漫画はマイノリティのためのもの 〜人間の命は猫のそれより軽い〜
主人公は社会規範においては悪人であったとしても
物語の冒頭で捨てられた仔猫を助けたり、道ゆく蜘蛛を踏まずに避けてやったりすると
それだけで好感度爆上がりです。
脚本術として世界的に知られる俗に言う「セーブ ザ キャットの法則」と言うやつです。
うちの嫁が逃げずに未だにウチに居てくれるのも僕が目の前で捨てられた仔猫を救って飼っているからです。多分。
偉大です「セーブ ザ キャットの法則」
ぶっちゃけ主人公は殺人鬼として人間はぶっ殺しても、猫助ければ赦されるんですよ!
…と、書いてたら嫁に「チェンソーマンがまさにそれ新章でやってたよ!」と言われて流石 藤本タツキ先生って思いました。
そうなんです!コレ大事なことですからハッキリ太字で明記しておきますね!
『創作においては人間の命は猫のそれより軽いんです!』
で、それって逆に考えると、捨てられた猫を拾わなかった主人公を冒頭に描けばその主人公はその後にどんなにいいことをしても、共感を持って読者に読まれることはないと言うことです。
それは虫を踏み潰すシーンでも同じです。
それはなぜでしょう?そのシーンにどんな意味が持たされてしまうのでしょう?
実際に人間として生きる上で小動物や虫けらを人間より優先してたら社会生活ヤバいですよね。
なのになぜ創作の世界では弱き小さきモノに存在価値があるのでしょう?
それは漫画が人間社会のためでなく読者のためにあるからですね。
漫画は読者なくしては商売として成り立ちませんから
読者のために描かなければならないわけですが…
では読者とは何者なのか?
読者とは一般大衆であり、世間として見掛けるすべての人!
…なぁんて考えてしまうのは大間違いのコンコンチキというやつです。
まず日本人の2人に1人は年に1冊と漫画を読まないのです。
それも漫画大国日本での話でそれ以外となると
もっとずっと少ない数字となるでしょう。
つまり色んな漫画を年に何冊も永続的に読む人となると
むしろ少数派、僅かな人ということになるでしょう。
そしてそんな漫画ファンの中でも好きな分野は細分化され
読む年齢層や性別も分かれ
1タイトルごとのファンとなるとかなり絞られます。
つまり漫画1作品は万人のためのものなんかではないんです。
多くの人が読む作品もありますが
それだって殆どは一部のハマった人が語り広めた結果だったりするものです。
加えて創作というものは弱者のものであり続けた歴史があります。
例えばハリウッド映画の正義はアメリカでは遅れてきた移民でマイノリティ(少数派)であったユダヤ人にとって都合のいい形に育てられたものです。
ユダヤ人が描いた「真面目に工夫して頑張るものがちゃんと報われる世界…」
そんな現実とは違う弱者の理想が勝つ世界は本来不自然なものですが
マイノリティに勇気を与えるものとして多くの人に受け入れられたのです。
同様に日本でも世界でも古い昔話や伝承の原典を読むと
なんの教訓も面白味もないものが多いのですが
それが伝えられ本になり映像になりという過程でどんどん教訓深い、
現代の庶民に勇気を与える物語となっているのです。
つまり…マジョリティ(多数派)に向けて描くと誰にも響かぬまま作品は失敗するんです。
だからキャラには欠点が欲しいし、犯罪を犯す弱さや宿命を背負っていていいのです。
猫や虫は…抵抗できない弱き者、庶民の象徴であり
それを救う者は「僕ら漫画読者=マイノリティ」を救う側の者であるという…
物語上で読者に愛される重要な伏線となるわけです。
そんなわけで大事なことだからもう一度言っておきましょう。
社会的には悪とされてもしょうがない主人公を出すなら口も聞けないような弱き者を救わせなさい!
冒頭で捨てられた小動物を物語に出すなら必ず、絶対に、間違いなく救いなさい!
多少あざとくなったとしても、第一印象で魅力の大部分は決まってしまうのですから!
『創作上では、人間の命は仔猫のそれより軽い!』 お忘れなく!