国士無双と狂気の逃げ馬
欠陥からせつなく生まれるのが、パーソナリティーだ
これは【阿佐田哲也】という作家の言葉である。
【阿佐田哲也】というのは「麻雀放浪記」という作品で麻雀小説ブームを巻き起こし、自身もかなりの麻雀打ちとして名を馳せた人物である(※本当はあんまり強くなかったという説もあるけど)。もちろんペンネームで、本名は【色川武大】といい、この名前で直木賞も獲っている。
でも、世の中で有名なのは「朝だ、徹夜だ」というふざけた由来から名付けられた【阿佐田哲也】の名前の方だと思う。
何を隠そう、私は麻雀が大好きだ。全然強くは無いが、打っていると、ただただ楽しい。わいわい話しながら打つのも楽しいし、徹夜で朦朧としながら変なテンションで打つのも良い。大学生時代、一番打ち込んだものはなんですか?と面接で聴かれたら、胸を張って「麻雀です!」と答えるくらいには好きだ。
私が麻雀と出会ったきっかけは、中学生時代に少年マガジンで連載していた「哲也~雀聖と呼ばれた男~」という漫画だった。同年代の人ならば共感してくれるのではないだろうか?
「坊や哲」と呼ばれる黒シャツの麻雀打ち【哲也】が、様々な強敵達と麻雀勝負をしていく漫画である。舞台はまだ戦争の爪痕が残る昭和の日本。少年漫画にしては設定がおかしいものが多い。まずゴリゴリに金賭けて麻雀してるし、ヒロポン中毒のヤベー奴とか出てくるし。
ただ、この漫画を読んで中学生の私は『麻雀』というものがなんとなくカッコよく見えたのだ。すぐに友人達とルールの本を買ってきて夢中になった。放課後、友人の家に集まってジャラジャラと手積みで麻雀を打った。麻雀は私の趣味になり、それは今でもずーっと続いているものの一つだ。
そんな、私の人生に確実な影響を及ぼしている「哲也~雀聖と呼ばれた男~」という漫画には【近藤】という登場人物がいる。ハッキリ言って、初登場時はモブの最たる者みたいな顔で登場する。
この【近藤】は非常に『運が悪い』。
少年時代の哲也と組んで米兵から大金をせしめたまでは良かったが、その後はいろんな奴に騙されたり、金を奪われたりしてどん底を経験する。
そんな【近藤】と【哲也】が再開するのは二人が青年になってからだ。強い相手を探して全国を巡る【哲也】の前に、【近藤】は『国士無双』という役満をブンブン和了る敵として立ちはだかる。
麻雀をやる人なら理解してくれると思うが『国士無双』は役満だ。役満とは麻雀の中でもかなり出来にくい役で、そんなに簡単に和了れるものではない。この記事の頭に貼り付けた画像がその牌形で、一、九、字牌を十四牌揃えるという、麻雀の中でも異色の形の役である。
麻雀というのは、四メンツ一雀頭で十四牌を揃えるのが基本のゲームだが、この一、九、字牌というのは真っ直ぐな手役を作ろうとする際には非常に邪魔になるクズな牌だ。こういった牌ばかりをツモってしまい、なかなか手役が揃わないときに私達が呟くのは「運が悪いなぁ……」という言葉になる。
だが、この【近藤】という男は、自分が他の強者達より圧倒的に『不運』であることを利用し、序盤にあえて振込みを繰り返すことで運を手放して、自分にクズ牌が集まり『国士無双』を和了するというフォームを確立していたのである。まさに弱者の戦法。狩られる者の逆襲だ。
「現実の麻雀ではありえない」とか「流れや運なんてナンセンスだ」などという批判はここでは受け付けない。なぜならば、今私は【近藤】の話をしているのだ。
ここで冒頭の言葉に戻る。
【近藤】にとっての『欠陥』は『不運であること』だ。そんな『欠陥』が、彼に『国士無双』というパーソナリティーを与えた。
このエピソードを見て「短所も見方を変えれば長所ってことでしょ」という感想を抱く人もいるだろうが、それは違う。全然違う。
重要なのは【近藤】にとっての短所である『不運』という部分は一切改善されず『短所』のままなのである。その『短所』を丸ごと飲み込んだ結果のパーソナリティーが、クズな牌ばかりが集まった役満『国士無双』であるという部分に、非常に強い味わいがあるのだ。
急に話題は変わるが、1970年代の競馬界に『狂気の逃げ馬』と呼ばれる競走馬がいた。名前は【カブラヤオー】という。生涯成績13戦11勝。うち、GⅠ2勝。皐月賞と東京優駿(日本ダービー)を制した堂々の二冠馬である。
この馬は、その異名が示す通り、スタートと同時に脅威のハイペースで先頭に立ち、そのままトップを維持してゴールまで走り抜けるという『逃げ』と呼ばれる戦法をとる馬だった。
めちゃくちゃに強かったこの【カブラヤオー】だが、実は関係者の間で極秘とされている真実があった。
なんと、この馬、子供の頃に他の馬に蹴られたことがトラウマで、馬群を極端に嫌う臆病な馬だったのである。競り合いながらレースを行う競走馬としては致命的な『短所』だ。
そう、【カブラヤオー】は強いから圧倒的なハイペースで『逃げ』ていたのではない。『短所』である臆病な気性を隠すために、他の馬に並ばれないように、誰にも追いつかれないハイペースで『逃げ』という戦法を取るしか無かったのだ。関係者からこの事実が明かされたのは引退後の1980年代後半だったそうだ。
【カブラヤオー】は『臆病』という『欠陥』はそのままに、『逃げ』というパーソナリティーをせつなく生み出したのである。
もちろん【カブラヤオー】に競走馬としての実力があったことは、私なんぞが言うまでもなく間違いない。生まれつき心肺能力が高く、めちゃくちゃなハイペースに耐えうる心臓があったというのも理由らしい。
【近藤】も【カブラヤオー】も、器用にいろいろな道を選べたわけではない。自身の欠陥と向き合わざるを得ない状況から、それでも戦い方を見つけ、自分のスタイルを確立した。
欠陥からせつなく生まれるのが、パーソナリティーだ
『長所を伸ばす』でもなく、『短所を克服する』でもなく。
そういうものに、私はとても惹かれる。