ザイオン国立公園にて 2023/02/19 ボボボブログ
旅のハイライト
1日目
車窓に収まらない巨大な岩
アメリカのアイス
計5時間ドライブ
神の目みたいな夜空、瞑想徒歩、独特な時間の流れ
チリパスタが温かいだけなのにおいしすぎた
つま先が壊死しそうな鬼寒寝袋
2日目
プラスチック製ジオン
100年ものの1マイルトンネル
おっかない崖道
消えない恐怖を眺める
今まで生きてた社会が全部茶番だったみたいな絶景
パルクールくだり
ひまわりの種
絶景サンドイッチ
雪道ハイキング、雪合戦
神のしょんべん、神のけつ、発言から見る宗教観
ホットドッグとスモア
走り回るリスみたいなネズミ、生き物を殺す経験
キリスト教における、神と性欲についてのディスカッションを聞くヘンタイニホンジンの自分
その他、LGBTQとキリスト教、行ってみたい場所、即身仏などトーク各種
日の出が見たい
3日目
日の出を見た。山々がカウントダウンしてくれた
世界と自分があることで得られたこの奇跡のような体験に感謝を伝えて山を後にした
トップガンのバイクのシーンみたいな平らな道
天然すぎる温泉地。道中は凍てつく針沼地獄。まじもんの武者修行。
なぜか見えない底をタッチしたがるアメリカ人
ビーバータコス。うますぎたアサイブリトーとモリタソース。なんでこんなに日本の苗字っぽい名前?
別れ。家。学食。
雨風凌げる家に感謝、温かくて美味しいご飯が食べられる学食に本当に感謝。あえて学食に携帯を持っていかなかった。黙って食べた。タコスとピザとシーザーサラダ。
ネットのない3日間。自分の感覚にいつどの瞬間よりも意識を向け続けた。とても濃かった。なんとも言葉に表しにくいが、時の流れがとても太かった
特に忘れたくない事
人生で一番「自然」を体験した。自分の理解の範囲を遥かに超える自然物は、東京で生まれ育った自分が今まで取り込んできた、そして使ってきたどの言葉の枠もぶちわぶった。自分が今まで体験したことないものを言葉に収めるのは自分にはできなかった。だから、すげぇ、、だの、えぐ、、だの、やば、、だの、This is crazy…だのそういった言葉を漏らしそうになった時はあえて口をつぐんだ。その瞬間の畏怖だったり、感動みたいなものを適当にポイと単語や音に閉じ込めるのではなく、その感情、感覚そのものに全力で向き合い、全ての意識を集中させて、そして再び世界を見渡した。全力で世界を見て、全力でそれを体験する自分を噛み締めた。だから何度も立ち止まって、歩いてというのを繰り返していた。自分はそれが一番満足だった。何度か自分は言葉を持たない生命体だ、と言い聞かせ、少しずつ頭の中の言語を溶かして霧消させることがあった。仏教用語でいう無選別智を得たかった。(漢字違うかも。)
人間は普通に生きてて、情報をインプットしながら同時並行でアウトプットをしている。当たり前に聞こえるが、歩きながら人の話を聞いたり出来る。でもこの当たり前がいかに不思議で、普段向き合わない「当たり前」かということに気付くことができた。自分のインプットに本気で集中したり、自分のアウトプットに本気で集中したらこんなに鮮やかな体験ができるんだ、ということに気づけたのは本当に収穫だった。おそらくもうすでに知っていた、ただそれを言葉として意識的に理解できたのは、その行為自体を初めて俯瞰する観測者に回ることができたからだ。
その山々に囲まれて日の出を見たいと思った。他8人に提案したが、結局テントの隅に押しつぶされて眠れなかったジョン一人しかテントから這い出てこなかった。自分は普通に決めていた時間にバイブのみのアラームで起きた。なんで自分がそんなことを提案したのか。色々な理由があると思う。みんなに提案した場で言ったのは、昨夜あんまり眠れなかったからどうせあんまり眠れないのなら早めに起きて日の出みようよ。だった。実際自分の頭には、多分今見なかったら一生この景色での日の出は見ることはないだろうな、という考えしかなかったんだと思う。ただ本当に一回だけだと思ったとして、何かしらの価値を感じないと見ないということだ。おそらくいつもの自分だったら、まぁ別にいいかな、みたいな考え方だった。どうせ自分は朝になったらやっぱ寒いしいいやって言うだろうし、提案もしないでおこう、ってなってた。でも提案しやがった。そんで本当に自力で極寒の世界に這い出て約1時間の日の出を眺め続けた。本当に綺麗だった。これ以上の言葉が見つからない。結局何が僕をそんなに駆り立てたのかわからないけど、本当にあの旅の間だけは何一つ後悔がない、最高の時間と体験だった。まぶたの裏にあの景色を思い浮かべ、その時の世界観や感覚を思い出すと、今でも心臓がキュッてなる。本当に素敵な体験でした。
P.S. 旅の最中、あーnoteの更新記録途切れちゃうなぁと思ったが、10日もすればまた戻る。今のこの瞬間全くネットに繋がらないでいる経験の方がおそらく貴重だろうと思った自分の判断は間違っていなかった。そうしていなかったらおそらくいつもの生活の細かな悩みや考え事が携帯を開くことで濁流のように、繊細な感覚たちを飲み込んでただろうよ。。。と言うことで改めて、ゆるーく日記書いていくぞい
では、また
斎家リック