ふと生きることが苦しくなる人へ:絶望を希望に変える本質的な生存戦略
ふとした瞬間に「生きることが苦しい」と感じることはないだろうか。
特に年齢を重ねれば重ねるほど、この「ふと生きるのが辛くなる」「なぜ生きているのか分からなくなる」という気持ちを感じやすくなる。
日常生活に忙殺され、社会の中での自分の存在が霞んでいくような感覚を持つこともあるだろう。では、なぜそのように感じてしまうのか?
どうすればその苦しさを和らげることができるのだろうか?
オーストラリアの精神科医であり、アウシュビッツ強制収容所を生き延びたヴィクトール・フランクルは、生涯にわたって「生きることの意味」について考え、その生きる苦しみの原因に向き合ってきた。
彼は、極限状態の中でも人は「生きる意味」を見つけることができると説いた。
有名なフランクルの著書『夜と霧』では、収容所生活での壮絶な経験をもとに、人間がどのようにして苦しみの中に意味を見出すかを語っている。
フランクルによれば、生きることが苦しくなる最大の原因は「人生の意味を見失うこと」にある。そういえば哲学者のニーチェも「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」という言葉を残している。
フランクルは、物質的な豊かさや一時の快楽を追い求める現代社会において、私たちが感じる虚無感や無力感は、まさにこの「意味の喪失」から来るものであると指摘した。
仕事や家庭、社会的な役割に忙殺されることで、人は一時的にその場しのぎの満足感を得るかもしれないが、それが自分の人生の深い意味と結びついていなければ、やがて「なぜ自分はこれをしているのか?」という疑問が浮かび上がってくる。
これこそが、ふとした瞬間に生きることが苦しくなる本質的な理由だとフランクルは考えた。
また、フランクルの考えの中で最も重要な視点の一つは、「我々が人生の意味を問うのではなく、むしろ人生が我々に意味を問うている」という観点でだろう。
彼は、「人生は受け身のものではなく、私たちがその瞬間ごとにどのような意味を作り出し、答えを見つけていくかが問われている」と強調した。
ただ生きる意味を探すのではなく、日々の出来事や苦しみの中で、自分にできる最善の答えを見つけることが求められているのだ。
フランクルは、「人生の意味は私たち一人一人が見つけるものであり、それがあるからこそ、人間はどんな苦しみにも耐えられる」と結論付けている。
フランクルの考え方で救われた人も多いと思う。
かくいう私もその1人だ。
しかしフランクルの考え方にはいくつかの課題がある。
それは、では果たして「人間は何に意味を感じるのか」という視点が一般化されていないことだ。
つまり、フランクルは生きる意味を「人間の個別の問題」として捉えており、普遍的なものとしては提示していない。
この点で、個々の人が自分なりの生きる意味を見つけようと苦しみ、それがさらに新たな苦しみを生むという悪循環が生じる。
本noteでは、生きる意味について「人間の個別の問題」という視点を超え、「ヒト」という生物学的な視点から生きる意味を考察する。
生物としての我々がなぜ生きる意味を見出せなくなるのか、その根本原因を探り、苦しみから解放されるための道を具体的に提示したい。
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