#ドリーム怪談 投稿作「入ってもいい山」
家の前は山、ちょっと歩いて行くと、また別の山。
僕はそんなちょっとした田舎に住んでいた。
春休み、親戚がうちに集まっていた。いとこ達も一緒だ。
ゲームして、菓子を食べて、だらだらと過ごしていたけど、やっぱりそんなのにも飽きてきて、僕達は山に遊びに行く事にした。
その山は、入ってもいい山だ。
入ったからって誰に怒られるわけでもないし、山の中に古びた神社だの寺だの祠だのがあるわけでもない。たまに市から委託された害獣駆除で猟師が猪とか猿とかを撃ちに行ってるっていうし、獣道しかないけどどうせ規模の小さい低い山だ。子供の足でもちょっとした探検には問題はない。
僕達は昼ご飯のカレーを食べた後、いとこ達を連れて山へと向かった。
家から歩いて十五分ぐらいで山の入り口の踏み固められた獣道が見えてくる。手入れもされていない木が乱雑に生えたまさに雑木林の中を、僕達は意気揚々と入って行った。
「うわ、暗いなー」
「デコボコして歩き難いー」
はしゃぎながら進んで行くうちに、獣道は本格的に荒れてきた。木の根が好き勝手に這い出し、落ち葉がそれを隠しているせいでうっかりすると足を取られる。
それでも山の中を探検しているという気分は盛り上がっていた。
三十分ぐらい登っただろうか、ふうふうと息を切らしているデブのH子が足を止めた。
「……もう、帰らない?」
「なんだよ、もう疲れたのかよ」
「まだちょっとしか来てないだろ、もうちょっと行ってみようぜ!」
いとこ達が次々言うが、H子は何だか難しい顔をしていた。
僕はわざとらしいため息を吐いて見せ、年下のH子を庇うように言った。
「しょうがないなぁ、喉も乾いたし、帰ろうか」
そして、くるりと背後を振り向いた時に気付いた。
「え……」
獣道がない。
歩いて登ってきたはずの獣道が見えない。
木々が折り重なるように密度を増していて、圧迫感もあった。
「道……そっちだよな?」
僕が言うと、H子以外のいとこ達は振り向いて首を傾げた。H子だけは真っ直ぐに前を見ていた。
「あれ? こっちから来たよな?」
「道、あったよね?」
急に心細くなって、みんなでぼそぼそと話し合う。
ふと、遭難、という言葉が脳裏を過った。
そんな馬鹿な。たった三十分登っただけの小さくて低い山で遭難なんて。
「……行こう」
H子は一言呟いて歩き始めた。一瞬で方向を見失ってしまった僕達には、その後へ従っていいのかも分からなかった。
相変わらずふうふう言いながら、H子はゆっくり足を進めていく。僕達は置いて行かれないように戸惑いながらついて行った。
さらに二十分ほど登っただろうか、急に足を止めたH子が体の向きを左に変えた。
「……こっち」
「そっち、道ねぇよ」
「なぁ、迷ってるんじゃない?」
みんな不安そうだ。H子は肩で息をしながら、ボソッと言った。
「テルばあちゃんがあっちだって言ってる」
その言葉に全員が固まった。
「テルばあが?」
僕はちょっと怒りながら問い質した。
そんなはずはない。
だって、今回親戚が集まっているのは、他ならぬテルばあの葬式のためだったんだから。
H子は道のない木々の中へ向かって歩き出しながら頷いた。
みんな閉口したままついて行く。
そう言えばH子は霊感があるなんて言っている変なやつだ。もしかしたら、本当にテルばあの声が聞こえているんだろうか?
「H子、本当にそっち行っていいのか? 危ないんじゃないか?」
「平気」
それだけ言って、H子はまたふうふう言いながら歩いて行く。黙ってみんなはついて行くが、また急にH子は足を止めた。
「……」
追いついて様子を窺うと、進行方向を見ていたH子は顔を強張らせて立ちすくんでいた。
「なぁ、どうした?」
「……なんでもない。ここから、向こうだって」
方向を変えてH子は歩き出した。H子が見ていたのは何なのか、僕は気になってジッと目を凝らしてみた。
(ん……?)
やけに暗いような気がしたが、それだけだ。木の本数が増えているから太陽の光が届かないんだろう。
そう納得して視線を逸らした。
――それから一時間ほど道なき道を歩いただろうか、不意に足元がしっかりした。
「あ」
思わず声が出た。木々の中からするっと踏み固められた獣道に出て、顔を上げればちょっと先にアスファルトの道路が見える。
「下りれたぞ!」
いとこ達がわぁ、と歓声を上げる。疲れているはずなのに、その時だけはみんな元気が戻ったようだった。
息を乱しているH子はちらりと山の方を振り向いて、黙って道路の方へと歩いて行った。
僕は開けた視界でそこがどこなのか判断した。
「……田島?」
そう、山へ入った場所からは真反対の所だった。僕達は山をすっかり通り越えてきたことになる。
それでも、ここから家に帰るのは簡単だ。ちょっと距離はあるけど、道なりに歩いて行けば帰ることが出来る。みんなで探検の事をわいわい話しながら家に向かって歩いて行った。
家に帰り付いた頃にはすっかり薄暗くなってきていた。僕は最年長者として母ちゃんに叱られた。年下のいとこ達をつれて遅くまで遊んでいたことを咎められたのだ。
「まったく、あんた達どこで遊んでたの?」
「入ってもいい山……」
僕の言葉に、母ちゃんは目を丸くした。
「あんた、なんであそこ行ったの!?」
「え? だって入ってもいいんだろ?」
「馬鹿、あの山は大人でもロープとかで目印をつけながら入る山なんだよ? 迷ったんじゃないだろうね?」
「迷ったけど、H子がなんか道知ってた。テルばあが言ってたとか」
僕がそう言うと、母ちゃんは一瞬動きを止めた。その後にため息を吐く。
「ばあちゃん、H子のこと可愛がってたからねぇ……放っておけなかったんだねぇ……」
それで僕はお説教から解放された。
三日前に葬式をした広い客間に向かうと、H子がテルばあの遺影を見上げてぼうっとしていた。
「H子」
「ん?」
「テルばあ、本当にいたのか?」
「……まぁ、うん」
H子は歯切れが悪い。だから、もう少しだけ踏み込んで聞いた。
「お前、途中で急に止まっただろ? あの時、何か見たのか?」
「……」
答えていいのか迷っていたのか、少し黙り込んだH子はぽつんと言った。
「あのまま進んだら変なのがいるって、テルばあちゃんが教えてくれた。ここまでは入ってもいいけど、この先はダメだって。何か、真っ黒な変なのがちょっとだけ見えた」
「え?」
「最初に帰り道が分からなくなったのも、それのせいだって」
「……」
「ねぇ、Tくん。あの山、本当に入っていい山なの?」
H子が僕に問い掛ける。
その時に僕は初めて気付いた。
あの山は、入ってもいい山。
でも、“入っていい山”だとは誰も言っていない。
その違いは、とても重い。
――死んでからも孫達を守ってくれたテルばあに感謝して、僕は二度とその山に入ることはなかった。
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