私たちが何のために生きるのか、そんなことは考えなくていいんだ、と思った1週間。
今日も、少し、父の詩集をまとめながら、私なりに解釈したことを綴ってみたいと思います。
今週は午後になると急に真っ黒な雲が立ち込めて、雷が轟き、豪雨そして大粒の雹が降る、嵐のような日がありました。
大きな音を立てて断続的に降る白い雨や稲妻を見ていると、人間は本当に無力だと思います。
そんな地球上で起こるすべての事象は、神が作ったシナリオ通りのことだと亡父の詩は言います。
では、私たちに一体何ができるというのでしょう。
先日、心理学の学びの中で、「生き物は何のために生きているのかなどは考えない。ひたすら現在を懸命に生きることが、生きる感謝の表現なのだ」という話を聞きました。
「同時に二つの場所で ぼくらの存在は成立しない」
この言葉も、まさに私たち人間は「いまある場所で、一所懸命に生きるしかない生き物だ」と語っています。私たちが生きる事とはなにかを、最後まで見つめて、父は詩に託したのだと思います。
そして「おおかたは栄光の時も 悲運の時も えてしてぼくらの概念をかけめぐる主観にすぎない」という言葉。
人生は嬉しい時も悲しい時も、見方を変えることで表裏が入れ替わるものだと言うのです。一連の詩は、神様が作ったこの世界を私たちは受け入れ、自ら楽しむ事しかできない存在であり、そう生きなさいと、教えてくれているように思いました。
7月7日七夕🎋の日、私は、今日も美味しいご飯を食べられて、健康に働けてありがとうの、感謝の言葉を短冊に書きました✨
来週も皆さんにとって素敵な1週間でありますように。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました😊
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亡父の詩集を改めて本にしてあげたいと思って色々やっています。楽しみながら、でも、私の活動が誰かの役に立つものでありたいと願って日々、奮闘しています。