鉄が錆びて茶色くなる
鉄が錆びる原因は酸化反応によるものです。湿度が高いと、酸素分子と水分子が鉄に反応しやすくなります。この反応によって酸化鉄(Ⅲ)が生成され、鉄が錆びます。この酸化鉄(Ⅲ)が赤茶色です。
マクロとミクロ
自然界の「目に見えないこと」というのは何かというと, あまり小さいスケールのために見えないことを指します(*1)。物事には1つの見方しかできないわけではなく, 大きなスケールから見る方法と小さなスケールから見る方法があります。スケール感というのは重要です。例えば最終目的地が同じ東京駅だとしても, その人が大手町にいるのか, 札幌にいるのかによって使う交通手段は違います(前者は徒歩, 後者だと飛行機と電車でしょう)。科学でも同じです。どのスケール感なのかによって話は変わります。
スケール感を考えるのに便利な言葉として, マクロ(巨視的), ミクロ(微視的)という言葉があります(*2)。マクロというのは例えば東京, 札幌, 福岡…という都市レベルの話に対して, ミクロは同じ東京でも大手町, 神田, 秋葉原…のような街レベルの話です。でも, 例えば世界規模で考えたら, 全世界でどうなっているのかがマクロで, 日本でどうなっていのかがミクロになるので, 何がマクロで何がミクロなのかは比較しないとわからない問題でもあります。
何か問題あったとき, 考えている狭い世界や普段生きている世界だけに閉じ込むると壁にぶつかると思います。「木を見て森を見ず」という慣用句の通りです。
逆に, 場合によってはざっくり捉えすぎて, 個々の細かい事情を考えていないときもあるでしょう(例えば人間の性(gender)を男女の2つとして考えてしまうなど)。
マクロ的な視点とミクロ的な視点を組み合わせて物事を見ることは, 何も理系のみが重要になってくることではないということが分かります。そして,特にミクロ的な視点で物事を見るのに, 科学は良い練習です。
※1 地学では地球, 気候, 天体のように「大き過ぎて目に見えない」ものを対象にします。
※2 経済学にはマクロ経済学, ミクロ経済学という言葉がありますが, 前者は家計や企業などがどのような意思決定をおこない, それらの意志決定が市場でどう影響し, どのような結果をもたらすかを考えるのに対し, 後者は家計や企業など個々がどうなる(例 失業, 業績悪化)とかを扱う経済学だと考えております。
ミクロな原因⇒マクロな結果
世の中の多くの個別な事柄は因果関係で括ることにより, 説明できます。科学的説明の因果説といいます。大抵は目に見える結果について考えますが, その原因は大抵ミクロ的な視点を持たなければわからないことです。同じようなことの繰り返しになりますが, ミクロの原因を探るのに科学は良い練習です。
他方で注意しないといけないのは因果関係は相関関係と混同しやすいことです。例えば, アイスクリームの売上が上がると, 犯罪件数も増えるという相関関係があることが知られています。これは単なる偶然であり, アイスクリームを食べたことが直接的な原因となって犯罪が起こるわけではありません(気温が上がると, アイスクリームの売上が上がりますが, 同じく気温が上がることにより(*)犯罪率が増加します。正しくは共通の原因として「気温」があります)。因果関係と相関関係を混同してしまうと, 誤った結論を導いてしまうことがあるため, 注意が必要です。
(*) 生産研究 69 (3), 171-175, 2017によれば, 実際に夏に集中していますが, これがイライラしやすい季節だからなのか, 開放的で人との接触も増えるからなのかというのは答えが出ていない感じがします。
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ミクロなものを見る(可視化の技術)
そうはいってもこの目で見なければ信じないぞという人もいると思います(新約聖書の有名な逸話でイエスキリストが復活したときに噂を聞いても実際に目で見るまでは信じないという十二弟子がいたらしいので, どこの世界でも一定数疑い深い人はいるのだと思います)。じゃあ, 実際に見てみよう, と考え頑張っている科学者がいます。
例えば顕微鏡の技術です。顕微鏡の歴史は16世紀末にまで遡ります。初期の科学的成果として有名なのが, フックのコルクの"細胞(cell: 小部屋)"の観察, レーウェンフックの微生物の観察です。その後, 20世紀には電子顕微鏡が開発され, これによって原子や分子の観察が可能になりました。現在, 生命科学においては, GFP(緑色蛍光タンパク質)の利用やクライオ電子顕微鏡の使用などがあり, これらの技術はノーベル賞を受賞しています。また, 東大化学系でも原子・分子を見るという研究が進められており,これらの研究は物質の基本的な性質を理解する上で重要です。昔は原子は存在がわかっていただけでしたが, 今では高度な技術によって直接観察することができるようになっています。
<参照>
もっとも, 哲学的話題かもしれないですが, 何をもって「直接見る」といえるのが議論を呼ぶような気がします。というのも, 「実物」を解釈して困難で実際に解釈を必要とするとなるとよく考えないと難しいかもしれません。
※ 肉眼で見れない原子や分子は理論的対象と呼ばれることもあります。介入実在論によれば理論的対象を操作して意図していた結果が起こればそれは実在することを意味します。この考え方もヒントになるかもしれません。
※ 以下は東大の別の研究室の例(新聞記事)です。https://www.nikkei.com/news/print-article/?R_FLG=0&bf=0&ng=DGXNASDG04008_U0A101C1000000
これが一つ「直接観察」の例ですが, 一方ですぐに「これは〇〇だ!」ってわかる人は少ないのではないかと思います。
これまでは画像処理などで間接的に見る方法しかなく、直接観察するのは不可能だとされてきたという。研究グループは、試料に極細の電子線を当て、試料の原子で散乱した電子を検出器でとらえる「走査透過電子顕微鏡」を用い、水素の貯蔵材料として有望な水素化バナジウムを観察。水素とバナジウムの両原子を効率良く撮影できる検出器の位置を、理論計算で精密に予測して配置し、撮影に成功した。同じ方法で、さまざまな試料の原子を撮影できるという。
結局, 科学のとっつきにくさの一つには目に見えないからこそ, 容易に確かめられないことに起因するかもしれません。
終わりに
大人になって失うものもありますが, まだ手遅れではありません。短い時間を有効活用してこれから知のパラダイスを体感するというのも大切なことではないかと考えておりますし, 孤高の趣味の世界に留まらず実利的にも価値があるとすら考えております。
2つの観点があります。
身近なものは科学で溢れている
多くの場合, 科学は目に見えないものを扱っていてとっつきにくい
だからこそ, 簡単ではありませんが科学を頑張って学ぶことで,
世界の解像度が上がる
自分自身が知らない世界や考え方を探求することで、自分自身をより深く知ることができる
常に新しい発見や思考が生まれている未知の世界に挑戦することで, 新しい刺激や驚きを得ることができる
別の言葉で言い換えます。
科学によって私たちは医療や環境, エネルギーなど, 実用的な問題を解決するための知識と技術を獲得しています。科学は, 生活に欠かせない存在であり, 科学的知識を身につけることで, より豊かな人生を送ることができます。日々の生活で直面する様々な問題や不思議な現象も, 全部とまでは断言しなくても, ある程度は科学的なアプローチを用いることで解決することができます。科学は, 私たちが生きる世界をより深く理解するための鍵です。
(2023/4/4執筆)