武漢熱騒動と電子図書
武漢熱騒動が起きて図書館の使用も厳しく制限され、以前あまり近寄らなかった電子書籍との付き合いが始まった。手始めは無料の青空文庫からだった。以来有料の電子図書も含め活用している。
何よりありがたいのは、かさばらないこと。この実用化が早ければ、全国規模の引っ越し族だった者としては、その労苦を半減できたことだろう。
電子図書は読んでいる途中に調べたいことがあれば、コピペや文字列をアクティブにすることで、直ちに検索できることも、大いに気に入っている。
後で調べようと思って放置したことが山とある私の性格にぴったりだ。
端末を選ばないこともありがたい。パソコンがなくともパッドかスマホがあれば事足りる。私の場合は10インチのiPadを重宝している。それに活字の大きさが気になる年齢に突入すれば、2本指のピンチ操作で自由に拡大縮小させることができる。これは手放せない。
最近はパッドを横置きにしてマルチタスク表示とし、片側に本を反対側にOneNoteを配置し、OneNoteにアップルペンで手書きメモをとるのがマイブームだ。両表示の大きさは臨機に変えられるので、マルチタスク表示のままでメモを取るのに不便はない。いちいち本からノートへ切り替える方がよっぽど手間がかかるから。
ただ電子図書の普及は、人の活字離れとあいまって、本屋さんなど出版業界に大きな影響を与えているのだろう。大変な時代になったんだろうと思う。子供のころ新しい本を買ってもらったときのワクワク感。頁をめくる小さい未来への期待とリンクする本の臭い。そんな頃のことを懐かしく思いだす。大事な思い出だが技術の革新は、過去の技術や慣習を陳腐化してゆくんだろうな。