宗教の代わりに何をなすべきか?No.5
人は自分で自分の道を歩くしかない
NHKの大河ドラマの「鎌倉殿の13人」で、どこかの場面で語っていたように、「戦に勝つように祈りましょう!」、「でも敵も勝つように、祈ってるんですよね?」、「仏様も、どちらを勝たせるか、迷いますよね?」
全くそのとおりで、思わず笑ってしまった。
人はついつい信心深い自分を神様、仏様が守ってくれるはずだと信じたいものだ。しかし、冷静に考えて、本当に守ってくれるか全く不確か。
だいたい、神様仏様が、人間を守らなくてはならない義務もない。自然環境を破壊している人間は、生物系全体にとっては、大いに迷惑な存在だ。環境破壊、温暖化、戦争などで、どれだけの生物種が人間の活動で絶滅されようとしているか、計り知れない。
人類は、牛、豚、鶏、魚介類、などなど、毎日何十億と言う生命を奪って食事をしている。そんな罪深い人類をどうして神仏を守らなければならないのだ?
祈っているから?信心深い人だけが救われる?
絶対者としての神仏は、別に、人間の信心を必要とするほど困っていないというだろう。人類が、欲望にかられて散々好き放題やっている癖に、神仏を祈ってゴマを擦ってくる人間は救ってくれるとは、勝手な思い込みだ。
戦争になれば、宗教家たちは必死に祈りを捧げる。戦前も日本の神社仏閣では、盛んに先勝祈願がなされていた。しかし、日本は敗北した。神風なんか吹かなかったし、日本は神国だと言う洗脳も効かなかった。
ユダヤ教徒が必死で祈りを捧げても、ホロコーストは防げなかった。スターリンの虐殺も防げなかった。逆に宗教が戦争を引き起こし、地獄を招いている。
それぞれの宗派が、自分の宗教が世界に行き渡るよう祈っているが、今だかって、どこかの宗教が世界制覇したことなどない。どこかの神仏が真実ならば、その、宗教が神仏の加護で世界に行き渡っていて、理想社会になっていなくては、おかしい。
逆に、宗教が広い地域を制圧した処では、西欧中世の魔女狩りやイスラム教世界の女性抑圧のように、神学者、僧侶、宗教家による支配と収奪が長く続いている。
神、仏、永遠の生命、宇宙の根源ブラーフマン梵、、、そのような大我に囚われずに、理性と知性に基づき、「犀の角のように」、自分の道を歩めと、哲学者としてお釈迦様は教えたのではないか。
別にその哲学を絶対視する必要はないが。
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