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切畑八坂神社の「疫神塚づくり」。
「節分」。季節を分ける、ということで、翌日は「立春」。
季節の変わり目には、邪気が生じると考えられているために、「豆まき」をしたり、「柊鰯」を飾ったり、最近では「恵方巻」を食べたり、恒例の行事が行われます。
この佐伯市には「節分の日」に行う恒例行事があります。
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ここは、弥生の「切畑 八坂神社」。
その行事は「疫神塚づくり」というもの。
1782年、ここ佐伯で疫病が流行します。
これを受けて、「佐伯藩主 毛利家がこの八坂神社に災いを封じ込める塚をつくるように命じた」ことが始まりだそうです。
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ちなみに、毛利の足跡が今も神社に残ります。
それは、1757年に寄進されたふたつの灯篭です。
話が反れましたね(笑)。話を戻します。
その災いを封じ込める塚が「疫神塚」であり、延々と現代へと続いております。
藩主の言葉が、いまだに生きているということですね。すごいです!
ところで、この「八坂神社」ですが、目の前には「祇園」という名のバス停があります。
・・・そうです。
この神社は、「京都祇園の八坂神社」から分社されているそうです。
そしてまた、切畑の八坂神社は「旧佐伯12社」のひとつでもあります。やはり由緒正しき神社なのですね。
そして、さらに・・・
佐伯藩の総鎮守であり、佐伯で最も古い神社「五所明神社」、こちらの宮司さんは、その歴史の途中、この「切畑の八坂神社」から宮司を迎え、今に至っているというお話も聞きました。
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この八坂神社の重要性がさまざまなエピソードから伝わります。
きっとこの場所は、いつも大事にされてきたのでしょう。
ところで、「疫神塚」はつくって終わりではありません。
ひと月先の3月中旬に「疫神斎」が行われました。内容は、神事、餅投げ、神楽を執り行い、最後は塚のお焚き上げも。
「とんど焼き」と似ているようで、趣旨や段取りが異なります。しかし、無病息災を祈ることには違いありませんね。
節分をもっと大切にしなくてはいけない。そんな思いに駆られました。
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疫神斎へとつづく・・・。