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『依存新書』-宗教にハマらさせる手口から学ぶ依存手法のすべて-自立した人生を歩むために

割引あり

「依存」

魅惑的な響きである。

誰かに依存されること。誰かに依存すること。

人間である以上、いずれかを、あるいはその両方を、我々は経験している。産声を上げたその瞬間から、幼き赤子は母親にあらゆる面で依存する。
依存しなければ生きていけないからである。それが徐々に歳を重ねるにつれ、親への依存から抜け出し、一人の成人として自立していく。

と、誰しも思っていたことだろう。

だが、実際にはいつまでも親に依存する子ども、子供に依存する親、さらには友人や恋人、はたまた全くの赤の他人に依存し、依存されるという関係を、我々は意識的に、あるいは無意識的に築いている。

こんなことを言うと、

「人間なんだから、誰かと協力し、支え合って生きていく必要がある。だから多少の依存関係は当たり前じゃないか」

という声が聞こえてきそうである。それはそうだ。正しい。

だからこそ私は、これから「依存」についてつらつらと書いていく前に、私なりに「依存」を再定義しておこうと思う。非常にざっくり。それでも明瞭に。

依存とは何か。

それは

「自らすべき意思決定を他人に委ねること」

である。

表現を変えると、

「自らの生殺与奪の権を他人に握らせること」

である。

これを、ここでは依存の定義として話を進めていきたい。

食べること、どこかへ行くこと、誰かと会うこと、これらの意思決定を他人に委ねることは、生きることに対する意思決定を他人に委ねていることに等しい。

生殺とは何も肉体だけのことではなく、自らの精神においても同様である。生死を左右するような意思決定を、誰かに委ねていることを「依存」と呼びたい。

さて、依存の定義が済んだところで、本noteの目的と内容、読んでいただきたい読者の対象についてお話ししたい。

まず、本noteの究極的な目的は、依存のメカニズムを理解することで、自らが誰かに依存せず、自立した大人として生きていくことを目的としている。そのメカニズムを理解してもらうために、私自身がこれまで研究を通じて知り得た宗教的な依存方法について解説していく。

私は学生時代に研究の一環として様々な宗教の信者や二世信者の話を聞いたり、セミナーや研修に潜り込んだ経験がある。また、留学中や仕事を通じて国内外の宗教エリート、幹部信者とも出会い、話を聞く機会があった。詳細や経緯は身バレのため省くが、様々な宗教の、様々な立場の人に出会い、いわゆる上記の「依存」の定義に当てはまるような、思想的な教育が行われていることを目の当たりにしてきた。
それはとても強烈かつ体系化されており、これは宗教だけでなく、マルチや営業、その他の人間関係においても示唆に富む内容だった。

その経験をベースに、
どうやって彼らは人をハマらせるのか、動かすのか、その構造を分析し、実際の人間関係に応用して解説していく、というのが本noteの内容である。

したがって、本noteをぜひ読んでいただきたいのは

  • 依存のメカニズムを知りたい人

  • 誰かに依存する関係から抜け出したい人

  • 誰かに依存している人を救い出したい人

  • 宗教やマルチに騙されたくない人

となる。
また、これらの依存のメカニズムを恋愛にも応用した。
したがって、

  • 異性を依存させたいと思っている人

  • 異性への依存をやめたい人

にとっても大変有益な内容となる。

いずれにしても、「依存」というキーワードに関心を持ち、これからの人間関係について改めて考えていきたいと思う人に読んでもらえたら幸いである。

本noteの構成と内容

本noteは以下の構成と内容となる。

  • 第一章:彼らは誰を狙うのか

  • 第二章:彼らはどう狙うのか

  • 第三章:依存から解き放たれ、自立した人生を歩むために最後に最も重要なこと

第一章:彼らは誰を狙うのか

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