誤読のフランク(改訂版) 第5回 葬式 ロデオ(RFA-04)(RFA-05)
葬式風景。Funeral - St. Helena, South Carolina(RFA-04)
差別的な状況は続くが、この時代になると黒人の中でも裕福な人々がでてきた。裕福の象徴として、車。仕立てた背広。
1950年代のいわゆるレイスミュージックの歌詞を紐解いてもいい。お前にはキャデラックを買ってやった。ペントハウスを買ってやった、などの願望はそこらかしらに見える(歌詞ではだけど、そんなにもしてやったのに、お前は出て行った、とブルースやR&Bでは続く場合が多い)。
この写真の手前の黒人は裕福に成り上がった者だろう。奥の白い帽子の男も裕福な人だ。車の隣にいてカメラ目線の男は、身なりからすると運転手かもしれない。黒人の葬式にいる白人のロバートフランクを警戒しているようだ。
裕福な男たちは、撮ってくれと言わんばかりの堂々とした態度で、そばのロバートフランクがまるで存在していないかのように振舞っているようにも見える。
前ページまでの内容を振り返ると、ひとつは前ページの高揚の後に冷水を浴びせるような静寂と緊張感。そして、このページと次のページの構図的対比が出てくるシークエンスと見ることができるし、もうひとつの視点としては、この写真も「見る」ことを感じさせることで、人々の見ている光景を問いかけているともとれます。街のお偉いさんたちと同じく左向き。
そして、この写真は初めて、背後が平面ではない写真として現れます。奥行があり、書割的ではない初めての写真として、この写真集の中で特に印象に残る1枚となっているはずです。
対比なので並べます。
Rodeo - Detroit(RFA-05)
次の写真はいささか望遠気味に撮られたカット。
トリミング?かも?
テンガロンハットが印象的で、ロデオ デトロイトとキャプションがある写真。並んだ女性の顔の圧縮具合からみると、望遠レンズで撮られたのかも知れない。男性の葉巻の煙が黒空間を埋めて、奥行がありながら、ギュッと引き締まった画面になっている。
奥の白い青年が構図的にも良い位置に収まっていますし、屋根の形、女性たちの視線、帽子の形が矢印と機能しているのと相まって、視線がすっと青年の所に辿る。
前のページの黒人の腕の動きと、この葉巻のテンガロンハットの腕の動きが呼応していて、これ、重要。
この写真もさっきの屋根の上のバンザイ男も、写真的にはちよっと魅力の薄いようにも思えるが、
⇒ アパートのパレード 国旗
⇐ 偉いさんたち
⇵ 演説
⇐ 葬式
⇒ ロデオ
といったように、視線の動きは計算され、意図されているように思う。まだ中央に集中してゆく構図は現れていない。
この写真も人々の見るという行為を描いていて、ここまでのところアメリカンズとはアメリカ人が見ている行為を写した写真だ。とも言えそうだ。
死の葬式 黒人
暴れ馬という生の象徴 白人
葬式が、リンチで殺された黒人のものであれば、より象徴的な対比になるだろう。偏見を承知で書くが、WASPの象徴として開拓史時代の白人の末裔としてイメージされるロデオに興ずる人々。中西部の人々のメンタル的な価値観には、立派なスーツと大きな車の黒人たちのイメージはそぐわない。
ある種の対立構造をここに置いているのかもしれない。この辺り、全体的に散漫なイメージの羅列のように見えるが、政治的な人権的な対比として、読むことも出来そうだ。それに、国旗に隠しているパレード。街のお偉いさんたちのパレード。演説の群衆。それらは白人社会のものだった。初めてこの対の2枚の対比で、黒人社会が出てきたことは重要な役割を担っていると思う。
※この二枚の写真、写真集で見ると明らかに対比してるんだなというのがよくわかる。人物の位置、手の組み方、車の弧を描くライン、後ろの目立つものの位置等、非常に練られて構成された二枚だなということがわかる。
ぺらぺらめくってみると同じ位置に組み合わせることで非常に印象が強い二枚になっている。
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