誤読のフランク26回 ロデオ、ムービープレミア
Rodeo - New York City
見られていることを知ってる二枚。まず、ロデオ。
NYでロデオ?って思ったら、マディソンスクエアガーデンとかでショーやってるんだね。マディソンスクエアガーデンってクラプトンとかパバロッティの音楽ライブだけかと思ってた。
1955 MADISON SQUARE GARDEN NY RODEO ROY ROGERS SOUVENIR PROGRAM & INSERT RARE!
https://www.worthpoint.com/worthopedia/1955-madison-square-garden-ny-rodeo-1832078053
68th National Horse Show in New York won by Mexican participant General Humberto ...HD Stock Footage
https://www.youtube.com/watch?v=Rnf9EnBqbD0
1956 WORLD'S CHAMPIONSHIP RODEO MADISON SQUARE GARDEN
https://www.worthpoint.com/worthopedia/1956-worlds-championship-rodeo-madison-square
つまりこの被写体はショーの合間にひとりになりたくて外に出てきたみたいなタイミングで撮られた一枚ではないだろうか。もしくは終わってひと息。
この写真、どういうタイミングかわからないけど、奥の人はロバートフランクの方(カウボーイの方)を「何やってんだ」みたいな雰囲気でみてて、通りすがりに撮影されたものじゃない気がする。もしくはカウボーイの周囲に集まった人たちをみて、不審がってるのかもしれない。
そうそう。カウボーイがNYにってなると、Naked Cowboy ってんのが検索されて、あーいるいる。NYに行ったことない僕でも、この人の写真はどっかで目にしてるようなストリートパフォーマーなんだけど、これじゃない。
ターザンニューヨークへ行く(Tarzan's New York Adventure)1942
じゃない。これじゃない。えっと、こっちだ。こっち。
Cowboy in Manhattan (1943)
https://www.imdb.com/title/tt0035761/
かつて(と言ってもいいかも)「○○ニューヨークへ行く」ネタは実は結構あって、キングコングもイングリッシュマンもニューヨークを目指したものだ。
そして、どこかおかしみと哀愁の漂うストーリーが多い。「おら東京さいくだ」な話。古き良き時代の名残を引きずったまま、流れの早いニューヨークの近代化の中で、都市と田舎の価値観の差異に翻弄される人々を描いたものだ。たとえばアメリカンニューシネマの代表作『真夜中のカーボーイ(Midnight Cowboy)』。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%A4%9C%E4%B8%AD%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4
カウボーイは都会では生きて行けない。
つまり、この写真のイメージはそういった場所とキャラクターの皮肉な関係があるから、活きている訳で、これがオクラホマであれば別にどうという写真ではない。
例えば僕たちが旅に出て、なんの気なしに旅の写真を撮ったとしたら、あるべき所にある写真が出来上がって、意外性がない。文章作法のひとつに異化効果というのがある。それまで書かれた事に対して、ある種の飛躍があって読み手に対して小さくビックリさせるような、言ってみればフックを置く文章テクニックのことで、写真だって同じようなものだ(とりあえず)。
そういや、左下の黒いのはなんだろね。パーフォレーション? 道路の車の一部? カメラストラップ?
※こんなのみつけた。1938年
江戸に現れたキングコング 変化の巻
https://www.imdb.com/title/tt0157898/?ref_=kw_li_tt
なんじゃこれ?
Movie premiere - Hollywood
こちらも「見られていることを知っている」写真。以前にもムービープレミアって写真があった。2回目に出てきた時は、意味が違っているというのが、ここしばらくで理解したこと。
さて、この女性、誰だ? って思って、1956年あたりの公開映画の主演女優をひたすらクリックしてしらみつぶしに探してみた。
もしかして、ザ ザ ガボール? Zsa Zsa Gabor
https://en.wikipedia.org/wiki/Zsa_Zsa_Gabor
当時一世を風靡してたらしい彼女の謎はほくろの位置である。このwikiの写真だとほくろの位置はアメリカンズの写真と同じだし、鼻や口、あごなど、顔の雰囲気も似てる。でも他の写真を探してみたら、ほくろの位置があっち行ったりこっちへ行ったり。付け黒子かな? 他の写真みたら、そりゃ人気あるわなって色っぽいしかっこいい。1956年なら Death of a Scoundrel って映画に出てる。
1952の Moulin Rouge では美声を聞かせてる。
https://youtu.be/DPeOkd0vvX0
面白そうだからしばらく見てしまった。
いかんいかん。写真に戻ろう。
この写真も背景の人が、被写体をみている。
この構図はアメリカンズの中でも特異な感じがする。このアメリカンズの最初のシークエンス、パレードをみている人を撮影している一連の写真とは、ちょっと違う。
その次の人々がみている姿を撮影したシークエンスとも違う。被写体がロバートフランクに気がついたという写真でもない。
RF→被写体←アメリカ人
という構図。
これはひとつ前のロデオの写真も同じだ。カウボーイ(とそのまわりの集団?)に街の人はいぶかしげな目線を送っている。ただ単に同じものを見ていたという写真でもない(例 US66のカーアクシデント)。
この二枚はアメリカ人と被写体の視野にロバートフランクはいる。始めから写真を見ていた人にはその視野の違い、ロバートフランクの位置の違うことに、不思議な感じがするかもしれない。つまり、いままでに、この手の写真はなかった、ということだ。この写真の並びの差異はロバートフランクがアメリカ人の(群衆の)中に入った、という感じを受ける。
あなただったものが、いつの間にかわたしになっている。ここまでの間にアメリカンズは差別を扱い、アメリカの陰惨な歴史を暗に描いてきた(かのように見える)。そうした一連の物語の果てに、ロバートフランクの立場は、いつの間にか群衆のひとりになってしまっているのだ(とも取れるのではないか)。そして、この本をめくる人も、同じようにアメリカを見る立場から、その中から見てしまうような、本の構成上の物語に取り込まれてはいないだろうか。
もう、僕らは内側に入ってしまった。
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