駄菓子屋のスクリプト
『やさしさ』とは、いったいなんなのでしょうか。どういうものが、やさしさなのでしょうか、と、よく考えます。
ふわふわわたあめのようなもの?赤いカップに入った、あったかいコーンスープのようなもの?ピンク色のリボンがついた、かわいらしいハンカチのようなもの?ううん、どれも違う気がする。だって、やさしさというものは、目には見えないものだから。
だったら、この家にはやさしさは存在しないのでしょうか?いいえ、ちゃんとあることを、あなたも、この猫たちも、みんな、確かに無意識に知っているのです。そう、ここにはなんでもあるのです。
小さいころに通った駄菓子屋のような夢の空間。そう。あそこには、私の欲しいものはなんでもありました。あの、天井まである大きな木の棚にずらりと並んだまあるい瓶の中に、一口サイズのチョコレートや、いろんな色のキャンディ、宝石のようなグミがたくさん詰まっていて、まるで海賊船の宝箱のように、輝いて見えたんです。
ずっと憧れでした。あそこに手が届いたら、七色のキャンディも、宝石のグミも、チョコレートも、みんな、私のものになるのになあと、夢見ますが、ちっともみじめではありませんでした。だって、明日も、その次の日も、ずっとそこにあって、私から離れることはないって、急に消えたりしないって、知っていましたから。
ある夏の日のことでした。
黒縁の丸眼鏡をかけたおじさんが、竹のうちわをあおいでいたんです。
「今日も暑いねえ、このままではみんな溶けちまうよ」と、頬を流れる汗を首にかけた手拭いで拭きながら言ったんです。
奥の畳の部屋で、蚊取り線香の煙がまっすぐ細く立っているのを眺めながら、いつかここも消えてしまうのかもしれない、と、なんとなく思いました。あそこにある立派な木材で作られた四角いちゃぶ台も、床の間に飾ってある、古ぼけた青い掛け軸も、高いところに飾ってある横長の黒い額縁に入った大きな水墨画も、なくなってしまうのかもしれない…と、ただなんとなく、ぼんやりと、思ったんです。
旅に出たい気持ちと、まだここに居たい気持ちが、その子の中にありました。
いいえ、もちろん、ここに居たいんです。ですが、たまに、あのころの旅を思い出すことがあるんです。
あのころは、毎日が、一瞬一瞬が冒険でした。
ロープでできた足場を登って、マストの上からあたりを見渡してみると、青い海と青い空の真ん中、すぐ向こう側に大きな陸が見えるんです。
一羽のカモメがすぐそばを飛んで行きます。
風をいっぱい受けて進む帆船が、早く進んだり、ゆっくり進んだりしながら、上に下に、心地よさそうに波に揺られて陸に近づいていくうちに、ああ、この船に何を積み込んで帰れるかな、この船をなにでいっぱいにできるかな、と、わくわくしてくる、あの感覚。
小さな船に積みきれないほどたくさんのお土産やら、財宝やらを夢見ていたあの頃。
僕らの冒険は、どこまでもどこまでも続いていて、時間の奥へ、空間の奥へと、どこまでも広がっていると、私は知っている。
そう。だから、きっと、いつまでも幸せに暮らすことは、今の僕にだってできることなのです。今、未来の光をたくさん浴びながら過去を照らすことが、私の冒険なんです。
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