東京都現代美術館「私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ」展
2022.7.18 訪問
ありがたいことに、こういう感想を書く元気が少しずつ戻りつつあります。今回は東京都現代美術館で行われている「私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ」展の感想みたいなものを書こうと思います。相変わらず碌な写真がない。
こういう、現代アートにありがちな、展示タイトルを見るだけだと何をやっているかさっぱりわからない系の展示って、ある程度の下調べはやるにせよ、最後は結局「面白そう」っていう自分の勘を信じて行くしかない感じがしています。私の場合だいたい当たりますけど、これって積み重ねが全てなんですかね
今回見に行った展示は、ゆるく“言葉の外”をテーマに構成されていたように思います。口にしづらい胸の内、分かり合えない他者、曖昧な記憶、口にしない差別、みたいな。この展示に限らず、芸術というもの全体が“言葉の外”を表現することをやっていると思うのですが、それでも、それらを見て感じた「あの感じ」を言葉で掬うことをやめられないのが私です。私の研究関心(私は大学院生です!)は、言葉で事象を正しく記述することにあるのですが、そんな私の息抜きが“言葉の外”を表現しようとするものであることに、何か、こう、因縁のようなものを感じずにはいられません、は大げさが過ぎるか…
今回の展示で一番印象に残ったのは一番最初の映像展示です。印象に残った理由は、もちろん、最初に見たから、という元も子もない理由もあるけれど、映像の中で、「日記に何かを書くことで、自分の中の衝動を宥めることができる」というニュアンスの言葉にとても親近感を抱いたからです。私もかれこれ8年以上日記をつけているのですが、書くことで“言葉の外”にいる獣が飼い慣らすこともしばしばあります。それは何も、口に出せない暗いものだけではなくて、とんでもなく前向きで明るいことだって、飼い慣らさないと暴れて、私の暴走につながることがあるものです。
ここに書くのはあくまで外に出しても私の心の安全が守られるものだけなので、実際の展示ではもうちょっといろいろ感じることがありましたが、そちらは誰にも見せない形で私なりにまとめておくことにします笑
夏休み期間はいろいろ面白い展示をやっていると思うので、隙を見て行きたいところです。そして感想をこうやって書く習慣を取り戻したい。
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