#ドリーム怪談 投稿作「彗(ほうき)のユキオガミ」

 外套を着込み、一面の雪の原を弟の手を引いて歩いていた。
「あにさま……さむい……」
 弟・美雪よしゆきは集落の宮司に着せられた着物に草履姿なので、さぞや寒かろう。だが、私は心を鬼にして小さな声で言った。
「辛抱しなさい、お前はこれから神様にお仕えしに行くのだから」
 私の声に弟は少し俯いて、震える体で必死に雪原を歩んでいった。
 ――今年は冬の訪れを前に雪が降り始め、夏の長雨もあって冬を越せるだけの作物が取れなかった。
 どの家も蓄えに余裕はなく、集落では山におわすユキオガミ様に御縋りすることになった。一日も早くこの雪が融けて、芽吹きの春が来ますようにと。その為に、お仕えしてお世話するお役目をさせるべく選ばれたのは私の弟だった。
 有難いことだ、幸いなことだ。神様の御傍仕えになるのだから。
 宮司も長も、弟にそう説き、特別に誂えた装束を着せた。
 そして、十月の末だというのに雪の降る日、山の中腹にある社へと弟を連れて行くように私は父に命じられた。
 小一時間程進んだ後、いよいよ寒さに震えて歩みが鈍くなった弟を抱き上げて、私は外套の中へと包み込んだ。
「あにさま……」
「もう少しでお社に着く、辛抱しなさい」
 私は静かにそう告げて、足元が不安定な山を登っていた。

 社は山肌を抉る様に掘られた穴倉に作られていた。
 頑丈な錠前が掛かっているが、私は特別に鍵を託されていた。弟を立たせ、鍵を開けて、中へと上がる。
 外より風がないだけましとはいえ、囲炉裏の一つもない板張りの社は凍えるような寒さだ。
 弟の手を引いて板の間を進み、がらんとした中に一つだけ据えてある木像の前へと着くと弟を正座させた。私もその傍らに膝を折り、深々とこうべを下げる。
「ユキオガミ様。これは本日より御傍仕えを致します、弟の美雪に御座います。どうぞ、なんなりとお使い下さい」
「……」
 弟は困惑した様に私と木像を視線で往復していた。
「その引き換えとして、雪深き冬が一日も早く過ぎますよう、そのお力をお貸しください」
 私は淡々と口上を述べる。
 そして、早々に立ち上がると、踵を返した。ハッとした様に弟が私に追い縋る。
「あにさま……!」
「済まない、美雪……ユキオガミ様に、良くお仕えするんだよ」
 私は背を向けてそれだけ言うと、社の外に飛び出して扉に錠前を掛けた。
「あにさま! あにさま!!」
 悲痛な弟の叫び声に耳を塞ぎ、私は山を転がる様に駆け下りた。
 惨いことをしているのは承知だ。
 弟は、ユキオガミ様への生贄、そして口減らしの対象となった。
 私の耳に弟の悲鳴がいつまでもこびり付いていた。

 年明けて、三月の頭。
 私は一人、雪原を歩いていた。
 父母には「美雪はユキオガミ様の元へ行ったのだ」と烈火の如くに叱られたが、せめて弟の亡骸を弔いたいと山へと向かったのだ。
 正直に言っても渡してはくれぬだろうと鍵は隙を見てくすねてきた。
 未だ雪深い山の中、私の足跡が点々と続いていく。
 程なく辿り着いた社に、私は遣り切れない思いで手を合わせ、鍵を開けた。
 ぎい、と木戸を開けるとがらんとした板の間がある。
「え……?」
 正面にあったはずの木像が無くなっていた。
 いや、そればかりか、弟の亡骸すらもない。
「そんな馬鹿な」
 呆然と呟くと、足元に白い物が置いてあった。
「手紙……?」
 あにさまへ、と書かれた白い紙を手に取る。紙など持っていなかった弟が、どうやって手紙をしたためたというのか。開くのが恐ろしい。それでも私は震える手でそれを開き、目を通し始めた。
 そこにあったのは弟の拙い字ではなく、非常に整った筆運びの墨文字だった。

 ――あにさま、美雪は今、ユキオガミ様の元で毎日お仕えしています。
 ユキオガミ様は大変にお優しく、美雪に温かな衣も、豪勢なお食事も与えてくださいます。
 ユキオガミ様は色々なことを美雪に教えてくださいました。
 美雪は身勝手な集落の者達に捨てられたのだということ、あにさまだけは最後まで美雪の身を案じて下さっていたこと。
 ユキオガミ様は大層お怒りになりました。美雪を安らかなこの場所へお連れ下さって、その日を待つがよいと仰いました。
 あにさまがこの手紙を読んでいらっしゃる日が、ユキオガミ様がお約束下さった日です。
 美雪はあにさまが大好きです。
 だから、この日にしてくださいとお願いしました。
 ここまでお読みくださったのなら、あにさま、社の中ほどへ足を進めてください。
 そこに美雪からの贈り物がございます。

「なんだ、これは……」
 私は何故こんな物がここにあるのか、まるで理解が及ばなかった。
 よたよたと足を進め、社の中ほど、何もない場所へ向かう。
 自然、視線が板の間に落ちた。
「ひぃ……!?」
 思わず悲鳴が零れた。
 そこにはどす黒い何かで文字が書かれていた。

 あにさま たすけて

 足から力が抜け、尻もちをついた。
 瞬間、社自体が激しく振動を始めた。
 なんだ……何事だ……?
 身動きすら覚束ないが、なんとか床を這って社の入り口へと戻る。
 バタン、と。
 目の前で木戸が勢いよく閉まった。
 驚いて一瞬身を固くするが、焦りと共に木戸に飛びついた。
 開かない!?
 錠を掛けられたかのようにがたがたいうだけで開かない木戸に、閉じ込められたのだと気付く。
 ――ふと、背後に何かの気配がした。
 凍える様な寒さの社の中で、より一層の冷たい何か。
 振り返ることが出来ない私の耳に、ごぉ、という轟きが聞こえた。
 振動は止まず、音も一息ごとに大きくなっていく。
 これは……雪崩か!?
 そう察したと同時に、背後から声が発された。
「雪にて、掃き清めようぞ。雪は覆い隠す、人の醜い有様も、一面の白に」
 地の底を這う様な声に、私はもう息をすることも出来なかった。
「あにさま、お迎えに参りました」
 弟の、声がする。
「あにさまは、何日で美雪と一緒に来てくださいますか?」
 とうに餓死しているはずの、弟の嬉しそうな声が。

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