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“○○権“という言葉を好きになろう

「ライツビジネス」をやろうとすると、必ず出て来るの「○○権」という言葉。
ライツを活用しようとする側からすると、「時に邪魔だな」と思いがちなこの存在ですが、果たしてそうなのか?について書いてみたいと思います。

権利の沼⁈

世の中にはライツを守る為に規定された、権利に関する法律言語が色々とあります。
きっと誰もが思いつく有名なものは「著作権」だと思いますが、創作そのものではなく、それにまつわる「著作隣接権」というものもあります。
この隣接権、著作物を伝達する上で重要な役割を果たしているものに認められている権利
分かりやすい例を挙げると、音楽における演奏者。
彼らがいないと楽譜に書かれた音楽は我々の耳に音として入って来ないですから、重要かつ必要不可欠な存在です。
そして、演奏された音を伝える為の存在、レコード製作者や放送事業者などもこの“隣接権“の中に入って来ます。
これらの話を聞くと、この時点で面倒臭さのバロメーターもグングン上がってきてしまっているのではないかと思います。

法律はコミュニケーションの為にある

「○○権」という言葉が次から次へと出てくると、段々と頭が痛くなって来てしまいますが、逆にこう言った言葉が一切存在していない世界でライツビジネスをやろうとしている、ということを想像してみましょう。
創作者による「これは私が創ったものである」という主張は、多分誰もが理解し共感するかと思いますが、それ以外はきっとカオスですね。。。
人間の認識は、立場や経験によって変わってきますし、また、同じ権利について主張していても人によってその表現力/言語力は違います。
日本人の私に対して、中国人とイタリア人が何かを主張している、というような状態です。
きっと、もう絶対にまとまらないです。笑
そんなそれぞれの立場からの主張を“共通言語化“し、ライツの内容に対して共通認識を持つことをサポートするのが「○○権」の存在意義なのです。
単語だけ次々と出て来ると、まずは面倒臭いという気持ちが湧き上がってきてしまいますが(私も昔はそうでした)、実は、これはライツ保有者の為だけではなく、それを運用しようとしている者のビジネスコミュニケーションにとっても大変有用な存在なのです。

「○○権」は「武器」ではない

様々なライツが「○○権」として規定されて存在している背景には、きっと以前は、「〇〇権」を保有する人々がある意味蔑ろにされてきた歴史があるのではないかと思います。
それ故、エンターテイメント(に限らずですが)の世界において、そこに関わる人や産業が守られ、人々の人生を豊かにするコンテンツが継続的に生まれる環境が創られ、様々なライツが「○○権」として存在することはとても大切なことです。
ただ、その一方で「○○権」を主張するあまり、結果としてそのライツが守られない(ビジネス機会を失う)という状況が起こっていることもあります。ライツは守られるべき存在ではありますが、それを盾に戦う武器ではありません。

ライツを保有する側とそれを活用しようとする側が一緒になってライツを守る―――
それが「ライツビジネス」の正しい形なのです。
この基本を双方が忘れないこと、それがライツビジネスを行う上でとても大切なことだと思います。

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