プールのある風景・夏の記憶
あまりに普遍的かも知れませんが「夏限定」のものが解禁される時、独特の感覚があります。「冷やし中華はじめました」「かき氷はじめました」と書いてあると「ああ、そんな季節か」と毎年のように言っている気がします。
プール開き。プールなんて普通に学校にあるものなのに、わざわざ大々的に「この日からプール始めます!」と宣言するかのような言葉の響き。確かに、室内温水プールでもないから夏の時期しか使わないのはわかっているけれど、ちょっと大袈裟に聞こえる「プール開き」になぜか毎年わくわくしたものです。
かといって水泳が得意だったわけでは断じてありません。むしろビート板が友達だったし、息継ぎが下手でいつも水を飲んでしまう癖が治らず、息継ぎなしで10mちょっとを泳ぐくらいしか出来ませんでした。それでもプールの授業は大好きでした。プールサイドに腰を下ろして、水面がゆらゆらと波打つのを見ていると、まるで自分が舟に乗って動いているように錯覚するのが心地よかったのです。今でもたまに停車中の電車の中で、隣り合う電車が動き出したときに似たような感覚がありますが。
通っていた小学校は新設校だったせいもあり、プールも新しく清潔でした。プールサイドにはヒビ割れ一つなく、太陽光に反射して青く澄んだ水と、誰かが上げた透明な水しぶきがキラキラと輝いていた風景ばかり思い出します。今ほどの猛暑でないにせよ、真夏に水に浸かっているだけで気持ちのいいものでした。たとえ碌に泳げなかったとしても。
中学校に入り、プールが大嫌いになりました。こちらの中学は伝統ある古い学校。プールもそれなりに年季の入ったもので、プールサイドのコンクリートのヒビから雑草が生えていて、歩くとすぐに足の裏が砂まみれになりました。それ以上に私をプール嫌いにさせたのは、その深さでした。中央コース付近は足が付かないのです。中学校に入学した当時およそ150㎝いくかどうかの身長。少し低めだけどもっと小柄な子はたくさんいました。それなのにこの水位はないでしょう……と納得がいかなかったものです。まともに泳げれば何の問題もないのですが、私は最初のプール授業で軽く溺れてしまいました。運悪く中央コースに当たったが最後、足が立たず潜ってもうまく浮上できず、誰かが助けてくれたのかも覚えていません。ようやく水から上がってもひどく咳き込んでしまい、その後はプールサイドで横になって休んでいました。二度と水に入りたくない、そんなトラウマが出来てしまいました。その後は何やかやと理由をつけてはプールの授業をすべて見学で押し切り(男性の体育教師だったので強く言えなかったのだろう)特に成績を下げられることもなく、プールが嫌いなまま中学を卒業。高校は女子校だったこともありプールの水位に困ることはなかったものの、やはり少々の恐怖感は残っていて最低限の授業に出席するくらいでした。体育教師が女性だと逆に厳しかったのでズル休みは通用せず(笑)
23~4歳の頃、痩せたい目的で区民プールに通った時期があるくらいなので、プール恐怖はいつのまにか消えていた気がします。身体を動かすのが純粋に気持ちよかったし下手でもマイペースで泳げるのが性に合っていたようです。たまに「教えたがり」の方が寄ってきて困ることもありましたが。そしてその帰りに焼き鳥屋に寄るのが楽しみだったという本末転倒さ、これも良き思い出。
話がだいぶ脱線しました。「夏限定」のワードがひとつあると、そこに紐づく記憶が後から後から溢れてきます。プールの他にもかき氷や花火のようなありふれた風物詩がとても愛しいものに思えるのは何故でしょう。「はじまり」と「終わり」が最もはっきりしている季節が「夏」なのかも知れません。例えば夏服を出す日、夏服を仕舞う日に「季節の移り変わり」を強く感じるように。もっとも近年は残暑がいつまでも続くのでこの限りでもなくなってきている気がしますが……
小5か小6の夏、感覚として残る記憶がひとつあります。今はどうだかわかりませんが当時はドライヤーなどないので、プールの後の授業は髪も半乾きのままでした。窓際の席に座っていると、開け放した窓から風が吹き込んできます。泳いだ後のふわふわとした気怠さにも似た心地よい疲れを感じながら、風が乾かしていく髪が揺れる度に、なんだか少し大人になったようなほの甘い気持ちになったものです。それを今様に表現するなら「エモい」というのでしょうか。ちなみに授業は聞いていなかったものと思われます。
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