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フラクタル・ワールド(4) 〜あっちこっちに、あなたと私〜
【あっちこっち相似】
義理の兄として妹をいじめたと継母に濡れ衣を着せられた父。やさしい心100%のお兄ちゃんだったのに。かわいそうに。おーよしよし。
そして母の方はといえば、見事にそれと重なる構造の中にあった。こちらは腹違いの兄がいる妹という立場だ。
そして二人もいたその兄たちは性格が、悪い!うちの父の方は優しいお兄ちゃんだったというのに。自分ちのワルい兄と、よその家の良い兄。むー。
しかも、戸籍によって、ワルい兄(上)と良い兄は同い年と判明。むー。対照性バツグン。
母のワルい兄たちは、後妻としてやってきている祖母に当たり散らす「嫌なヤツら」で、祖母は日々黙ってその嫌がらせに耐えていたんだ(切り取り職人・うちの母談)。サイアク。かわいそうにー。
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私の父と母。それぞれの家庭の中で、いじめられた方の者たち。シンデレラな兄とシンデレラな妹。そんな二人が、うまく巡りアタね。
【語られない事実】
ここでも、切り取り職人の母や親類たちからは一度も聞いたことのない事実が、また戸籍の中から浮かび上がる。
おやおや? このワルい兄たちも、良い兄と同様、幼くして母親を亡くしているぞ。上の兄は8歳、下の兄は5歳の時だ。
そして、おやおや? その8ヶ月後にはもう新しい母親がやってきてるぞ。新しい母親ってつまり、こやつらにひっどい目に遭わされ、ひたすら耐えていたという(切り取り職人・うちの母談)私の祖母のことだぞ。
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新しい母親の第一子として私の母が生まれるのはその3年後だ。あの物言いの激しかった祖母は、母親を亡くしたばかりの二人の男の子たちとどう接していたのだろうか。祖父はどうだったか。
そしてその子達の心のうちは、どんなだったのだろうか。
【安心感の罠】
よく心理学的には、人は家の中で始まった問題を、家族関係とフラクタルな…つまり相似的な構造に反映させてゆくと言われるようだ。そういう関係を見つけて、あるいは作って、同じ経験を繰り返してゆく。繰り返したいのだ。
何なんすかね。あーあ、まただ、とか嘆きつつもどこか安心するのだな、それまでと同じ位置関係に自分を置くことで。不愉快がりつつ、心地よい。こわいこわい。
それに、人は互いに、幸せ部分より不幸部分の方が強烈に惹き合う、とはよく聞くことだ。私自身の感情と経験も含めてよくわかるところでもある。
今までつらい目にあってきたのは、目の前のこの人の悲しみをわかってあげるための大切なレッスンだったんだわ。ってね。君はダンデライオン。「不幸」の吸引力は深遠だ。こわいこわい。
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苦労話をしている間とは、歌舞伎が安定して展開していくように、あるいは古典落語が盛り上がっていくように、決まったところで泣けるという安心感に満たされる時間でもあるのだ。
だから、傷ってほんとに治したくて舐めてるのか、ただずっと舐めることで安心していたいだけなのか、わからなくなるものだ。後者の場合は治す気は消失してるからね。あーこわいこわい。
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【ついでのフラクタル】
ついでだが。
フラクタル構造がハマり合って傷が舐め合える関係に落ち着くことができた私の父と母。
母はさらに、やがて自分で産んだはずの二人の子供をも、このいじめ、いじめられる関係性に押し込んでいくよ。
私は何かにつけ、3つ違いの弟をすぐいじめる意地悪な姉だと、自覚のないことを親戚中に吹聴されながら大きくなった。何でも私のせいにされるから弟の近くにいたくなくなって、本当に口を利かない、他人以下のきょうだいになった。
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私は感情がもつれにもつれた実家と絶縁した後、ずいぶん経ってから、意を決して人伝に弟の連絡先を手にし、向き合って自分の中のケリをつけるため「私はあなたをいじめていたのか、できるならぜひ会って尋ねたい」とメールを送った。
連絡をとろうと決意してからメール送信のリターンキーを押すまでに、40日かかった。いじめた気は無いのに、こちらからお願いしてまるで審判を下されるかのようにその言葉を聞きたいと申し出るしかない自分の立場に、40日間毎日、悔し涙が流れた。
返信が来るまでに2週間が経った。指定された喫茶店で会った。
数十年ぶりに見る顔はずいぶん変わっていて、やたらと父に似た人が店に入ってきたから、たぶんあれなんだろう、と見当をつけて会釈してみた。
むこうもきっと同じような感覚だったのだろうと思う。こちらに近づいてこられる数秒の間、ああ、きっと私の方はあの母の顔にめぢゃぐぢゃ似てきてるんだろうなぁ、とがっくり脱力した。
話し始めて数分後、「仲の良いきょうだいではなかったが、いじめられた記憶はない」と言われた。その瞬間、ほんとうに首の周囲にすーっと爽やかな風が吹いた。風はその後、何ヶ月も続いた。
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自分の身に起きることは魂が自分で決めてきていると、今ではわかっているけれども。とはいえ、やはり、ここまでフラクタル構造にハマり、ハメこまれてしまう以外に道は無かったのだろうか、とも思う。
私は今だに、親きょうだいに「家族」という信頼や近しさを抱く感覚がわからない。
つづくー。
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