誤読のフランク第23回 音楽学校、黒人夫人、葬式、中国人の墓
Salt Lake City, Utah
http://trifestatus.blogspot.com/2011/04/on-robert-frank.html?m=1
ここはソルトレイクシティでは有名な建物らしい。
McCune Mansion
http://www.mccunemansion.com/our-story/
インドカルカッタ生まれのAlfred W. McCuneはUtah Southern Railroadで財を成して、モンタナやペルーやカナダでも鉄道事業に手を染めた。当時のセレブ、大金持ちと交流を持って世界中から色んなステキなものを集めて、11年をかけてこの建物を作った。そして、教会に多大な寄付をした。今は結婚式場とかイベントとかに使われている。このアルフレッドの物語だけで大河物語になりそうなスゲー話。
ソルトレイクシティは末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の都市。戦中は日本人の強制収容所があったことから日本人も居住者が多い。
セレブ。あ、そうか。前の写真はセレブのカクテルパーティー。この写真もその続きだろう。アルフレッドも、大金持ちだ。政治家の後押しをしたり、政治家になろうとして、なれなかったりした。
何はともあれ地元の名士として有名で、この建物もアルフレッドが、ロスに移った後も、大統領が滞在したり、ロバートフランクが訪れた頃だと、音楽学校が運営されていたみたいだ。<McCune School of Music and Art>だって。看板。
上のリンクでこう書かれている。
<McCune School of Music, which ended in 1957>
ロバートフランクが訪れたほぼ一年後、音楽学校も使命を終える。
アメリカンズは人種的なものが多く、ある種グローバル的な広がりがある世界の縮図のような部分がある。もちろんどんな写真であってもそのような描き方はできる所はあるだろうし、読み取り方次第によって千差万別だけど、このアルフレッドもすわインド人?って思ったけど違った。植民地時代だから。
この建物内部はものすごく豪華で時代がかっててかっこいい。ロバートフランクは中には入れなかったのかな?入ったけど、成金趣味に辟易したから外だけを撮影したのだろうか?
それにしても変な写真だな、とは思う。掲示板つきの門柱が主役で建物は階段の遠く向こう。何を撮りたいのか分からない。中にウキウキとして入ったり、ガッカリとして出てきたりしてもこんな写真にはならなさそう。入り口で締め出し食らったような感じもする。情報が少ないので、文字があれば読みたいけど、この写真の掲示板に何が書かれて貼られているかは判別できない。右側が白い階段なのは下宿屋の写真を思い出す。それにしても変な構図。
スイスからの亡命ユダヤ人から見たらモルモン教はどう見えるのだろう?ま、旅先だから宗教っていう部分はあんまり関係ないか。
中の写真があった。
http://cityhomecollective.com/community/blog/place-worship-mccune-mansion
すげー。
Beaufort, South Carolina
これ、赤ちゃんとジュークボックスがあったカフェの外側だよね。なんとなく。椅子が同じだし。アメリカンズも後半になってきたから1度見たものと同じ場所の違った写真が出てくる。ポリティカルラリーと議論場みたいな感じ。
個人的にはアメリカンズで一番好きな1枚。この写真集で唯一笑ってるし、黒人音楽好きにはワクワクする光景だし。重たい話もふくんでなさげだし。
3つ目の十字架(厳密には5つ目)。この奥に見える細い十字架はバトンルージュの川辺の司祭に繋がっている。このところの神の話の中で、ふっと緩む1枚でもある。逞しいし。
あ、そうだ、神の話なんだ。もしかして。としたら、前の建物も神の話かなあ。神様については、よくわからないや。
ひとつだけ言えるのは、このアメリカンズの本は終わりが見えはじめて、見る見られるの関係をもう少し踏み込んだ形で描きはじめてきたと言うことかも知れない。
例えばこの写真、カフェと対になっていると仮定してみると、カフェのカウンター、お店の人が見ている光景だったのが、対話とセットアップをして撮影していると言うことで、客が見ているお店の人というか、この女性個人の存在をハッキリと撮影しようとしていること。つまりアノニマスでないこと。
写真の面白いところは、撮影時にはアノニマスでない人が時間や距離の効果によって、アノニマスになってゆくことではないだろうか。極東の日本で60年後にこの写真を見た人間にとっては、この女性は全くのアノニマス。でも、だからこそ写真の中に何かを見いだすことができる。知人であればそうではない。まず見知った情報が先にきて、写真を見るという行為が阻害されてしまう。これは仮説だけど、この距離が抽象化を生むのではないだろうか。始めからアノニマスで抽象的であることを前提とした写真は写真が生きている時間が短いのだ。
そうだ、距離だ。見たことない写真、ありえない写真がもてはやされる一方、時間と物理的距離についての思考が数多く成されてないような気がする。ただの旅写真とそうではない写真の差は物理的距離に依存している度合いなのかも知れない。そして写真は撮影者の必然の記録だから、シャッターを押した時は撮影者にとって必要な時間だった。必然が偶然に変化して行く長い時間や物理的距離は、氏名のある存在から匿名の存在に変化してゆく距離でもある。その援用では、ピクトリアリスムは抽象化と一気に時間を飛び越えようとする試みであって、具象の大量投棄によって視覚のオーバーフロー(個々の事物の抽象化)を目指すストリートスナップとは、全く方向が違うのではないかとも思うが、ここでは書かないことにする。
話を元に戻すと、もしかすると、このアメリカンズの中の何枚かの特別な写真は匿名の他者であったアメリカ人の姿が、記名的な存在として描かれているように思える。母子とメイド、そして、この写真。今のところこの2枚は明らかに異質なように見える。
Funeral - St. Helena, South Carolina
South Carolinaが続く。この写真は最初から何枚目だったか、口のところに手を当てた黒人が車と一緒に写っている写真、あの葬式の内側に入って撮ったものだろう。これも許可なく撮れない写真でもある。これ出棺の際のタイミングだろうか? 真ん中のこちらを向いた蝶ネクタイの(足下を見てる感じの)男の横、右端の男がパイプのようなものを持っている。たぶんトロンボーンだろう。よく見ると右側の3人並んだ先頭も手に何か持っているように見える。サックスのマウスピースにキャップをしてるのかもしれない。
なんとなくニューオリンズの葬式を想像してしまうのだけど。たとえばこんなの。20世紀後半のニューオリンズの偉大な作曲家アラントゥーサンの葬式。
Allen Toussaint Funeral Procession - 11 20 2015
https://youtu.be/nURb5geCD5w
カメラマンが多いのはさすがニューオーリンズのスター。オールスターキャストのような葬式だからだし、それだけ悔やむ人の数がすごいのもある。
昔はどうだったんだろ?って思わざるを得ない。
改めて1950年代にはレイシズムはどれぐらいのものだったかというと、たとえば以下の動画。
Racism in America: Small Town 1950s Case Study Documentary Film
https://youtu.be/hkYCZuCz2dQ
小さな街で近所に黒人が越してきたらどうだろうか? みたいなことを街の人に聞いてる動画。ニグロ、ニグロって言ってるのは時代のせいもあるけど、黒人がニグロという言葉を嫌う訳はここにある。普通の人々のぎょっとするような言葉が非常に侮蔑的。
そんな時代にこの写真はなかなかすごい。ちゃんと入り込んで撮ってる。もちろん撮影者のキャラクターの面や、写真というものに対する人々の距離やもあるだろうが。
ここに同日カット違いの写真があった。
https://www.bostonglobe.com/arts/art/2016/09/22/robert-frank-stillness-liberation/eMgEj0OirGNJ8XTYV8Oe4I/story.html
大きな葬式だ。奥の柳が美しい。
Chinese cemetery - San Fransisco
暴力性。葬式の跡を荒すヤツ。台風とか大雨みたいな可能性もあるけど、ここは前の死の写真の続きで、死してなお汚されると取るべきだろうか。
そう思って見てたけど案外大雨だった気もしなくはない。遠景が霞んでるし〈雨?)、区画線のコンクリも濡れてるようにも見えなくない。でも、ここは定石通り、レイシズムにおける暴力性だと取るのが良さそう。
ここには十字架はない。神はない。
この三枚あたりの写真が、ちょっと不思議。3つの十字架までで終わった死の写真が、ぶり返しているように思うし、何故ここに挿入したかということがよく分からない。間に貧富の差のある種のドキュメンタリー的な写真が挟まれることによって何が変わったか? 変わらなかったか?
ひとつ考えられるのは、今までこの写真集を見ている時に感じていた、アメリカ人が見ている光景を撮るというのから、徐々にロバートフランクが見ている光景のように視線の深度が変化してきたのだが、ある所から一転して、徐々に見ているロバートフランクが見られているという、視線の交差を描いてくるように進んできたのではないか。そんなことを考えてしまう。そして通奏低音で流れていた不穏な雰囲気がところどころで溢れ出してくる。
その不穏さは差別や死や残酷な歴史、言ってみれば運命なんてものの比喩として写真が使われているような、いや、そうしたものが浮かび上がってくるような写真の使い方。歴史やその時代の事実を追ってゆくと見えてくる写真の別の面。そりゃ50年も60年も聖典として使われるような写真集だわ、なんて感服してしまうのだけど、感服してばかりじゃ先に進めないので、進めるが。
この写真もやはり中国人に対する差別的な(ちいさな)事件が描かれていると考えると、前の写真も普通の死ではなく、差別がらみか、なんて想像してしまうのだけど。さてどうだろうか。
あ。倒れた花輪が木の葉の斜めと並行線。
1955年8月シカゴからミシシッピーに親戚を訪ねてきた14歳の黒人少年が雑貨屋の白人女性店主(美人だった)に口笛を吹いたとして、誘拐されリンチで殺されて川に投げ込まれた事件があった。Emmitt Till 事件。
母親はその目も当てられないような死体を入れた棺桶を開いてシカゴまで戻り人々に公開した。容疑者であった白人店主の夫とその弟は無罪で放免。
このことが公民権運動に大きな力を与え、その後の歴史を動かす一幕になったとされている。
An Overlooked Witness to Emmett Till’s Kidnapping
https://youtu.be/itMwJwgXHqw
Emmitt Till 1955 (PBS)
https://youtu.be/v8QXNyCvDP4
この話はボブ・ディランも歌ったことがあるので(The Death Of Emmett Till)話題にのぼり、近年映画にもなっている。
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